旅行」カテゴリーアーカイブ

フィリピン旅行

時が経つのが早いです。

一ヶ月前のフィリピン旅行の写真を備忘録代わりに下のサイトにまとめました。よかったらご覧になってください。

http://4travel.jp/travelogue/11256631

同じ途上国でも、スリランカは貧しさよりも調和の取れた自然と文化に目が行きましたし、ネパールでは中世都市文化の絢爛さに心奪われました。インドのダラムサラでは仏教の精神文化の気高さを学びました。

それからすると、フィリピンの短い旅で私が学んだものは、グローバル資本主義の荒々しさ、格差社会の実態、そして、その背後にある歴史の根。。。。
グルメ、観光、リゾートの快楽は少ない分、たくさん、考えるための糧をいただいた旅でした。

 

 

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【書評】バナナと日本人

今も同じなのが驚き

「変化」はニュースで報道されるが、「変わらないこと」は報道されない。世界が大きく変わる中で、この国では古い問題が今もずっと続いていて、むしろ深刻化している。本書は、バナナを通じたミンダナオ島の社会・経済構造のフィールドワークだ。今から35年も前の、多国籍企業による搾取や南北問題なんて、古い。。。。はずだった。が、全然、そんなことはなかった。

フィリピンは21世紀の今も、旧宗主国、多国籍企業、一部の特権階級に収奪され、痛められ、荒っぽいグローバル資本主義に翻弄され続けている。

相変わらず、日本のスーパーはドールやデルモンテブランドのバナナが並んでいて、一房100円。干しマンゴー、パイナップル、家政婦。フィリピン産のものはなんでも安い。

本書から35年。フィリピン経済はやっと成長が始まり、コールセンターなどの外資のBPO拠点の投資が進んでいる。。。と聞いていた。だが、行って見れば、そこで働くフィリピン人の月給は3万円。フィリピン人に与えられている仕事はいずれは人工知能によって代替されるものばかり。インフラが機能不全のマニラはほぼパンク状態で、人々は青息吐息で生きている。

農産品からサービス産
業へとところが変わっても、外国と特権階級による民衆搾取の構造は同じ。

そこへ2017年5月、ミンダナオ島で戒厳令が敷かれた。

「アメリカは俺の国の富を貪った(America lived on the fat of my land)」、「欧米はいつだって二枚舌」とドゥテルテ大統領は怒っている。なぜなのか。本書の丁寧な叙述はそうしたことを理解する助けにもなった。
イロイロシティでの朝食
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ダラムサラ旅行⑤——チベット語

ダラムサラで良かったことは、チベット語のシャワーが浴びられたこと。

といっても英語が十分通じるし、なんといってもそこはインドだから、チベット人コミュニティを少しでも離れるとヒンディー語が優勢になる。ここに住むチベット人の大半は、チベット語、英語、ヒンディー語のトリリンガルだ。

チベット亡命政権のお役所の看板は、チベット語、ヒンディー語、英語の3カ国語表示

チベット亡命政権のお役所の看板は、チベット語、ヒンディー語、英語の3カ国語表示

というわけで、実際には朝から晩までチベット語に浸りきるといった状況ではなかったものの、少なくとも、そこにチベット語で生き生きと展開される世界が存在し、自分がそれを垣間見ているという実感はあった。1週間、世界中から集まった人々と共に、ライブラリーの基礎クラスで初歩の発音と綴りを復習することが出来た。これは、ともすれば日本で失われがちだった、チベット語学習の動機付けを取り戻す上では最高の経験だった。

ネパール、ボダナートのチベット語の表示。「サカン=レストラン」という意味。去年は読めなかったが、今年は読める!

ネパール、ボダナートのチベット語の表示。「サカン=レストラン」という意味。去年は読めなかったが、今年は読める!

チベット語を学ぶ動機が失われがちなのは、それがあまりに使い途の乏しい非実用的な言語である反面、語学習得が根気の要る遅々としたプロセスだからだ。

こうした動機の喪失は、世界のマイナー言語を自らの興味と関心に基づいて「趣味」として学ぶ全ての人が陥り易いリスクだろう。何のためにコストと時間をかけて勉強しているのか、自分でも分からなくなってしまう時があるのだ。

愛用のMac PCの「環境設定」で「言語と地域」を選択すると、160あまりの言語名が現れる。70億人の人類が、少なくとも、これだけの別の言語で私のiMacと同じ、アップル社のコンピューターのキーボードを叩いていると考えるとクラクラしてくる。

チベット語を母語とする人は現在、世界で470万人、世界108位の言語。これを第二言語とする人はほとんどおらず、公用語とする国もないという点で、チベット語は超マイナー言語といえる。

チベット語の魅力はチベット文字の美しさの魅力でもある

チベット語の魅力の一つはチベット文字の美しさ

それでも、他のマイナー言語と比べると、チベット語を学ぼうという外国人は多いはず。それは、チベット語がチベット仏教を学ぶための入り口としての言葉だからだ。聖書を学ぶ人がヘブライ語を学び、イスラームを学ぶ人がアラビア語を学ぶように、仏教を学ぶ多くの外国人がチベット語を学んでいる。

