書評」カテゴリーアーカイブ

【書評】貧乏人の経済学ーー金持ちはレールに乗っているだけ?

貧困問題は現代医療の問題と少し似ている。

世界の貧困問題は解決がとてもむずかしい。だから、開発経済の専門家は頭が良く、高学歴だ。開発援助の本は、あたかも動物や病気を観察するようにデータを駆使し、上から目線で貧困や貧乏人を外から眺める。

一方、貧しい国を援助する側の国の人間の私たちも、実際には1日1ドル以下の生活をしたことはないし、現場で貧乏人と遭遇したこともないから、そういう専門家が言うことが正しいのか間違っているのか、よくわからない。

では、「撲滅」すべき貧困の張本人、1日1ドル以下の生活を誰よりも良く知っている貧乏人はどうかというと、彼らは声を上げない。自分で自分のことを外部の人たちに理路整然と説明することができない。貧困を抜け出すのに何が必要かを訴える場もない。

本書は、開発経済の専門家が、「あたかも貧乏人本人が説明するように」貧困を説明した本だ。ユニークなのは、貧乏人の行動の背後のモチベーションに内側からアプローチしているところだ。貧乏人の心のレベルに入って、その行動を説明するのだ。

個人的には次のくだりが心に残った。

  • 人の何ができて何ができないかという期待は、あまりにしばしば自己成就的な予言となる(エリートの子供は親に「できる」と言われるからでいるようになる。子供に自信を持たせることの重要性)
  • 希望の喪失と楽な出口などないという感覚があると、坂道をまた登ろうとするのに必要な自制心を持つのが難しくなる(成功体験と信念の重要性)
  • リスクに直面すると人は不安になり、不安になると緊張して憂鬱となり、集中し、生産性を上げ、合理的判断ができなくなる(安定とリスクヘッジの重要性)

外側から見た紋切り型の常識や固定観念でない貧乏人の動機や原理を個別テーマごとに丁寧に分析することで、「こういうときには、こうしてあげるといいよね。。。。」と丁寧に処方箋を示す。

たとえば、一見、貧乏人は起業の天才のようだが、実はそのビジネスの大半は規模が小さく、収益性が低い。貧乏な親の大半は子供に公務員になってほしいと考えている。必要なのは起業させることではなく中規模企業への資金提供。

食べ物と競合する圧力や欲望が多い中、貧乏人は収入が増えても食事の量や質を改善しない。だから、社会的見返りを得るためには子供と妊婦の栄養摂取に直接投資するべき。

貧乏人は老後のリスクヘッジのために子供を産む。老後の社会保障を充実させれば、子沢山である必要はなくなる。

希望、リスク、信頼、惰性。。。貧乏人の心理メカニズムは私たちと同じだ。彼らはある時は合理的で辛抱強く、ある時は自制心に欠け、不安にとらわれている。

私たちと彼らに違いがあるとすれば、私たちには社会保障、公共のインフラ、銀行や保険へのアクセス、安定した収入などがあり、彼らにはない、ということ。だから金持ちは考え、選択する必要はなく、貧乏人は必死に考え、選択する必要がある。

本を読んで、私自身は随分、いろいろ選択し判断してきたようだけど、明らかに土台の部分が恵まれていて、既存の制度に楽々と乗っかっていたんだなあ、と実感。青年海外協力隊などで、金持ちの国の人が貧乏な国の人に色々なことを教えに行く。でも、実は選択と判断ということでは、貧乏な人の方が金持ちな人に教えることがあるような気がする。生死に関わるようなリスクに日々直面し、意思の力で難しい環境を生きている人はものすごく偉い。レスペクトする。

 

 

 

 

 

 

 

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【書評】バナナと日本人

今も同じなのが驚き

「変化」はニュースで報道されるが、「変わらないこと」は報道されない。世界が大きく変わる中で、この国では古い問題が今もずっと続いていて、むしろ深刻化している。本書は、バナナを通じたミンダナオ島の社会・経済構造のフィールドワークだ。今から35年も前の、多国籍企業による搾取や南北問題なんて、古い。。。。はずだった。が、全然、そんなことはなかった。

フィリピンは21世紀の今も、旧宗主国、多国籍企業、一部の特権階級に収奪され、痛められ、荒っぽいグローバル資本主義に翻弄され続けている。

相変わらず、日本のスーパーはドールやデルモンテブランドのバナナが並んでいて、一房100円。干しマンゴー、パイナップル、家政婦。フィリピン産のものはなんでも安い。

本書から35年。フィリピン経済はやっと成長が始まり、コールセンターなどの外資のBPO拠点の投資が進んでいる。。。と聞いていた。だが、行って見れば、そこで働くフィリピン人の月給は3万円。フィリピン人に与えられている仕事はいずれは人工知能によって代替されるものばかり。インフラが機能不全のマニラはほぼパンク状態で、人々は青息吐息で生きている。

