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幸せ4ーーお金

私たちが、お金を大切に思い、お金と幸せを結びつけて考えるのは、市場社会に暮らしているから。

私たちは、お金があれば色々なものが買えて、能力や運によってお金を稼げる可能性が変化する世界に住んでいる。おそらく私の江戸時代のご先祖様は、お金があって幸せ、とは思わなかった。当時はお金で買えるものが少なかったからし、個人の努力によってお金を得ることも難しかった。

今の世の中も、もちろん愛や友達をお金では買えない。それはわかりきっている。でも、それ以外にはかなりのものがお金で買える。母の世代より、私の世代の方がお金で買えるものはどんどん増えている。

ログハウスと北欧家具で、理想の暮らしを買う。

ヨガと美容整形で、素敵な容姿を買う。

家事をアウトソースし、便利グッズを入手して時間を買う。

習い事をし、映画に行って、本を買って、教養を買う。

エアコンで、快適な温度の中で生活することを買う。

保険と貯蓄で安心を買う。

マインドフルネス瞑想で心の安定を買う。

全部、可能。

それらを買うことで、自由と快適さが得られる。そのことを思うと、全ての人が物質的な豊かさを目指すのはあまりに自然なことに思える。

そんなお金を、合法的に得るためのメインの手段は「働くこと」と「理財すること」だ(今日の世の中、略奪はダメ)。

それで、より良い仕事を目指す。より良い雇用機会を得られる教育を子供に与えるために一生懸命働く。自分のお金で買いたいモノを買う。みんな、そうやって生きている。それができないと不幸になる。

企業業績、貿易摩擦、雇用、失業、格差、年金、教育、株式市場。世の中のほとんどの情報が経済に関係している。社会がお金を中心に回っていて、人と人はお金を通じて結び付いている。社会のあらゆることにお金が付いて回る。

不思議なのは、なのに、なぜかお金について話すことがタブー視されるのかということ。

なぜかお金は悪者扱いされやすい。私たちは、「幸せってお金じゃない」という言葉が好きだ。なぜだろう。

お金はギスギスするから。「それって、結局、お金だよね!」というと、ギスギスするが、「それって、お金じゃない」というと、なぜかギスギスしない。

手段であるお金が目的化すると、一体感、親切、絆、忠誠、公平、道義心など、長く共同体で大切にされてきたものがズタズタになるから、かな。

共同体で暮らした年月の長さに比べたら、私たちがお金万能の市場経済に晒されて生き始めたのはごく最近に過ぎない。

お金による商品や労働の交換は、ヒトを比較可能な定量的存在にする。定量化によって私たちは分業や協力ができるようになった。でも、お金は、同時に希少な資源を巡る競争を生む。お金を基準に、勝ちたい、負けたくないと望む心は、不安、恐怖、羨望、嫉妬という、幸せと正反対の感情につながる。誰かが勝てば、誰かが負ける。

多分、市場化されていない世界でも(家柄、容姿、権力、名声などに基づく)比較と競争、不安、恐怖、羨望、嫉妬はあった。でも、家柄、容姿、権力、名声よりもお金はさらに普遍的で比較がしやすい。ネットやビッグデータや統計によって、お金をめぐる透明性はさらに増している。そして、お金と能力が同一視されるようになると、ますます個人の精神衛生は辛くなってくる。

売ることに必死な企業は客をカモろうとする。客の方も、売り手を安く商品やサービスを提供してくれるモノとしか見なさなくなる。「お金がなくなるかも!」という不安によって、過剰な貯蓄や過労死といった倒錯現象が起きる。

お金が生む個人主義によって他人と一体感が持てなくなる。他人を「カモれるか?」「ロボットとして酷使できるか?」「自分より上か」「自分より下か」としか考えず、「カモられることができる」「ロボットとして酷使されることができる」ことだけが生まれた目的みたいな人間が出来上がる。

そんなヒトだらけになると、子供の数が減る。老人が孤独になる。生態系が破壊される。

そんな風に、お金は本質的に矛盾している。つながりを生むと共に、つながりを壊す。共同体にとってもお金は大切だが、お金を大切にしすぎると共同体が壊れる。お金は個人的な問題だが、個人的な問題としてだけ捉えられるものでもない。

 

