チベット」カテゴリーアーカイブ

チベット旅行で思ったこと、感じたこと(3) 回る人たち

ようやく秋らしい陽気になってきました。

最近は、ハロウィンのジャックオランタンのカボチャがすっかり、この季節の風物詩になりましたね。暖色系の服を着て、食べ物はクリやカボチャのようにポクポクしたものが食べたくなります。そろそろ衣替えしないと。

集広舎さんのコラム、9回目を更新しました。

よかったらお読みになってください。

 

 

チベット旅行で思ったこと、感じたこと ③ 回る人たち

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チベットで見たこと、思ったこと(2) 爆、爆、爆!

長雨、台風が続いた9月が終わり、今日から10月。

やっと気持ちの良い陽気の季節となりましたが、今年も残すところあと3ヶ月とは唖然としてしまいます。

チベット旅行の2本目の記事です。良かったらお読みください。

チベットで見たこと、思ったこと② 爆、爆、爆!

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チベットで見たこと、思ったこと

ようやく、長く暑い夏が終わろうとしています。

夏休み後半、チベット自治区を旅行しました。

集光舎さんにコラムを載せました。これから4〜5回に分けて思ったことなど、書きたいと思います。よかったらお読みになってください。

下山明子

 

チベットで見たこと、思ったこと ①

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集広舎さんのサイトにコラムが載りました。

こんにちは。梅雨らしい陽気が続いていますね。

ダライ・ラマ法王スピーチ集」でお世話になった出版社、集広舎さんのサイトにコラムを載せていただきました。良かったらご覧になってください。

下山明子

体育会系のチベット人

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新刊:ダライ・ラマの『楽観主義でいこう!』と『声明』

遅ればせながら、去る11月14日に本が刊行されました。ダライ・ラマ法王のスピーチから、名文句や勇気付けられるくだりをピックアップして、英日併記し、同じ内容の録音をCDにまとめたものです。

これまで日常生活のかたわら、これまで10年弱、チベットハウス(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所)のボランティア翻訳をしてきました。チベットハウスのニュースリリースや、内部資料、それにこうした小冊子の翻訳などをしてきました。

それが今回、こういう形に結実しました。

法王の数多くのスピーチから選んでテキストをピックアップし、翻訳するのが私の主な役割でした。それに加え、私自身がチベットとなぜ関わり始めたか、非ネイティブが英語を話すとはどういうことか、フランス語の思い出など、私のちょっと私的なスモールエッセーも入っています。

小さな本ですが、ダライ・ラマ法王という人が何を考えて、何を言いたいのかが、わかりやすく単刀直入にまとまっていると自負しています。ぜひ、お手に取っていただけたら幸いです。

また、今回、ダライ・ラマ法王の言葉とずっと付き合う中で、「なぜ、こういうことを言うのか?」「それは、実際の生活とどう関わるのか?」とずいぶん、自問しました。それについては、折に触れてこのブログで書いていけたらと思っています。

さらに、もし、この本を読んで、チベットへの興味が高まったら、ぜひ、こちらに進んでください!

これもまた、ダライ・ラマ法王の言葉をまとめた本。新刊ほやほやです。

こちらは上級編。原書は毎年の3月10日のチベット蜂起記念日の法王のスピーチをチベット亡命政権が編纂したものです。

1961年から2011年までの一つ一つの声明は、その時点でのチベット人と国際社会に対する法王の政治的メッセージです。

あまり一般には知られていない、第一級の政治家としてのダライ・ラマ法王の側面を垣間見ることができます。

翻訳は、私と同じくチベットハウスのボランティア翻訳をされている小池美和さんが担当されています。

スピリチュアル的存在としての名声と比べると、1959年にインドに亡命してから、国家元首としてのダライ・ラマ法王が率いる亡命政権は何を考え、どう行動してきたのかということはあまり知られていません。過去50余年のダラムサラでの日々が、実に汗と涙と困難と忍耐の連続で、スリリングな面もあったことがわかります。

本土への残留組と亡命組に分かれた国民をまとめていく大変さ、刻々と移り変わる世界情勢の中で立ち位置を決めていく大変さ。。。

本書は歴史的資料としての価値が高く、チベット問題の本質を理解したい人や、中国の現代史、アジアの国際関係などを研究する人々にとって、今後、必読書となる予感がします(ダライ・ラマ法王の秘蔵写真もてんこ盛りです!)。

『ダライ・ラマの英語スピーチ集』、『声明』。いずれも福岡の出版社である集広舎さんが版元。

集広舎さんはこれまでも、ツェリン・オーセルさんの本や、中原一博さんの本など、あまり大衆受けしないチベットの政治関連本を勇敢に出版なさってきた出版社です。

この2冊に加え、数奇な運命を辿り、アメリカに亡命したモンゴル人名僧アジャリンポチェの回想録を加え、今秋、何と三冊のチベット関連本を連続して出版されました。社長の川端さんは九州男、太っ腹!

