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幸せ5–シャーデンフロイデ、または、私ってまだマシ

シャーデンフロイデ(Schadenfreude):他者の不幸、悲しみ、苦しみ、失敗を見聞きした時に生じる、喜び、嬉しさといった快い感情

ダライ・ラマ法王とツツ大主教の’The book of Joy’を読んで初めて知った言葉。ドイツ語。ドイツ語には他の言葉にないイディオムがある。

「人が不幸になると幸せになる。人が幸せになると不幸になる」という幸不幸の社会的トレードオフ。あたかも、世界の幸福の総量は限られているかのように、万人がそれを奪い合う。どう考えても美しくない感情だが、反面、実にありふれてもいる。

「他人の不幸は蜜の味」ーースキャンダル専門週刊誌の売り上げは、それが人々のシャーデンフロイデをどれだけ満たせるかでどれだけ売れるかが決まるような気がする。「へー、この人、成功してたけど、今は結構、大変なんだね〜」。それで自分の幸福度が変わるわけではない。でも、上だったものを下に落とすことで、少なくとも「スッキリ」する。溜飲が下がる。うさが晴れる。

そういう感情は後ろ暗いし、非道徳的だから、日常生活では抑える。「私、あなたが不幸になるといいと思う。あなたの不幸が楽しい」なんて、誰かに絶対言わない。でも、言わなくても、そういう感情はある。

昔、白血病で死んだ女優夏目雅子が病床で、「自分がいないあいだの他の女優の芝居は全部、こけるといい!」と叫んでいたという。これもシャーデンフロイデだろう。当時、彼女はまだ25歳で、上り坂の人気女優だった。仕事を降板し、どんどん弱っていく中で、とても他人の幸せを願う境地でいるのは無理だったろう。そう言った彼女を私たちが非難する気になれないのは、彼女が若くして死んでしまったからだ。

ユニセフのCMや学校の先生。「世の中には今日のご飯も食べられない人がいます。あなたたちは幸せです。そのことを感謝しましょう」という。これも微妙だが、少しシャーデンフロイデが入っている気がする。自分より貧しい人がいると認識することで、自分の幸福を再確認するのっていやらしくないか。

テレビや新聞の悲惨な事件のニュース報道も微妙だ。日本の新聞やテレビニュースは頻繁に、子供の交通事故、虐待死、老人の独居死など、結構残酷なニュースを流す。大半の視聴者は「かわいそう!ひどい世の中ね。そんなことがあるなんて!」とシュールな事件に憤り、社会の仕組みや政治家を非難する。でも、心のもう半分では「それが自分と自分の家族に起きないで良かった。なんとか、今日一日、無事だった。自分はまだマシ」と、見ず知らずの他人との比較で自分の幸せを確認する。事件事故報道の隠れた意義は、凡夫のささやかなシャーデンフロイデを満たすことにある。

穢多非人、アウトカースト(不可触民)のような非人道的な差別が組み込まれた社会の階層制度が作られたのは、人間のシャーデンフロイデ的幸福観を逆手にとった為政者の知恵かもしれない。「自分はまだマシ」「下には下がいる」と思えることで人々のシャーデンフロイデが満たされ、不満はガス抜きされ、社会が安定化する。

シャーデンフロイデがポジなら嫉妬、羨望、自己卑下はネガ。「他人の幸福は自分の不幸」はさらに身近な感情だ。

みんな、志望校に合格したのに、僕だけ落ちちゃった。「おめでとう」と友達に言いたい。でも顔が引きつらないでは言えない。

親友の結婚式。私は失恋したばかり。「おめでとーっ」「綺麗!」「いーなーっ」って披露宴を盛り上げる。家に帰って「なんで私はダメなの」って呟く。

自分が不幸なとき、他人の成功や幸せは不幸を増幅する。

誰もがそういうネガティブな感情に覚えがあるから、大人になると人は個人的幸せや幸運を努めてひけらかさないようにする。本当の金持ちは、金持ちであることを隠す。逆に、個人的不幸は誇張する。ママ友同士は、自分の子供の問題点や苦労ばかり言い合って謙遜合戦する。それが空気を読む、つまり、社会性を身につける、ということだ。

本当は、「いつだって他人の幸せをわが事のように喜ぶクセをつける」というのが、究極の勝利戦略なのだろう。先の本、Book of Joyは羨望や嫉妬への処方箋として、それを推奨している。仏教ではそれを「ムディター=随喜」というそうだ。要するに、シャーデンフロイデの反対の感情。

問題は、それがすごく難しいこと。

凡人は天使でも悪魔でもないからシャーデンフロイデを感じる時もあれば、ムディターを感じる時もある。シャーデンフロイデを強く感じるのは、自分が椅子取りゲーム的状況に置かれていると感じるときだ。オカネ、愛情、能力、そういう希少物を誰かと競争し、自分が負けそうなとき、シーソーゲームに講じているとき、私たちはシャーデンフロイデを感じる。逆に、他人と競う必要のないとき、勝ち負けがないところでは、他人の幸せに素直に共感できる。病気の友達がいて、病気が治れば、良かったね、と心から言える。お年寄りに席を譲れる。

世の中が競争的になり、個人同士がガチンコで比較にさらされ続ける世の中では、ますます社会全体でムディターが減ってシャーデンフロイデが増えている気がする。社会が豊かになってもなぜか幸福感が増えず、学校ではいじめが蔓延し、自殺者が減らず、うつ病者が増えている。それは、幸せを相対的、シャーデンフロイデ的にしか感じられなくなっている私たちの感じ方、そしてそういう感じ方を作り出す社会の仕組みや教育に元凶がある気がする。

社会の仕組みや教育を変えられず、ドロップアウトもできないとしたら、どうやって個人の心からシャーデンフロイデを減らせるだろう。

私が試している方法は、競争的な社会の仕組みを単なるゲームと考えて、絶えず、ゲームオーバーすることだ。試合中は全力で戦うが、試合が終われば、競争心をリセットし、勝者が敗者を労わり、敗者も勝者を讃え、肩を叩き合う、一流のエレガントなアスリートになった気分で。

あとはやはり、モヤモヤが溜まったら、たまに週刊誌を読んでガス抜きすることかな。

所詮、私たちは聖人君子ではないのだから。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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