私も今回、ダラムサラで仏教講座を聴講し、チベット語でお経が唱えられるようになったらいい、仏教用語がチベット語で理解できたらいいと強く思うようになった。

言うは易し、行うは難し。チベット語は母音の発音が日本語よりずっと豊かで、日本語にない音が沢山ある。中国語のような声調もある。そして、チベット語の表記はかなり難易度が高い。チベット文字は表音文字で、漢字と比べるとずっと数も少ないのだが、発音と綴りが相当、乖離していて、書いてあるものを読むところまで行くことのハードルが極めて高い。あらゆる語学と同じで、ひたすら毎日コツコツと積み上げるのが上達のコツだとは分かるのだが、最大の課題は時間の捻出とモチベーションの維持なのである(チベット語にも英語のようにTOEFLや英検があればいいのに。。。。)

かれこれ2年ほども「ワタシ、ニホンジンデス」のレベルで止まっている私のチベット語。

初級レベルを超えて行くためにはダラムサラで1年くらいエマージョン•プログラムに浸りたいのだが、残念ながらそういうわけにも行かない。東京では、週に1回、2時間の授業を続けるだけで精一杯。

少なくとも、他の言語には浮気せず、ゆっくり地道に勉強を続けたいと思う。

来年の今ごろ、そして10年後、私にはチベット語でどんな世界が見えているのだろうか。。。

 

 

 

 

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ダラムサラ旅行⑤——ライブラリーの仏教講座

決して仏教を学ぶことをメインに据えたわけではなかったのだが、ダラムサラが極めて仏教的な場所だったことから、結果的に今回の旅では仏教についての考察を深めることになった。

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ダラムサラ旅行④——コルラする人々

ダラムサラは、去年のネパール、ボダナート(↓)に次いで、私が訪れたチベット人が多く住む2つ目の場所。

ボダナートではこのストゥーパの回りを多くの人々がコルラ(巡礼路を回る)していた。五体投地しながら回っている人もいた。

ネパールのボダナートではこのストゥーパの回りを多くの人々がコルラ(巡礼路を回る)していた。五体投地しながら回っている人もいた。

ロングヘアを後ろで一本のおさげにして、手に数珠を巻いて、横ストライプのエプロンをしたおばあさんや鳥打帽を冠ったおじいさんなど。写真でしか見たことのな かったリアルの民族衣装の人々が道を通り過ぎる姿は、それだけで眼福、旅の醍醐味。少しすると、たちまち目が慣れてしまうけど。。。

これはダラムサラ。TIPAで行われたショトン•オペラの帰り。

これはダラムサラ。TIPAで行われたショトン•オペラの帰り道。

さらなる旅の醍醐味は、そこに写真では伝わらない匂いや味、光や温度が加わること。お香と土ぼこりの混じった匂いに、人々がモゴモゴと唱える観音菩薩のマントラ「オンマニペフム。。。」の合唱。時々遠くの窓から聞こえてくる僧侶の低い読経の声。これは、マレーシアのペナンの街で、朝、アラビア語のアザーン(礼拝への呼びかけ)の声で目覚めるのに比肩する清心な体験だった。

ちなみに、スリランカ、タイなど、これまで訪れた仏教国で、ボダナートやダラムサラくらいに、街角から濃厚な仏教色が伝わってくる場所はなかった。数ある仏教徒の中でも、とりわけチベット人は仏教にのめり込んでいる民族なのだと実感した。

今回のダラムサラ滞在では、ゲシェ(=仏教博士)の仏教講義を聴講して、チベットの伝統的な仏教哲学の内容と学習方法を垣間みることが出来た。だが、仏教体験ということでは、それと同じかそれ以上に、街全体に漂う人々の民間信仰から感じられるものがあった。

チベットの民間仏教信仰は、なぜか、マニ車を回したり、巡礼路を回ったり、「回る」要素が濃厚だ。マニ車をクルクル回したり、巡礼路を回りながら、お経を唱える。回り、唱えることで功徳を積む。帰依を深める。

http://muza-chan.net/japan/index.php/blog/rare-prayer-wheel  ダラムサラで撮り忘れたので、マニ車の写真を拝借しました。これは何と、日本の寺にあるものだそうです。

http://muza-chan.net/japan/index.php/blog/rare-prayer-wheel ダラムサラで撮り忘れたので、マニ車の写真を拝借しました。これは何と、日本の寺にあるものだそうです。

回る代わりに、私たち日本人は神社でお賽銭をチャリンと入れて柏手を打ったり、お寺の仏像に手を合わせるわけだが、チベット人は「回る」「回す」分、参拝に時間がかかる。それも一回だけではなく、何度でも、回し、回る。そして、回したり、回っているあいだは、ずっと数珠をまさぐりブツブツと唱える。さらに熱心な人は、全身の筋肉を使って五体投地する。五体投地して回ったり、カウンターを持って、回数を数えながら仏前で五体投地し続ける。これだけでも 私たちの淡白な参拝スタイルとは随分、違っている。

さらに、私たちと比べてチベット人は参拝頻度が圧倒的に高い。どの家に行っても仏壇があるし、誰でもとにかく暇さえあれば礼拝し、ブツブツ唱えている感じである。昼間に寺にいるのは老人や小さな子供を連れた母親などが多いものの、夕方になると、仕事帰りの老若男女多くのチベット人が寺を集い、ブツブツ唱え、コルラして、心を整えて一日を終える。。。という感じである。

