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【映画評】メトロマニラ世界で一番危険な街

現金収入と機会が少ない田舎から若者が希望を持って都会に出てくる。貧困のどん底からスタートし、勤勉と才覚、人との出会いを通じて苦難を乗り越えて成功していく。私たちはそういう物語が大好きだ。エビータ、マイフェアレディ、スラムドッグミリオネアなどの映画。もしくは西原理恵子さんの人生のような実録サクセスストーリー。

この映画も最初はそんな映画に思えた。

田舎から出てきて住むところもない主人公の夫婦が、逆境に苦しみながらも、仕事を見つけて、親切な人と出会って、屋根のある家に住み、そして。。。。

夫婦は若く、敬虔なクリスチャンで、善人で、才覚もあり、美男美女。観客は「ガンバレー」と文句なく感情移入できる。

だが。。。。フィリピンの現実はそんなに甘くなかった。

腐りきった大都会に出てきたカネのない人たちにとって、努力、正直、勤勉は通用しない。ストーリーが進むごとに観客は嫌というほど見せつけられる。マニラでは、貧しい人が合法的にミドルクラスのマトモな生活に行き着くまでの道筋はあまりに険しい。

どうやったら、歯が痛い子供を歯医者にやれるか?今日の夜ご飯を手に入れられるのか?

貧乏人の経済学では、いかに貧乏人は頭を使って生活しないと生き残れないかが詳しく描かれていた。この映画はまさにその実録ドキュメンタリーだ。

こうしたドキュメンタリー調の前半からうって代わり、後半はサスペンス調になる。ラストの結末、主人公の究極の実存的選択はあまりに衝撃的だ。

99%の絶望に対して1%の希望。ものすごく素晴らしい、余韻の残るラスト。

映画のテーマは、ひたすら、貧困、貧困、貧困。相対的貧困ではなくて、絶対的貧困。貧困の中で逆説的に強まる家族の絆。

フィリピンの貧しさの理由を思いつくままにあげると次のようになる。

1人口過多

→ヒトがどんどん、生まれる。多すぎる!日本の真逆だ!ヒトが多すぎるから食べられない。労働供給が過剰だから働く人は買い叩かれる。

2 農村の荒廃、まともな仕事のなさ

→農村があまりに貧しい。だから、ヒトがますます都市に集まる。でも、都市にもそのヒトたちを食べさせるだけの仕事がない。教育のある人ですら青息吐息なのだ。貧しい人たちは生きていくために、水商売、危険な仕事、麻薬関連に手を染めるしかない。

3 法律の不徹底

→政府を信用し、法律をちゃんと守っていたら、食べていけないという不条理。

フィリピンのシュールなところは、貧しさが豊かさと隣り合わせだということだ。悪臭とスラムを見ないことにして、高層ビルだけを写せば、写真に写ったマニラの街並みはそれほどシンガポールと変わらない。マニラのショッピングモールは、日本のイオンモールより綺麗で活気がある。

貧しい人たちは、お金のある人たちと取引しながら生活している。上京してきた主人公は金持ちのカネを運ぶ仕事をし、奥さんは白人相手のバーで働いている。

貧しい人は経済の生態系から排除されているのではない。そこに、しっかり組み込まれている。金持ちと貧乏人は社会的には交わらない。だが、経済的には相互依存している。

 

この映画は、そうしたマニラの不思議な姿を掬いとっている。

不思議なのはマニラだけではない。相互依存しているのは何もマニラの金持ちと貧乏人に限らない。世界が経済的な絆で相互依存している。フィリピンと日本もまた相互依存している。

↑日本とフィリピンの相互依存関係をテーマにした古典的名著

この映画を作ったのはイギリス人だという。こういう深い視点でフィリピン社会を題材に捉え、商業作品に仕上げ、私たちにモノを考えさせてくれるのは、フィリピン人ではなくイギリス人。そのこともまた、世界は実に奇妙で複雑だということを教えてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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なぜフィリピン人は英語を話すのに貧しいのか(2)

日本で早期英語教育の是非についてプロコンの意見が対立している。

こうした議論は一筋縄ではいかない。

小学校の英語義務化には反対する人が、自分の子供はインターナショナルスクールや英米の大学に送っていたりする。それに「英語教育」に反対する人も、そもそも英語教育の関係者で英語でご飯を食べている人が多かったりする。

むずかしい問題だ。

個人と社会は別物だからだ。

「英語が得意な帰国子女のAさん、ハーバードからコンサル会社に入り、年収5000万。。。」というときの「Aさん」は個人。

それに対し、「なぜフィリピン人は英語を話すのに貧しいのか?」というときの「フィリピン人」は社会。

「個人」を語るのは割とたやすい。自分や周りの人の経験から語れるからだ。だが、「社会」はむずかしい。

 

●個人にとって英語は付加価値….