今回、素晴らしい方々と協力して仕事ができ、たくさんの気づきを得ることができました。

これからも楽観主義でやっていこうと思います!

引き続きよろしくお願いします。

 

 

 

 

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中国旅行(2):チベット、夏河、ラブラン寺

2008年の騒乱以降、チベット自治区内は外国人は個人旅行ができなくなっている。だが、それ以外の「チベット文化圏」の旅行は自由だ。15日以内の中国旅行の枠内でノービザで行くことができる。

チベット人人口の半分程度はチベット自治区以外に住んでいる。チベット文化圏はチベット自治区(TAR)以外にも、四川省、雲南省、青海省、甘粛省に広がっている。

https://tibetantrekking.com/wp-content/uploads/Tibet-Map-Large.jpg
AmdorとKhamの地域はチベット自治区に入っていないチベット文化圏

というわけで、今回は甘粛省の甘南蔵族自治区を訪問した。

私にとって2度目の「中国国内」チベット文化圏の訪問だ。

甘粛省の州都、蘭州を9時に出発して車で南西に進む。

蘭州駅。敦煌から高速列車で着く駅はこの旧駅から1時間ほども離れたところにある新しい駅だった。

途中、モスクが点在する回族の居住区(臨夏回族自治州)の永靖で回族料理のランチを食べた。

中華料理だが、豚肉の代わりに羊肉、ご飯の代わりにパン。。み物は、ジャスミン茶にナツメや氷砂糖などをいれたものだった。イスラム教徒の店なのでビールはなし。

羊肉は生のニンニクと一緒に食べるとよいとのこと。

 

見た目は綺麗だが、味は薄くてそんなに美味しくなかった

出発前はウィグル族と回族の違いすらわからなかったが、旅行しているあいだにわかるようになった。

回族はイスラム教徒だが中国語が母語。漢族と雑居している。

回族の清真料理のレストランは中国の至るところにある。日本にないのが不思議なくらい?回族の男性は白い帽子をかぶって、地味な服を着ている。

一方のウィグル族はトルコ系でウィグル語。主に新疆ウィグル自治区にまとまって住んでいる。

3時くらいにチベット文化圏、夏河(サンチュ)に到着した。チベット人の居住地域が近づくごとに高度が上がり、気温が下がり、快適な草原地帯になる。サンチュは標高2900メートル。さいわい、家族の誰も高山病の症状はほとんど出なかった。

中国の平原はどこも夏、暑いから、涼しい草原地帯のチベットは漢民族にとっても格好の行楽地になっている。

中国はマス・ツーリズムが爆発中。マイカーの個人旅行も多い。

ラブラン寺の前には広大な駐車場と巨大なレストランが整備されていた。

遊牧民の生活様式、チベット仏教の深い信仰、独特のランドスケープ。チベットは、日本人にとってと同じくらい、中国人にもエギゾチックなのだと思う(中国にもチベットにハマる若者がいるらしい。「蔵漂」と言うそうだ)。

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征服民は、非征服民を完全に支配し、人畜無害化する。そうしてしまったあとで初めて、「ここには何かがある!」とその文化が愛せるようになるのかもしれない。

ラブラン寺の周辺の草原では、チベット人遊牧民の定住政策が進められていた。

遊牧生活で家畜が草を食べ過ぎると草原の環境に悪い影響を与えるから、放牧地域を制限している、というのが中国の公式の説明だ。

一方、インドのチベット亡命政権は、「ちがう。数千年のあいだ、チベットの遊牧民こそ草原をサステイナブルに管理してきた。チベット人を置き去りにした中国による採掘や漢民族の移住、鉄道や軍事施設の建設が環境破壊をもたらしている。チベット草原を遊牧民の手に返せ!」と主張している。

中国がチベット族遊牧民による抗議を激しく鎮圧

 