こうした熱心な信仰の背景には、生前に少しでも多くのコルラをし、マントラを唱え、善行を重ね、功徳を積めば、より良い転生を迎えることができる、という信仰がある。輪廻転生の思想が完全には浸透しておらず、どちらかというと祖先崇拝が強く、神仏に祈る内容は現世利益が多い日本人とチベット人は、そもそも祈る内容や姿勢が違うのかも。。。と思った。

とはいえ、よく考えれば日本にもお百度参りや巡礼の伝統はあるし、熱心な仏教徒はいる。必ずしも日本人とチベット人の信仰心が本質的に異なっているのではなく、違いはむしろ、都会と田舎の人々の信仰心の違いなのかもしれない。仕事やレジャーに多忙な不信心な都会民の代表である私は、わざわざダラムサラまで来て、「忘れてしまった過去の祖先の生活」に単に郷愁を抱いているだけかもしれない。

それでも今回、現地の人に教わりながら、コルラをし、マニ車を回し、五体投地に挑戦し、マントラを唱えてみた。すると気ついたことがある。仏教のシンボリズムへの物理的エクスポージャーの高い生活、身体を使った参拝は、確かに精神衛生やストレスに効く、ということである。

仏教は人生の本質を苦と定義し、悟りによる人類の苦からの解放を解く。その苦の原因となるのが、絶えずこころに浮かんでくる「マイナスの感情」である。私たちのストレスは、このマイナスの感情が元になっていることが多い。こうしたマイナスの感情が発生するメカニズムを探り、それが発生しないようにするための心の訓練が瞑想であるわけだが、一方、そうした瞑想修行が叶わない衆生も、数多くのコルラ、マントラの詠唱、五体投地を心を込めて行い、功徳を積もうとすることで、少なくとも、それを行っている最中は、無駄な欲望やマイナスの感情を抑えられる、というわけである。その理由は単純なもので、人間は1度に二つ以上のことをうまく出来ないからだ。少なくとも参拝している間は、マイナスの感情は中断せざるを得ない。

あるいはイスラム教徒の1日に7回の礼拝の義務とも似ているかもしれない。だが、1日7回の礼拝の義務で得られる最大の効用は、礼拝によって、放っておくと自動的に湧き上がってくる欲望、悪い心やネガティブな感情をそこでリセットして、心を掃除できることにあるのだろう。

そして、チベット人のコルラやマントラ詠唱もそれと似た効果があるのかもしれない。単に歩いたり、回したりすることでは、空や菩提心の哲学といった難解な仏教思想の理解には到達できないかもしれない。しかし、少なくとも、今ここにある、マイナスの感情の流れを中断させ、心をニュートラルな状態に持って行くことが出来る。平安な心の状態を保ち続けることこそが人生で大事なことであり、それよりも重要な物質的、社会的達成なありえないんだよ、という価値観がその根底にはある。

今回、私は初めて現地の多くのチベット人が手にしている数珠を購入してみた。数珠を手首に巻いた旅行客なんて一昔前のヒッピーみたいでイヤだと思っていたのだが、一線を超えてみた。実際に数珠を巻いて、常に手首にそれを感じてまさぐっていると、「仏様を忘れちゃいけないよ」「いつか死ぬことを忘れちゃいけないよ」「自我なんてないんだよ」「怒っちゃだめだよ」と常に心にリフレインが入り、少しだけ心が落ち着くことに気がついた。

たとえ物質的な目標を達成しても、社会的成功を収めても、心がマイナスの感情で満たされていたり、他人を憎んでいたり、孤独感に苛まれるなら、そうした目標達成にはあまり意味がない。「私はあそこで、ああするべきだった」「あの人は何で、このように振る舞うのか?」「将来、こんな風になればいいのに」。無駄なことをクダクダ考え続けるくらいなら、コルラして、五体投地して、マントラを唱えて、そもそもグルグル湧き上がる思念には何ら実質がないという仏様の教えに帰依する方がいい。そんな風に思った。

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少なくとも、無為なネットザッピングやおしゃべりをするくらいならコルラを。ジムでトレッドミルをやるなら、五体投地を。なぜなら、それは、心と身体の両方に効く一挙両得の手段だから。でも日本では五体投地、できる場所、あまりないですよね。。。

 

 

 

 

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ダラムサラ旅行③——国を失った人々

ダラムサラ旅行の過去2回のアップを自分で読み直して改めて思うのは、新しい国や土地を訪れるとき、現地の経済的現実(=物質的豊かさ)に最も敏感な自分自身である。

どんなモノが高いか、安いか。どのようなモノが売れていて、人々がどのようなモノを着て、食べて、暮らしているか。貧しい人はどのくらいいるのか。どのくらい貧しいか。経済は上向いているのか、低迷しているのか。この国は「売り」か、「買い」か。

長年、証券業界で経済に関わる仕事をし、常に経済からモノを見る性分が染み付いているからだろう。また所詮、旅行者の立場では、目に見える人々の暮らし向き以上の内面まで見通すのは難しいのも事実だ。また戦後育ちの典型的日本人である私は、基本的に政治•宗教オンチだということもある。

