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ダラムサラ旅行③——国を失った人々

ダラムサラ旅行の過去2回のアップを自分で読み直して改めて思うのは、新しい国や土地を訪れるとき、現地の経済的現実(=物質的豊かさ)に最も敏感な自分自身である。

どんなモノが高いか、安いか。どのようなモノが売れていて、人々がどのようなモノを着て、食べて、暮らしているか。貧しい人はどのくらいいるのか。どのくらい貧しいか。経済は上向いているのか、低迷しているのか。この国は「売り」か、「買い」か。

長年、証券業界で経済に関わる仕事をし、常に経済からモノを見る性分が染み付いているからだろう。また所詮、旅行者の立場では、目に見える人々の暮らし向き以上の内面まで見通すのは難しいのも事実だ。また戦後育ちの典型的日本人である私は、基本的に政治•宗教オンチだということもある。

とはいえ、やはりダラムサラのチベット社会を語るのに、経済的印象だけではあまりに表面的だ。なぜなら、ダラムサラのチベット人社会は国を失った人々の社会だからだ。

モノの安さや自然の美しさにまして私がダラムサラでしみじみ感じたのは、「国を失うこと」の哀しさだった。

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亡命社会が普通の社会と違うところは、前者が「国を失い、他人の国に居候し、いつか自国に戻ることを希求する人々が作っている」社会だということだ。これは政治的社会的に極めて特殊な状況だ。そうした特殊な状況にある亡命「チベット」の支援は、一般的な途上国支援や被災地支援とは全く質的に違うものにならざるを得ない。

どんなにダラムサラの自然環境がのどかで美しく、その開かれた社会が外国人を惹き付けるものであっても、法王様の教えがありがたくても、チベット人が微笑みを絶やさず、穏やかで落ち着いた人々で、その存在がグローバル資本主義に疲れた先進国の人々を癒す存在であっても、ダラムサラは亡命当初から見違えるほど発展し、多くの亡命チベット人の「ふるさと」になっていて、子供たちの教育はかなり先進的なものだとしても、すでにチベット人の大半は経済的な極貧状態を脱していても、そうした全てにかかわらず、<国のない状態に留まり続ける無国籍の人々>が作る亡命チベット社会のリアリティは極めて厳しいと感じられた。

それは、経済的厳しさ以上に、精神的な厳しさである。

あるいは亡命中の人々が抱える精神的な厳しさは、それを体験したことのない者には想像を絶するものかもしれない。

なぜなら、亡命とは、永続的ではない仮の状態だからだ。亡命チベット人は、もう56年も「いつか帰れるかも」「もう帰れないかもしれない」という不安定な仮住まいで落ち着かない生活をしている。

チベットからインドへの亡命者は皆、政治亡命者だ。昔、アイルランドからアメリカに渡った移民や中国からシンガポールに渡った移民のように、祖国で食い詰めて、国を捨てて移民し、そこで新たな国に忠誠を誓い、個人的な幸福を追求する経済的移民ではない(純粋に経済状況で言えば、今となっては一部中国領土内のチベット人の方が亡命チベット人よりずっと富裕だったりするらしい)。

また、見た目が似ているものの、ブータン人、インドのラダック地方の人々、ネパールのシェルパ族のような、いわゆる「チベット文化圏」に生まれたローカルな人々とチベット本土から外国に政治的に亡命した人々は、やはり立場が全く異なっている。

ダライラマ法王と共に、あるいはその後、チベット本土から亡命してきた人々は、「いつか政治状況が改善してチベットに帰れるだろう」と考えて、親戚友人を残したまま出国し、その後も無国籍の暫定状態で闘争を行ったり、事の推移を見守ったりしながら異国で生活してきたわけだ。

そうした暫定状態がかれこれ、56年も続いているのである。

これは精神的にとても疲れることだろう。

無国籍ということは、海外渡航や土地取得といった基本的権利が制限され、居住する国の参政権が与えられず、他人の土地(=インド)に無期限に「居候」状態を続けることを意味する。そうした居心地の悪い「とりあえず。。。。」「いつか。。。」の状態が長々と続き、すでに亡命社会の主流は祖国の土を踏んだことのない二世、三世の時代になっている。ますます強大になり、チベット人の同化政策を進める中国の動向を見れば、「もう帰れないと考えた方が現実的だ」、「もし帰れることがあっても、もう帰らない方が幸せだ」、「どうせ帰らないなら、最も生存条件の良い国で暮らしたい」と考える亡命チベット人が出て来てもおかしくない。そうした亡命者はインドに留まらず、欧米やオーストラリアに移住し、そうした豊かな国の国籍を取得し、そこに根を下し、子孫には個人としての「より明るい未来」を与えようとする。

民族としての団結と分断。いつ、どうなるか分からない不安定かつ暫定的な状況で、亡命チベット人たちは個人として究極の厳しい選択を迫られつつも、集団としては国家のクリティカルマスにほど遠い極めて少ない人口(12万人)の人々が、本土(人口600万人程度)から切り離された状態で、民族としての再生産、アイデンティティ保持と、帰還に向けた政治的闘争において亡命政権を支えて何とか必死に頑張っている、というのが現状である。

もちろんダライ•ラマ法王は先頭で、頑張っておられる。亡命チベット人を指導し、鼓舞しつつも、民族の枠を超えて全人類に慈悲を注ぎ、非暴力と人権擁護で世界に強い影響力を行使している。ダライ•ラマの14回目の転生という政教両面の正統性と、清廉で高貴な言動、姿勢は、固有の民族としてのチベットの統合の象徴として無比のものである。民主的な亡命社会を築き上げ(三権分立と普通選挙が実現している)、かつチベットの伝統の宗教文化を継承し、しかも国際政治でチベット問題が忘れられないよう、一貫して真摯にアピールし続けて来た法王をチベット人は生神様と慕って尊敬している。