中国は遊牧民を「近代化」し、その生活水準を引き上げようとしている。

どんな国も、国民の生活を「近代化」し、その生活水準を引き上げようとするものだ。

そして、「近代化」の度合いは、年収や識字率や医療へのアクセスや平均寿命によって測られる。

かりにチベットが独立国だったとしても、やはり自国を近代化しただろう。だから、遊牧民の生活は、たとえ中国の関与がなくてもやはり、昔ながらのままではないだろう。

歴史を紐解けば、遊牧民が農耕民族を圧倒した時代もある。むしろ、その時代の方が長いほどだ。モンゴルの遊牧民は中国に侵入し、そこの農民の生活を見て、不潔で暑苦しい環境でチマチマと暮らしている中国人を心から軽蔑した、という。

だが、時代が進んで近代になると、遊牧民の分はどんどん悪くなっていった。

「この人たちは計算ができない。怠け者だし仕事が遅い。祈ってばかりで非生産的。一生お風呂に入らない人もいる。女性はパンツも履いていないし、家にはトイレもないのよ」ーー若い美人の中国人ガイドはチベット人についてそう言った。

定住して遊牧しなければ、一世代で遊牧のし方も完全に忘れてしまうだろう。

1日中、やることがなく、ブラブラと定住地区を手持ち無沙汰にうろつく若者たち。観光客に踊りを見えたり、馬乗りをさせたり、テントの中でチベット服で写真撮影することでかろうじて現金収入を得る人たち。その横で大量の観光客向けの大規模な土産屋を牛耳っているのは漢民族ばかり。

 

アリゾナを旅行したときに見た、インディアン居住区のインディアンと似ていた。

物質的には良くなっている。でも文化や自活力は刻々と失われている。

プライドや自主性を剥ぎ取られ、茹でガエルのように二級市民、見世物としての存在に落とし込まれていく。言葉も、コミュニティも、協力し、再生産していく力も考える力も剥ぎ取られていく。。。

2010年以降、焼身自殺を選ぶチベットの若者が理由がなんとなく理解できるような気がした。

焼身自殺しか策がないチベットの悲劇

もし、チベットが独立国で、チベット人がチベット高原を自分の国として管理していたら、彼らはどのように暮らしていたのだろうか?

もし、これから中国から独立を勝ち得たら、チベット人はチベットをどんな国にしようとするだろう?

中国が分裂したら?

そんなことを考えながら、草原を歩いた。

遊牧民は、踊りを踊ったり、馬に観光客を乗せたり、「観光」が生きる道担っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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チベットと私

私は基本的に主婦+翻訳業ですが、チベット亡命政権(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所)の翻訳ボランティアとカワチェンでのチベット語の勉強も生活の一部です。

チベットと関わるきっかけは、シンガポールに住んでいた2008年に、日本のチベットハウスのホームページ上の「チベット旅行者のための状況説明書」を翻訳したことでした。

以来、チベット問題、チベット仏教、チベット語、チベット文化にチベット料理。チベットについて少しずつ学んでは驚いたり、面白がってきました。チベット人の知り合いも少しずつ増えました。

一昨年、ダラムサラを訪問したとき。チベット亡命政権情報国際関係のプロトコール担当官ソナムさんと私。

ダラムサラの図書館で会った人たち

組織に属さず、専門家でもない無名の私がチベットのことを発信しても、誰に届くのか心もとない。チベットというマイナーなジャンルへの引け目、筆力や知識の乏しさ、深刻かつ重大な側面のある情報を私的ブログで発信することへのためらいもあり、これまであまり書けないできました。

でも、思えばずいぶん長くチベットに関心を持っている。チベットの方々から色々なことを教えていただいた。チベットを通じて、インドや中国にも興味を持つようになった。多分、これからもずっとチベットに関心を持ち続けるだろう。一サポーターとしての立場を踏まえつつ、これから、もっとチベット語を学び、本を読み、積極的に旅行し、人と出会い、話し、感じたことがあればそれをまとめ、他の人ともっと分かちあいたいと思っています。

日本人とチベット人は顔が似ているし、言葉も似ています。日本人とチベット人を個人で比べるとそんなに変わりません。亡命チベット人は皆、数カ国語を操るし、バイタリティがあります。インテリで弁のたつ人も多い。にもかかわらず民族、社会、集団として見るとチベットの置かれた状況はあまりに綱渡り的に厳しいものです。

チベットを知ることで、自分の住む日本という国の成り立ちにも関心を持つようになりました。

ダライ・ラマ法王のお兄さんギャロ・トゥンデュップさんの自伝を一部抄訳してをまとめてアップしました(こちら)。翻訳出版してくださるところを見つけたいのですが、なかなか見つかりません。良かったらご覧になってください。チベット問題と国際関係の複雑さがわかります。

自伝の拙評はこちらです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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