私たちが英語、英語。。。という理由の多くがグローバル企業での仕事が高給で、そうしたグローバル企業に入るには英語ができないといけないことによる。また、アメリカに従属的な立場の日本では、アメリカとの繋がりが強いことが政財学界のエリートであることと強く相関している。そうしたことは社会で肌身で感じられる。そんな個人が社会的上昇の手段として子供に英語を学ばせようとするのは合理的なことと言える。

●….でも、国や社会の豊かさは英語力とは無関係

でも、社会全体としてみると、そこには合成の誤謬のようなものがある。

個人にとっての善は、社会にとっての善じゃない。

日本の豊かさの源泉は、同じ言葉を話す国民意識にあるからだ。

国民意識があるから、私たちは同じ思いを共有し、押し合いへし合いの社会で協力してやっていける。

「国民意識」とは仲間意識と言っても良い。

日本語のおかげで、1億2000万人が共同幻想を共有し、そのおかげで協力し、日本全体としてまとまり続けられている。

それができてない国、たとえばフィリピンのような国を知れば、それは実感できる。

フィリピンの人たちはわがままだから協力できない?

そんなことはない。むしろ、その反対だ。ずっと人と人との関係を大事にする。家族の絆は日本よりずっと厚いし、スラムや農村では人々はお互いに協力しないでは生きていけない。日本人の方がよほど個人主義的で勝手に生きている人が多い(私も今回、一人で旅行している時、「かわいどう」と随分、フィリピンの人に同情された)。

だが、数千人、数万人、一億人規模の協力、階級を超えた国民の協力という点では、間違いなく日本人の方が強い。そういう協力は、信頼の上にしか成り立たない。信頼は、共同幻想に基づく「同じ人間だ」という感覚の上にしか成り立たない。人は、同じ言葉を喋らない人、共通の過去を共有しない人には同じ人間だという感じを抱きにくい。

そうした中、フィリピンでは英語の読み書きができる人、英語が喋れる人、全くできない人。。。というように言語能力のグラデーションが階級になっている。そうしたグラデーションによって世界観、所得、階層があからさまに分断されている社会だ。

階級を超えた社会の共感がないところでは、万人に適用される法律というものが徹底されない。「仲良し」のための政治になり、「みんな」のための政治が行われない。社会が痛みを分かち合えない。個人の豪邸や金儲けのための商業施設はできても、公園ができない。道路ができない。図書館ができない。

フィリピンではそういう「公」の欠如が強く感じられ、そのせいで巨大な非効率と無気力が生まれていた。人々は政府ではなく家族やコミュニティに頼って生きている。だが、彼らは脆弱だ。問題は、彼ら以外の世界は、政府やら企業やら、はるかに大きな単位で動いているからだ。

世界には、「個人として英語ができると得なこともあるけど、英語ができなくても惨めじゃない国」「英語が階級になっていない国」がたくさんある。たとえば、ドイツやフランスやイタリア。これらの国の底力は長い時間をかけて国民国家が出来上がっていることになる。

「みんなで。。。」という同調圧力は日本社会で特に強い。中にいると、うんざりすることがある。だが、そういう同調圧力が、同時に人々の大きな単位の協力を可能にし、大きな単位の協力があるからこそ、一部の個人には間暇とお金の余裕が生まれる。そういう余裕から文化は生まれる。

そういう物事の表と裏の関係がようやくこの年になってわかってきた。

フィリピン、パナイ島イロイロ・シティのホテルの窓から

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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なぜフィリピン人は英語を話すのに貧しいのか(1)

英語ができることは仕事で大きなプラスになっている。

フランス語はそうではなかった。

10代、20代の私は英語よりフランス語が得意だった。知識でも人格形成でもフランスには多大な恩義がある。だが、キャリアに直接は役立たなかったという点では、フランス語学習は徒労だったといえる。

働きはじめてからは英語、英語、英語。それがグローバル社会の共通語だったからだ。パリでも東京でも英語。資本市場は日本語でもなく、フランス語でもなく、英語で動いていた。

英語をマスターしたおかげで、グローバル経済の一番回転の効いている部分にアクセスが得られた。今でも英語は私にとって必要不可欠な一部であり、糊口をしのぐ手段だ。若いころの友人を見回しても、若いころの英米圏留学組は良いキャリアを築き、気に効いた仕事をしている人が多い。

そういう現実を肌身で感じる親は、子供に英語教育を施そうとする。日本人だけでなく、韓国人や中国人も。

そんなアジアの英語学習者にとって、コスパ良く英語を学べる国がフィリピン。フィリピン留学、スカイプ英会話。圧倒的に安く、安いわりには質が良い。

だが、そこには大きなパラドクスがある。私たちは経済的利得を求めて英語を学んでいる。なのに、肝心の英語の先生であるフィリピン人が貧しい、というパラドクスだ。英語国フィリピンの人件費が安いからこそ、ギャップを利用したフィリピン留学、スカイプ英会話、コールセンターが成り立つのだ。