とはいえ、やはりダラムサラのチベット社会を語るのに、経済的印象だけではあまりに表面的だ。なぜなら、ダラムサラのチベット人社会は国を失った人々の社会だからだ。

モノの安さや自然の美しさにまして私がダラムサラでしみじみ感じたのは、「国を失うこと」の哀しさだった。

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亡命社会が普通の社会と違うところは、前者が「国を失い、他人の国に居候し、いつか自国に戻ることを希求する人々が作っている」社会だということだ。これは政治的社会的に極めて特殊な状況だ。そうした特殊な状況にある亡命「チベット」の支援は、一般的な途上国支援や被災地支援とは全く質的に違うものにならざるを得ない。

どんなにダラムサラの自然環境がのどかで美しく、その開かれた社会が外国人を惹き付けるものであっても、法王様の教えがありがたくても、チベット人が微笑みを絶やさず、穏やかで落ち着いた人々で、その存在がグローバル資本主義に疲れた先進国の人々を癒す存在であっても、ダラムサラは亡命当初から見違えるほど発展し、多くの亡命チベット人の「ふるさと」になっていて、子供たちの教育はかなり先進的なものだとしても、すでにチベット人の大半は経済的な極貧状態を脱していても、そうした全てにかかわらず、<国のない状態に留まり続ける無国籍の人々>が作る亡命チベット社会のリアリティは極めて厳しいと感じられた。

それは、経済的厳しさ以上に、精神的な厳しさである。

あるいは亡命中の人々が抱える精神的な厳しさは、それを体験したことのない者には想像を絶するものかもしれない。

なぜなら、亡命とは、永続的ではない仮の状態だからだ。亡命チベット人は、もう56年も「いつか帰れるかも」「もう帰れないかもしれない」という不安定な仮住まいで落ち着かない生活をしている。

チベットからインドへの亡命者は皆、政治亡命者だ。昔、アイルランドからアメリカに渡った移民や中国からシンガポールに渡った移民のように、祖国で食い詰めて、国を捨てて移民し、そこで新たな国に忠誠を誓い、個人的な幸福を追求する経済的移民ではない(純粋に経済状況で言えば、今となっては一部中国領土内のチベット人の方が亡命チベット人よりずっと富裕だったりするらしい)。

また、見た目が似ているものの、ブータン人、インドのラダック地方の人々、ネパールのシェルパ族のような、いわゆる「チベット文化圏」に生まれたローカルな人々とチベット本土から外国に政治的に亡命した人々は、やはり立場が全く異なっている。

ダライラマ法王と共に、あるいはその後、チベット本土から亡命してきた人々は、「いつか政治状況が改善してチベットに帰れるだろう」と考えて、親戚友人を残したまま出国し、その後も無国籍の暫定状態で闘争を行ったり、事の推移を見守ったりしながら異国で生活してきたわけだ。

そうした暫定状態がかれこれ、56年も続いているのである。

これは精神的にとても疲れることだろう。

無国籍ということは、海外渡航や土地取得といった基本的権利が制限され、居住する国の参政権が与えられず、他人の土地(=インド)に無期限に「居候」状態を続けることを意味する。そうした居心地の悪い「とりあえず。。。。」「いつか。。。」の状態が長々と続き、すでに亡命社会の主流は祖国の土を踏んだことのない二世、三世の時代になっている。ますます強大になり、チベット人の同化政策を進める中国の動向を見れば、「もう帰れないと考えた方が現実的だ」、「もし帰れることがあっても、もう帰らない方が幸せだ」、「どうせ帰らないなら、最も生存条件の良い国で暮らしたい」と考える亡命チベット人が出て来てもおかしくない。そうした亡命者はインドに留まらず、欧米やオーストラリアに移住し、そうした豊かな国の国籍を取得し、そこに根を下し、子孫には個人としての「より明るい未来」を与えようとする。

民族としての団結と分断。いつ、どうなるか分からない不安定かつ暫定的な状況で、亡命チベット人たちは個人として究極の厳しい選択を迫られつつも、集団としては国家のクリティカルマスにほど遠い極めて少ない人口(12万人)の人々が、本土(人口600万人程度)から切り離された状態で、民族としての再生産、アイデンティティ保持と、帰還に向けた政治的闘争において亡命政権を支えて何とか必死に頑張っている、というのが現状である。

もちろんダライ•ラマ法王は先頭で、頑張っておられる。亡命チベット人を指導し、鼓舞しつつも、民族の枠を超えて全人類に慈悲を注ぎ、非暴力と人権擁護で世界に強い影響力を行使している。ダライ•ラマの14回目の転生という政教両面の正統性と、清廉で高貴な言動、姿勢は、固有の民族としてのチベットの統合の象徴として無比のものである。民主的な亡命社会を築き上げ(三権分立と普通選挙が実現している)、かつチベットの伝統の宗教文化を継承し、しかも国際政治でチベット問題が忘れられないよう、一貫して真摯にアピールし続けて来た法王をチベット人は生神様と慕って尊敬している。