矛盾しているから難しい。そう、世の中の大半のことは矛盾しているから難しいのだ。お金だけじゃない。そもそも人間の感じる幸せそのものが矛盾している。

お金についてはこれだけ。まだまだ幸せについて書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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幸せ2 変化率

戦前、戦中、戦後を生きてきた83歳の義母は、吉祥寺の繁華街やデパ地下など、モノの豊かさが感じられる場所が大好きだ。義母は、モノがなかった時代からどんどん、日本が豊かになっていくプロセスの生き証人だから。湯沸かし器、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、ガスオーブン、電子レンジ。パンのなかった時代から、山崎の食パンの時代、そして、フォションのブリオッシュの時代。科学技術が発展して日本が豊かになるとともに、義母の幸せも増してきた。

昭和42年生まれの私は、小学校の頃から公害だの、科学技術の発展の弊害だの、科学技術の発展と経済成長のマイナス面を聞かされて育った。生まれた時から、もう日本はかなり豊かだった。冷蔵庫や掃除機は生まれた時からあった。だから、家電製品に幸福感を感じることは少ない。吉祥寺の街やデパ地下の喧騒と人波は疲れるものでしかない。

そんな私でも、最新のMac Proを買って、クラウドで仕事ができるようになると、やはり少しはハッピーになる。飛行機の値段が下がって気軽に海外旅行できるようになって嬉しい。世代は違うが、やはり義母と同じように科学技術の発展と経済的豊かさ、社会の進歩から幸せを感じることがある。

だが、問題は変化の後にたいていの物事が当たり前になってしまうことだ。電気が灯ること、冷暖房のある家に住むこと、冷蔵庫と洗濯機があること、家にiMacとiPhoneとiPadとMac Proがあること、簡単に海外に行けること。そうしたことは、ひとたびすっかり慣れてしまえば、それ自体によって幸せがもたらされはしない。

モノがあるという状態が当たり前だど、人間関係の軋轢だとか、仕事の辛さだとか、家計の資金繰りだとか、体調不良だとか、それ以外の問題で悩み苦しみ、冷蔵庫を持っている幸せについてはもう考えない。

ひとたび、冷蔵庫が故障して、もう町のどこに行っても冷蔵庫が買えなくなったら。冷蔵庫を持っていたありがたさを泣いて噛みしめるだろうに。

こう考えると、幸せをもたらすのは「変化率」と言えそうだ。

「生活が便利になる」といったポジティブな変化が起きる瞬間、そうしたポジティブな変化は人に喜びをもたらす。だが、すぐポジティブな変化が起きた後の状態に慣れてしまうので、起きてしまった過去のポジティブな変化に持続的に喜びを感じ続けられない。

永遠に成長することを前提にした資本主義や、科学技術の発展は、幸せを感じ続けるためには、常にポジティブな変化を必要とするという人の本性に基づいているのだろう。「便利になる」だけじゃなく、「どんどん便利になる」、「綺麗になる」だけじゃなく、「どんどん綺麗になる」がないと、幸せな状態を維持できないのだ。

年功序列という会社の制度も、人が「ゆっくり昇進し、ゆっくりお給料が増えることで、着実に継続的にポジティブな変化率を感じ続ける」ための仕組みなのかもしれない。

目標を持つ、ということも変化率によって幸せを感じるための方便かもしれない。ダイエットのような目標を持って達成していくプロセスは、目標体重に近づくことで、刻々とポジティブな変化率を感じ続けることでもある。よく、学校で先生が「目標を持て」と生徒に言う。いつも目標を作ってそれを達成しようとすると、人に変化率による幸せを感じ続けられる。あらゆる検定を受けまくる資格ジャンキーのような人は、履歴書に書ける資格の数が増えるという変化を楽しんでいる。

問題は、そういう「ポジティブな変化率」を外界の世界で生み続けることが自然の摂理に合っていないかもしれないことだ。どんどん人口が増え続け、人が豊かになり続ければ、生態系が破壊される。人はいつか老いて死ぬ存在だから、永遠にポジティブに変化し続けるわけにはいかない。先進国の経済成長率は頭打ちになりつつある。

そういう意味で、日本が戦争で一回どん底に落ちて、ずーっと上っていく継続的かつ直線的な物質的変化とシンクロさせて人生を送った義母の世代は歴史上、珍しいほど幸せな世代だったのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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