フィリピン人は出稼ぎメイドですら気の効いた英語を喋る。シンガポールではメイドから英語をならう日本人駐妻もいる。

。。。。だが、そのメイドの月給は3万円程度。

5月にフィリピンに行った理由の一つは、そのわけを知りたい、というものだった。

マニラ首都圏マカティの街角

 

 

 

 

 

 

 

 

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東京とマニラ

一週間のフィリピン旅行から帰ってきて、二週間。まだ興奮がまだ冷めません。

途上国を訪れたのは初めてではありません。スリランカ、チュニジア、ネパール、インド、インドネシアなどを訪れたことがあります。アメリカのグランドキャニオンでネイティブインディアンの悲惨な生活を目撃し、マレーシアのキャメロンハイランドに行く途中では、山岳民族原住民のスラムにも遭遇しました。

それでも、マニラは訪れたどんな他の場所とも違いました。マニラでは、他の場所では感じることのできなかった「辛さ」を感じました。

辛かったのは、「貧しさ」そのものではありませんでした。訪れたマニラとフィリピン第四の都市イロイロシティではショッピングモールが乱立し、そこは商品に溢れて、華やかな催事が行われ、ショッピング客で溢れていました。もっとも、モールの入り口には、貧しい人が入ってこないようにマシンガンを持った警備員が立っていましたが。

マニラで感じた辛さは、社会と経済が『ちぐはぐ』な感じでした。民間のお金で豊かに整備された場所と、荒れ果ててボロボロで汚い場所。道を不法占拠して住む人たち。ハイヒールを履いて運転手がいる生活をしているお金持ちと、ボロボロのジプニーに乗って何時間もかけてピカピカのボニファシオグローバルシティのコールセンターに通うTシャツ姿のオフィスワーカー。そして、スラムに溢れる裸足の子供達。それらの人たちが、お互いがお互いを存在しないかのように無視し、決して交わらない。深刻な格差、大都会の非常さ、根深い歴史の悲劇でした。

マニラの喧騒から比べると東京はとても静かです。隅田川の水は澄んでいます。道は几帳面に補修され、街路樹は手入れされ、人々は整然と規則を守ってゴミを捨てています。

長いこと、ニューヨークやロンドンやパリと比べると、東京の街並みは汚く、街宣車や駅の自動アナウンスが騒々しいと感じていました。古いものが大切にされないと思ってきました。でも、全ては相対的でした。私は上ばかり見ていました。東京は、私が20歳から50歳になるまでのこの30年でインフラの整備が進み、公共空間の環境がジワジワと改善したことに気づきました。そもそも、今私が住む湾岸に人が住めるようになったのは、川と海が綺麗になったからです。今や、都下に張り巡らされた地下鉄網のおかげで、どこに出かけるのも便利です。小学生が一人で電車に乗れるし、エスカレーターやエレベーターのおかげで老人にも快適です。駅のトイレにウォッシュレットが付いています。道路がバリアーフリーだから自転車でどこまででもいける。図書館でほとんどの本が借りられる。

そして、そんな快適さは一部の人のものではなく、みんなのものです。

都市環境の改善は、バブルの崩壊後もゆっくりゆっくり進みました。個人の所得は上がらず、私たちは相変わらず狭い家に住んでいますが、公共環境はジワジワと良くなりました。

バブルの頃と比べると日本人は心も成熟しました。長いデフレのせいで、服装はカジュアルに、質素になり、若者は堅実になり、中高年の趣味や人生観は多様化しました。そんな社会を作ったのは、私ではありません。政府が、企業が、自治体が、一人一人の日本人が様々な相互作用の中で合意を作り出し、ゆっくりとバランスの良い成熟した社会を作り上げていったのだと思います(あるいはその一番の功労者は、ヤマト運輸、佐川急便、セブンイレブンかもしれません)。

ですが、それを「ありがたいとしみじみ思うことは、マニラを訪れるまではありませんでした。東京はあまりに馴染みすぎた街だから。

個人が幸せな生活を送るには、個人の自助努力、気持ちの持ちようといったものもあるでしょうが、おおもとにあるのは、どんな社会のどんな時代に生きるかということが大きい。世の中には気持ちの持ちようだけではどうしようもないことがたくさん、あります。

出会ったフィリピン人の若者に、”Oh, You are a lucky person”と言われました。昔なら「そんなことないよ!」と反発したかもしれません。でも、今はその通りだと思います。彼女のいう通りです。50歳の私がこうして健康で文化的な生活し、旅行ができるのは、幸運以外の何物でもありません。

 

そのことをフィリピンが教えてくれました。

 

 

 

 

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