だが、その民族の象徴である法王が1980年代に打ち出され、現亡命政権が継承する政策は、「中道アプローチ(middle way policy)」。つまり、中国の圧倒的な国力と占領の既成事実化を背景に、独立への国際的支持が得られない国際社会の現状に鑑みて、中国のチベット占領を容認し、独立を放棄し、中国憲法の枠内でのチベット人の対等な立場での「真の自治」の実現を提案する、というものだ。

http://www.dalailamajapanese.com/messages/middle-way-approach

この政策が実を結べば、法王の帰還は叶い、チベット本土のチベット人の人権状況は大幅に改善されるかもしれない。法王が帰還すれば、多くの亡命チベット人もまた帰還するだろう。だが、亡命チベット人にとって、中道アプローチの実現は、ダライ•ラマ法王も自分自身も、自分たちの子供も「中国人」となることを意味する。同胞を虐殺し、自国の文化を破壊した国に忠誠を誓う国民になることを意味するのだ。

中国領の祖国に帰還し、中国人になる。そんなの絶対いやだ、といって、独立の狼煙を決して下ろさないチベット人がいるのも当然だ。独立派は、決して夢想家なのではない。現実的に考えてチベットの独立が極めて困難なことは重々理解している。だが、民族独立への希求とモメンタムを失い、国を奪った暴力的な敵に自治を与えてくれるようお願いし、その傘下で文化や伝統を維持していくことを期待していくということによって、民族としての気概や精神が失われて行くことの方が危険なことだ。独立派の人々はそう考えるのだ。

http://www.bignewsnetwork.com/index.php/sid/226620737

ダラムサラでは意外なことに、中国領チベット本土のテレビ•チャネルが2つも見られた。そこではチベットの民族舞踊や、チベット語吹き替えの中国のメロドラマなどが放映されていた。

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ダラムサラのチベット人にこうしたチャンネルについて聞いてみた。「ええ、よく見ますよ。でも本土のチベット人のチベット語の発音は中国化してるんですよ。イントネーションが違うんです。それからファッションもちょっと変。中国人と生活しているから、だんだん中国化していているんです。私たちがインド化しているのかもしれないけど」と笑っていた。

異なる体制と状況下で生活していると、最初は同じだった文化や言語、そして価値観さえもジワジワと変質していく。もしかしたら韓国人が北朝鮮の人々に対して覚える感覚なのかもしれない。あるいは日本も太平洋戦争後に北海道がソ連領になっていたら、「北海道の日本語はロシア語化している!」と私たちは思い、北海道の日本人は、「本土の日本語はカタカナの英語混じりで変!」ということになっていたのかもしれない。

本土占領と民族分断の既成事実があまりに長く続くなかで、徐々に色あせて行く独立や帰還への強い思いやモメンタム。暫定的であり、仮住まいであるがゆえに、腰を落ち着けてじっくりと数世代に渡るビジョンを持って、土地に根ざして国作りに邁進できない亡命政権の宙ぶらりん。国と民族を思う気持ちと、個人や家族の安定や幸せを求める気持ちの葛藤。

2008年以降、中国側の国境管理の強化や、ネパールのチベット人への厳しい入国管理などのせいでチベット本土からの亡命者が激減した。そうした中でインドで高等教育を受けた亡命社会のチベット人はダラムサラや居住地に留まらず、海外に流出する傾向にあり、亡命社会では、(文化の砦である)僧侶へのなり手や伝統工芸の担い手が少なくなっているという。

これが亡命社会でない通常の社会なら、村おこしや産業の誘致による地域振興や起業で若者を引き止めようとするモメンタムが働くだろう。だが、もし亡命地での生活の本質が、どれだけ長くなろうとも相変わらず暫定的な根なし草の状態なのだとしたら。より大きな自由や安定を求め、個人でリスクを負って新天地に旅立とうとする若者を誰も引き止めることは出来ない。

だが、新天地に旅立った若者の将来がハッピーエンディングかというと。。。。

やはりそうした若者もまた、移民としての苦労に加え、失われた祖国への思いと、アイデンティティ喪失に苦しむ。

砂のように流れ出しそうな不安定な、小さな亡命社会。それを糊としてかろうじてつなぎとめている80歳のダライ•ラマ法王の存在。

もし、日本が外国に占領されて、私が天皇と共に外国に亡命したたった12万人の日本人の1人だとしたら、私はどう生きるだろうか?天皇陛下はどのように振る舞われるだろうか?亡命した私たちはどのように日本語や、日本文化や伝統を守るだろうか? 日々、多くの同胞が巨大な監獄で民族のアイデンティティを抹殺されていくことをどのように感じるのだろう?

そう考えることで初めて、私たちはチベット問題を身近な問題として感じることが出来るのだと思った。

ここに書いたことはわずか12日間の旅行記にしてはあまりに僭越かもしれない。チベット人の友人が読んだら怒るかもしれないし、事実誤認もあるかもしれない。でも、亡命政権の方々との様々な話や現地で感じた印象が鮮烈なうちに書きたかった。6年間、未熟ながら日本の事務所で亡命政権のニュースリリースの翻訳ボランティアをし、私なりにチベット問題を理解しようとしてきたことに免じて許していただければと思う。

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ダラムサラ旅行①——貨幣価値について

40歳を過ぎてからアジア各地を旅行するようになった。ヨーロッパやアメリカ旅行と比べたときのアジア旅行の魅力は、なんと言っても「お財布に優しい=日本より貨幣価値が低いこと」だ。