だが、その民族の象徴である法王が1980年代に打ち出され、現亡命政権が継承する政策は、「中道アプローチ(middle way policy)」。つまり、中国の圧倒的な国力と占領の既成事実化を背景に、独立への国際的支持が得られない国際社会の現状に鑑みて、中国のチベット占領を容認し、独立を放棄し、中国憲法の枠内でのチベット人の対等な立場での「真の自治」の実現を提案する、というものだ。

http://www.dalailamajapanese.com/messages/middle-way-approach

この政策が実を結べば、法王の帰還は叶い、チベット本土のチベット人の人権状況は大幅に改善されるかもしれない。法王が帰還すれば、多くの亡命チベット人もまた帰還するだろう。だが、亡命チベット人にとって、中道アプローチの実現は、ダライ•ラマ法王も自分自身も、自分たちの子供も「中国人」となることを意味する。同胞を虐殺し、自国の文化を破壊した国に忠誠を誓う国民になることを意味するのだ。

中国領の祖国に帰還し、中国人になる。そんなの絶対いやだ、といって、独立の狼煙を決して下ろさないチベット人がいるのも当然だ。独立派は、決して夢想家なのではない。現実的に考えてチベットの独立が極めて困難なことは重々理解している。だが、民族独立への希求とモメンタムを失い、国を奪った暴力的な敵に自治を与えてくれるようお願いし、その傘下で文化や伝統を維持していくことを期待していくということによって、民族としての気概や精神が失われて行くことの方が危険なことだ。独立派の人々はそう考えるのだ。

http://www.bignewsnetwork.com/index.php/sid/226620737

ダラムサラでは意外なことに、中国領チベット本土のテレビ•チャネルが2つも見られた。そこではチベットの民族舞踊や、チベット語吹き替えの中国のメロドラマなどが放映されていた。

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ダラムサラのチベット人にこうしたチャンネルについて聞いてみた。「ええ、よく見ますよ。でも本土のチベット人のチベット語の発音は中国化してるんですよ。イントネーションが違うんです。それからファッションもちょっと変。中国人と生活しているから、だんだん中国化していているんです。私たちがインド化しているのかもしれないけど」と笑っていた。

異なる体制と状況下で生活していると、最初は同じだった文化や言語、そして価値観さえもジワジワと変質していく。もしかしたら韓国人が北朝鮮の人々に対して覚える感覚なのかもしれない。あるいは日本も太平洋戦争後に北海道がソ連領になっていたら、「北海道の日本語はロシア語化している!」と私たちは思い、北海道の日本人は、「本土の日本語はカタカナの英語混じりで変!」ということになっていたのかもしれない。

本土占領と民族分断の既成事実があまりに長く続くなかで、徐々に色あせて行く独立や帰還への強い思いやモメンタム。暫定的であり、仮住まいであるがゆえに、腰を落ち着けてじっくりと数世代に渡るビジョンを持って、土地に根ざして国作りに邁進できない亡命政権の宙ぶらりん。国と民族を思う気持ちと、個人や家族の安定や幸せを求める気持ちの葛藤。

2008年以降、中国側の国境管理の強化や、ネパールのチベット人への厳しい入国管理などのせいでチベット本土からの亡命者が激減した。そうした中でインドで高等教育を受けた亡命社会のチベット人はダラムサラや居住地に留まらず、海外に流出する傾向にあり、亡命社会では、(文化の砦である)僧侶へのなり手や伝統工芸の担い手が少なくなっているという。

これが亡命社会でない通常の社会なら、村おこしや産業の誘致による地域振興や起業で若者を引き止めようとするモメンタムが働くだろう。だが、もし亡命地での生活の本質が、どれだけ長くなろうとも相変わらず暫定的な根なし草の状態なのだとしたら。より大きな自由や安定を求め、個人でリスクを負って新天地に旅立とうとする若者を誰も引き止めることは出来ない。

だが、新天地に旅立った若者の将来がハッピーエンディングかというと。。。。

やはりそうした若者もまた、移民としての苦労に加え、失われた祖国への思いと、アイデンティティ喪失に苦しむ。

砂のように流れ出しそうな不安定な、小さな亡命社会。それを糊としてかろうじてつなぎとめている80歳のダライ•ラマ法王の存在。

もし、日本が外国に占領されて、私が天皇と共に外国に亡命したたった12万人の日本人の1人だとしたら、私はどう生きるだろうか?天皇陛下はどのように振る舞われるだろうか?亡命した私たちはどのように日本語や、日本文化や伝統を守るだろうか? 日々、多くの同胞が巨大な監獄で民族のアイデンティティを抹殺されていくことをどのように感じるのだろう?

そう考えることで初めて、私たちはチベット問題を身近な問題として感じることが出来るのだと思った。

ここに書いたことはわずか12日間の旅行記にしてはあまりに僭越かもしれない。チベット人の友人が読んだら怒るかもしれないし、事実誤認もあるかもしれない。でも、亡命政権の方々との様々な話や現地で感じた印象が鮮烈なうちに書きたかった。6年間、未熟ながら日本の事務所で亡命政権のニュースリリースの翻訳ボランティアをし、私なりにチベット問題を理解しようとしてきたことに免じて許していただければと思う。

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