農産品からサービス産
業へとところが変わっても、外国と特権階級による民衆搾取の構造は同じ。

そこへ2017年5月、ミンダナオ島で戒厳令が敷かれた。

「アメリカは俺の国の富を貪った(America lived on the fat of my land)」、「欧米はいつだって二枚舌」とドゥテルテ大統領は怒っている。なぜなのか。本書の丁寧な叙述はそうしたことを理解する助けにもなった。
イロイロシティでの朝食
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【書評】何があっても大丈夫 櫻井よしこ

櫻井よしこさんはもう70代なのに現役バリバリのジャーナリストだ。テレビで見るお姿は、奇跡的に若々しく、頭脳明晰。それでいて清潔で優しげで美しい。ニュースキャスターをされていた頃より透き通った妖精のような美しさを感じさせるほどだ。

 

http://www.jimo2.jp/areanews/index.php?id=2148

個人的にはチベット関係のパーティーで一度、お姿を拝見したことがある。とても華奢な方で、ばっちりブローでヘアスタイルを決めていた。

櫻井よしこさんと、他の凡百の女性を隔てる壁は何か?

その清潔感の源はどこにあるのか?

それが知りたくて、自伝的な迷わない。何があっても大丈夫を読んだ。

彼女の秘密は、小さい時からお母様に言われ続けてきた「何があっても大丈夫」という魔法の言葉だった。夫に捨てられた極貧のシングルマザーの環境に陥っても、妬み、僻み、諦めに偏らず、自己卑下せず、人を恨まず、櫻井よしこさんのお母様の心は奇跡のように清潔なままだった。

人間、「大丈夫」な環境があるから「大丈夫」というのは簡単だ。大抵の人は、「大丈夫」な環境の下でも根拠のない不安と恐怖に押しつぶされて自分の足で一歩を歩みだせない。でも、彼女はほとんど大丈夫じゃない環境で「大丈夫」と呪文を唱え続けて、人生を切り拓いてきた。

結婚して子供を生んでという伝統的生き方を全く否定していなかったのに、結果的に、その人生はまるで修道女のようにストイックなものとなった。彼女のずば抜けた能力と社会的成功には、仕事を追い求めているうちにいくつも家庭を持ってしまうような破天荒でアウトライヤーな父親の血も関わっているに違いない。

ジャンルは違うものの、ひどい幼少時代を送りながら、素晴らしい仕事をし、清潔な人格を開花させた高峰秀子さんや、やはり生まれで苦労しつつも、自分の中の矛盾を統合して素晴らしい能力を社会で発揮したアメリカの前大統領バラク・オバマ氏のことを考えた。

 

 

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【書評】意識のスペクトル ケン・ウィルバー

意識、スピリチュアル、宗教系の本には相性が合う本と合わない本がある。私は感性だけで書かれたポエムお花畑系や人生論、道徳を説いたような本は苦手。かといって、学術的な仏教論理書やガチの古典は歯が立たない。

ケン・ウィルバーの本とはすごぶる相性がいい。。。。この人の書いた本は全部読みたいと思う。ついていきたい、と思う。僭越ながら、理屈っぽさ、間口の広さ、問題意識や方向性、文体、すべてが自分の性分に合っている。

ケン・ウィルバーは、さまざまな賢人や哲学者などの言葉の文脈を説明する水先案内人。いわば、「おまとめキュレーター(と言ってしまうのは失礼かもだが)」なのだが、その整理力、構成力、キュレーションのセンスは尋常ではない。自分で作った構築物の枠組みに端正に賢者の言葉を組み込んでいき、それを通じて自分の主張を積み上げていく。日本では分野は違うが橘玲が似た手法を取っているように思う。

素晴らしいのは、欧米のアカデミックな知的伝統(主に心理学)とインド、中国、日本の東洋的な伝統(仏教、ヴェーダンタ哲学、老荘思想)を消化して、すべてを同じ土俵で語っていること。「アカデミック、西洋哲学、科学」と「オルタナティブ、宗教、スピリチュアル」という二つの違うジャンルだと思われて分断されていたものを(「あれ」と「これ」に分けずに)見事に一つの流れに統合するのだ。

クリシュナムルティ、ユング、グルジェフ、老子だけでなく、プラトン、スピノザ、アウグスティヌス、ヴィトゲンシュタイン。そして、まだ私の読んだことのない、多くの東西の賢者たちの言葉。そこには西洋も東洋も、偽りの対立もなく、まるで見事に調律された重層的なパイプオルガンの音色のようだ。多くのことについて、違う人が同じことを違う言葉で言っていただけなんだ、○○はそういう意味だったんだ。。。。と思う。