美味しいチキンライスがたった200円。1時間のマッサージが1000円。数年前のシンガポール生活で感じたお財布への優しさの実感は、マレーシアやタイ、スリランカ旅行で、さらに強くなった。

お財布への優しさは確実にその国の好印象につながる。

(当時の)シンガポールで概ね日本の8割、東南アジア諸国で概ね、日本の半分程度の物価。それがインドの田舎やネパールになるとほぼ10分の1に下がる。もちろん、インドでもネパールでも国際資本の豪華ホテルに泊まり、ガイドを雇ってトヨタ車で観光し、欧米スタンダードの食事を食べれば、たちまち先進国並みの出費となるわけだが、たとえば、インドのダラムサラのような田舎になると、もはや、そうした先進国スタンダードはお金を出しても手に入らない。どんなに豪華に食べても朝食が500円を超えることはないし、ホテルが一泊数千円を超えることもない。そもそも浴槽の付いたホテルを見つけることすら難しい。華やかなリゾートドレスを着る場所も意味もないし、高価なお土産もサービスもない。

それでいて、欧米パックパッカーが昔から徘徊するこの街は、wifiが完備していてカフェラテやらピザやら、キャロットケーキやらが小洒落たカフェで安価に食べられる。英語も通じるし、治安も悪くない。ダライラマ法王という世界的な精神的指導者が住んでいて、空気は美味しい。世界中の人々が集い、仏教講座やイベントなど、様々な知的刺激がある。

だから当然というべきか。先進国から来た、多くの旅行者がこの街に超長期滞在している。数ヶ月、あるいは数年、あるいは数十年、あるいは、一生。

10日滞在した私なんて、超短い。

先進国で1ヶ月の生活費がここでは1年分か2年分の生活費になる。本国で中流のフツーの欧米人や日本人は、インドの銀行に預金を全部移せば、金利収入で食べていくか、あるいは一生、貯金を取り崩しながら生活できるらしい。あるいは貯蓄がなくても、半年本国で非正規雇用で働き、倹しい生活をすれば、半年、インドを旅行し続けられる。実際、そのようにしている人の何と多いことか。

お金の価値が違うと、時間の流れも違ってくる。

先進国から来た私たちは、毎日の出費を全く気にせず、ゆっくり仏教の勉強をし、お茶を飲み、世界中のいろいろな人々と話をし、チベットやインドの文化や工芸に触れることが出来る。ヨガも仏教もチベット語も、あらゆる習い事が日本とは比べものにならず安い。長期滞在しても、炊事、掃除、洗濯。あらゆるサービス関連人件費が格安だから、些事から解放された、まるで「ギリシャ市民」のような生活が出来る。そうしたサービスすら外注しなければさらに安く暮らせる。どんなに倹しい生活でも、(そもそも贅沢がないのだから)ここではその倹しさによって自分が他人との比較で惨めな気持ちになることはない。どれだけゆったりしたリズムで生活しても、「Time is money」ではないから、もはやシステムから「脱落」することはない。お財布への優しさに加え、ここには全てを包み込む仏教的優しさと寛容、経済的価値を突き抜けた人々の明朗な心がある。居心地が悪いわけがない。

本国のメインストリームから自発的にドロップアウトした外国人が、そうやってここに魅せられてやってくる。

ダラムサラに集まる理由、モチベーション、状況は、さまざまだが、外国人観光客であればどのような人でも「先進国に生まれ、先進国で教育を受けた」というだけで、現地の人には超えがたい優位性を手にしているのは事実である。そういう外人と日常的に接することで、現地の若者は外国に憧れるようになる。外国人の高潔な人格や優しさや文化的優位性によってではない。彼らを通じて、金があれば自由が手に入ること、外国では働いて得られる貨幣価値が違うということを学ぶ。そして自由に憧れ、経済力を得たいと考える。

ましてや国を失った亡命チベット人であれば、なおさらである。

貨幣価値とはなんと残酷なものか。

お隣の秘境の国ブータンは、一日200ドルを払える金持ち観光客だけに入国を制限していると聞いたことがある。「(伝統的価値を浸食する)バックパッカーなんて要らない」というきっぱりとした方針には当局の強い方針と賢明さを感じる。

ダラムサラは田舎だからのんびりしているが、もちろん、全ての人が余裕のあるゆったりした時間を生きているわけではなかった。

日々の衣食住を満たすにカツカツの賃金でゲストハウスで働く少年たちや、子供をおぶりながら土木建築に汗を流す女性たち。毎日、黙々 と露天でパンを焼き続ける老人。底辺の人たち。物乞い。英語を流暢に話し、ネットを通じて外国の情報に十分に接し、グローバル資本主義の仕組みを理解し、虎視眈々と国外脱出の機会を求め、先進国女性をナンパする現地男性。

貨幣価値の高い 国に生まれ、閑暇に恵まれ、たまたまチベット亡命社会に関心を持って旅をした偶然によって、こうした人と出会う。モノや人々の賃金の安さに最初は驚く。でも次第に慣れて強い通貨の国から来た人間である自分に馴染んでいく。

滞在の最後の方に、なぜか「がんばらなきゃ」とつぶやいている自分がいた。

何を頑張るの?

亡命チベットを「支援」し、仏教を「勉強」する「余裕」がある「先進国の人間」であり続けるために頑張る。またここを訪れられるよう頑張る。

日本円の貨幣価値が下がらないように?格差が永続的であるように?

ああ、何て私は傲慢なんだろう。

ダラムサラではいろいろなことを考えたが、一番良く考えたのが貨幣価値のことだった。

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美しい山合いの街、ダラムサラ。

美しい山合いの街、ダラムサラ。ちょっとスイスみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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貧しさと大気汚染

隘路の先に突然、現れるカトマンズの中心街のダルバール広場の美しさには息を飲んだ。

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建物はどれも高層かつ壮麗で細部まで細工が施され、シルエットも色もエレガントで美しい。広場は実にひろびろとしていて、人々がくつろいだり、モノを売ったり、おしゃべりするスペースが至ところにある。

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カトマンズの都市の造形はアジア的というよりヨーロッパ的。フィレンツェやパリとも似ている。

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カトマンズは昔からインド、ネパール、中国の重要な交易路だった。このような広場が作られた15〜16世紀のカトマンズはどんなに洗練され繁栄した都市だったのだろう。

ああ、それなのに…

観光写真に映らないのは、ひっききりなしのオートバイのクラクションの音と、人や動物の往来が生む混乱。粉塵で満ちた大気。ごみの腐臭。

道行くカトマンズの市民の大半はマスク姿。世界中で最も大気汚染が深刻な都市は北京かデリーと聞いていたが、本当はカトマンズではないかと思うほど。これより悪い空気はちょっと想像できない。

カトマンズの大気汚染の主因は、舗装されていない道路の粉塵、ディーゼル規制の欠如、郊外の建築ラッシュだそうだ。そして悪さをするのが盆地地形。ヒマラヤの山々に囲まれているせいで風邪が流れず、盆地全体が絶えず排ガスにすっぽり覆われた状態だそうだ。

これまで公害や空気の悪さは産業の発達や人々の生活水準の向上と関係があると聞いてきた。

だから、高度成長が続いて自動車が増えている中国の首都、北京の空気が悪いのは理解できる。

でも、なぜカトマンズ?

ネパールは世界最貧国の一つだ。首都カトマンズの庶民の生活水準はとても低い。中世からあまり変わっていないように見える。街に水や空気を汚す重工業の工場は皆無だ。高速道路もなく、自動車も少ない。一日の3分の2が停電しているこの街にはエアコンも暖房もガス湯沸かし器もない。隘路にトラックが入れないから、物流の担い手は人力だ。庶民は葉っぱで作られた皿に載った野菜中心の簡素な食事をする。服も家も簡素だ。水洗い場で沐浴し、洗濯板で洗濯をする。プラスチック製品が少ない。すごくエコな生活だ。ネパール人の一人当たり二酸化炭素排出量は恐らく日本人の数パーセント程度だろう。

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そんな自然でエコで倹しい人々の住む街の空気が最悪なんてすごいパラドクスだ。

ヒマラヤ地方全体の環境は中長期的に劣化しており、その主因は人口爆発だそうだ(この本参照。ネパールの人口はこの20年間で2000万人から3000万人に増えた)。またカトマンズでは都市計画や規制が全くないか、あっても機能していないように見える。

世界一、石油を浪費する人工的なアメリカの都市はどこも整然として美しかった。ホノルルもサンフランシスコも大気汚染なんてない。ネバダ州のフーバーダムの建設は大変な自然破壊に違いないが、それによって深刻な副作用が生まれたとも聞かない。砂上の楼閣ラスベガスは今日も大量の石油を浪費し、ガンガン大量の無駄を生みながら、大繁栄を続けていて、神の罰が当ったとは聞かない。。

Back Camera

ヨーロッパや日本も、過去の問題のある時期を経て、今は国民の高い生活水準と衛生的な環境が再生産されている。空気が綺麗なことは当たり前のことだ。

贅沢で清浄で静寂で快適な環境を享受しながら、エコや自然を語る先進国の人たち。生活水準が向上しないまま身を守る術のないまま、汚染された環境に晒されて、健康を害してもその日その日をサバイバルするしかない貧しい国の人たち。

ギャップが大きすぎる…

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ネパール:民族と宗教の境界線

ネパールのアクセサリーには、①仏教徒のモンゴロイド系のターコイズとシルバーとコーラル、②ヒンズー教徒のアーリア系のグリーンとレッドのビーズとゴールドがあると前回記事に書いた。

これが仏教系↓

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これがヒンズー教系↓

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でも多分、私の分類はあまりに雑すぎる。というのも、ネパールはネワール族、ブラーマン族、チェトリ族、グルン族、タルー族、チベット族、シェルパ族など民族が多くあり、民族によって言葉も習俗も違う。イスラム教徒もいる。日本の4割程度の山がちな国土に30以上の違う言葉を話す人たちが共存しているからだ。

外国人の私には、「インド人っぽい浅黒い人」、「日本人に似た平べったい顔の人」の2つの顔立ちしか区別が付かない。インドっぽい人はだいたいヒンズー教を信仰しているようだ。平べったい顔の人は数珠を持ってチベット仏教徒っぽい。前者が「インドアーリア語派」で、後者が「チベットビルマ語族」だ。