本書で徹底して語られるのは、人間の意識が偽りの(幾重もの)二元論に陥っている有様、そしてそれが統合されることの意味である。言葉で語るのがかくも難しいことを、かくも言葉を尽くして、親切に、丁寧に。。。。

もちろん、読むだけで自分の中の二元論が解決したり、苦しみがなくなったりするわけではない。でも、少なくとも心の「メカニズム」の解説として私にとってこれ以上の良書は今のところない。

これで、「万物の歴史」、「グレイス・アンド・グリット」に次ぐ3冊目のケン・ウィルバー。来年は彼の最大の著書Sex, Ecology, Spirituality: The Spirit of Evolutionを読破したい!

 

 

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【書評】グレース・アンド・グリット ケン・ウィルバー

ケン・ウィルバーの「万物の歴史」を読んだ後、こんな書き物を書く人は一体、どんな人物なんだろう?奥さんはどんな人だったんだろう? との一種のミーハー心で手に取った本。

グレース&グリット―愛と魂の軌跡〈上〉グレース&グリット―愛と魂の軌跡〈下〉

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【書評】田舎暮らしができる人できない人 玉村豊男

田舎暮らし、ロハス、スローライフといえば玉村豊男さん、というくらいの有名人の田舎本。

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書評:陰影礼讃

高校生のときに学校で読んだときに、暗闇の中に浮かび上がる羊羹や漆器の色の表現に陶然となった。30年ほどを経て、古い日本家屋の壁にからかみを貼る機会があり、表具屋さんが蓑張りした壁を前に、ふと、もう一度、本書を読み返した。

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「日本の美」が生理的に表現されていて、読んでいるだけで、日本建築の木や樟脳やカビの混ざった匂いやシンプルで静謐な空間を追体験できる。だからこそ古典的名著なのだろう。

紙、羊羹、漆器のほかに、谷崎は日本の厠の素晴らしさを称賛する。読むと体験したいと思うのだが、実際には、どんな田舎や寺社に行っても、本書に登場する木製の清潔な便器にはもう出会えない。料亭の行灯の美しさも、その下で照らされる芸者の顔の美しさも、もう失われてしまったものだ。実際、すでに谷崎がこれを書いた時代(昭和8年)からすでに、伝統的な日本家屋や純日本風の設えは滅びつつあり、谷崎自身の自宅にも実際には赤々とした近代的な電灯が灯っていたという。

ありふれたモノの美しさには誰も気づかず、美しいとされるのは、失われていくものばかり。谷崎なら「醜悪」と退けたに違いない、黒電話や石油ストーブ、ちゃぶ台といった昭和の風物もまた、平成の世では「昭和レトロ」として見直されるようになっている。

あと100年もすれば、LED電球の灯りやホットカーペットなどに滅びゆく美を見いだして、それを書く作家が現れるのだろうか。

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書評:阿修羅の呼吸と身体

朝、起きると30分の軽い体操と短い瞑想をするようになって1年。始めてみると実に手軽で快適なこの習慣。もう一生手放さないだろう。これだけで、風邪は引かないし、心は落ち着くし、お腹ぽっこりは治る。

昨秋にロルフィング10回のコースを体験して、自分の身体の歪みを自覚してからは、とくに背中と腰椎を伸ばし、股関節の可動域を上げることに重点を置くようにしている。あぐらもろくにかけなかった私が、この1年で短時間なら半跏趺坐を組めるようになった。できれば座蒲なしに結跏趺坐が組める身体を手に入れたい。というわけで、東京の五反田で座法を教えておられる勇崎賀雄さんのこの本を読んでみた。 続きを読む

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書評: 旅の指さし会話帳 (65) チベット ここ以外のどこかへ!-アジア

ちょっと忙しくて、ブログ更新の暇がなく、コクリコのAmazon書評からの転送で失礼。チベット語学習2年目。ようやく、チベット文字が判別可能に。いよいよ来年はダラムサラ訪問するぞ!

旅の指さし会話帳 (65) チベット ここ以外のどこかへ!-アジア

チベット語の勉強をしています。チベット語はメジャーな言語と違い、初心者向けの分かり易い教科書がとても少なく、また文字が特殊なので基本単語の読み方のところで挫折気味でした。

こ の本は旅行用ではありますが、基本単語と基本的な言い回しについて、チベット文字でのスペルとおおよその日本語の読み方が書いてあるので、初心者のチベッ ト語の学習に最適です。ベーシックな文法さえ習っていれば、この本一冊で随分、いろいろなことが言えるようになります。また、巻末の索引は辞書としても使 えます。

著者は日本のチベット語研究の第一人者で、チベットの文化的背景にも通じており、内容に信頼が置けます。

 

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