でもそうした区別は便宜上のものに過ぎない。平べったいモンゴロイド系でも朱を額に塗ってパンジャビスーツを着て道端のガネーシャやシバ神に祈っている人が沢山いた。インド人ぽい人も仏教寺院でマニ車を回していたり、家の中にダライラマ法王の写真を飾っていた。インド系とモンゴロイド系の中間みたいな顔でどちらにも分類できない人も多い。目に色が青い人もいる。ヒマラヤ地方の民族と宗教の境界線は私が思ったよりずっと複雑で重層的で、外に目に見えにくいものだった。

ヒンズー教の神様。シバ神と奥さんのパールバティ女神

ヒンズー教の神様。シバ神と奥さんのパールバティ女神

カトマンズ郊外の仏教の聖地ボディナートに行くと途端にチベットの民族衣装の人が多く見られるようになり、チベット文字の店、タンカや仏具を売る店が並んでいた。チベットサポーターで、チベット文化を知ることが旅の目的の1つだった私にとっては、「やった!やっとチベット文化圏に来た!」と嬉しくなった。が、早速、店に入って「タシデレ(チベット語でこんにちは)」と話しかけると、「ナマステ(ネパール語でこんにちは)」と応酬された。そのチベット家具店の若いイケメンの主人は「チベット族」ではなく「シェルパ族」だった。何もチベタン•グッズを作ったり売ったりしている店がチベット人によって経営されているわけではないのだ。

チベット仏教の聖地、ボディナート

チベット仏教の聖地、ボディナート

ネパールの山岳民族のシェルパは宗教も言語もチベットと似ているという。でも、そのシェルパ族の店主は「シェルパはチベット人と全然、違うよ」と明言した。あるいはアメリカ人から見たら同じように見える韓国人と日本人が本人たちから見たら別物であるくらいの違いがあるのかもしれない。

シェルパ人の店主は、「ボディナートに巡礼に来る人にはいろいろな人がいるよ。顔とか仕草で違いが分かるから、教えてあげる」と言って、道行くカラフルな民族衣装の人々を私と一緒に眺めながら、「あのおばあさんはグルン」「これは…多分、本土から来たチベット人」「あれはブータン人」と教えてくれた。私には違いがまるで分からなくて途方に暮れた。

アメリカなら、黒人、アジア系、白人系、ラテン系などの民族の違いは基本的に顔を見れば一目瞭然なのに。シンガポールでも、マレー系、中国系、インド系の違いは分かりやすい。スリランカですら、シンハリ人とタミール人の違いは文字の違いや女性のサリーの着方の違いなどから分かった。それに対してこのヒマラヤの小国の民族構成は実に複雑。微妙なグラデーションが重なり合い、徐々にズレていくような不思議な坩堝なのだ。違いが分かるようになるには、1年も腰を落ち着けて住み、土地の言葉を理解する必要がありそうだ。

「ネパールの人々は皆、仲良し。違う宗教や習俗を尊重する。他人を対立したり迫害したりしない」とタメル街のイスラム教徒の宝石店主は胸を張っていた。それは恐らく本当なのだろう。誰もが少しずつ違うが、誰もが少数民族で、似たような食物の禁忌の習慣を持ってダルバートやモモを食べている。誰もが信心深く、輪廻天生を信じ、沢山の神々が街角にいる。そして政治の無策のせいで、どの民族も大半の庶民が血縁で結ばれた中世そのままのような生活をしている。ここはまだ国民国家が生まれる前の世界なのだ。

むしろ違いは国と国の間の経済格差から生まれるのかもしれない。1959年のチベット動乱を逃れてネパールに亡命して住み着いたチベット二世の骨董店主は、「今や最大の顧客はチベット本土の裕福なチベット人。今、カトマンズの骨董を買うのは欧米の観光客じゃない。ネパールは人件費が安いから骨董品のコピーが安価に作られている。それを本土のチベット人が中国から買い付けにくるんだ。我々は恩恵を受けている」と言っていた。ネパールにとって中国の経済ブームの影響は極めて大きいようである。

ネパールに行って分かった収穫は、チベットとは私が日本で抽象的に捉えていた一枚岩の定義では括れないものだと分かったことだ。チベット仏教徒は必ずしもチベット人ではない。チベット人は必ずしもチベット語を話さない。その国籍はネパール人だったり、インド人だったり、中国人だったりする。金持ちなチベット人、貧しいチベット人、インテリのチベット人、無学なチベット人がいる。政治的に先鋭なチベット人もいれば、ノンポリなチベット人もいる。その多様さはユダヤ人にも似ている? 民族の境と国境がほぼ完全に一致する日本に住む私たちには想像しにくい多様さだ。

「チベット文化圏」を見たのは、今回、雲南省デチェンに次いで2度め。今回訪問したのはカトマンズだけ。ネパール第二の都市でチベット系住民が多いとされるポカラすら訪れなかった。

ネパールの他の地域、チベット本土、ブータン、バングラデシュ、北インド、南インド、西インド、東インド。まだまだ訪れたいところが沢山ある。多分、訪れれば訪れるほど、謎が深まり、また訪れたくなってしまうんだろう。

 

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