チベット」カテゴリーアーカイブ

新刊:ダライ・ラマの『楽観主義でいこう!』と『声明』

遅ればせながら、去る11月14日に本が刊行されました。ダライ・ラマ法王のスピーチから、名文句や勇気付けられるくだりをピックアップして、英日併記し、同じ内容の録音をCDにまとめたものです。

これまで日常生活のかたわら、これまで10年弱、チベットハウス(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所)のボランティア翻訳をしてきました。チベットハウスのニュースリリースや、内部資料、それにこうした小冊子の翻訳などをしてきました。

それが今回、こういう形に結実しました。

法王の数多くのスピーチから選んでテキストをピックアップし、翻訳するのが私の主な役割でした。それに加え、私自身がチベットとなぜ関わり始めたか、非ネイティブが英語を話すとはどういうことか、フランス語の思い出など、私のちょっと私的なスモールエッセーも入っています。

小さな本ですが、ダライ・ラマ法王という人が何を考えて、何を言いたいのかが、わかりやすく単刀直入にまとまっていると自負しています。ぜひ、お手に取っていただけたら幸いです。

また、今回、ダライ・ラマ法王の言葉とずっと付き合う中で、「なぜ、こういうことを言うのか?」「それは、実際の生活とどう関わるのか?」とずいぶん、自問しました。それについては、折に触れてこのブログで書いていけたらと思っています。

さらに、もし、この本を読んで、チベットへの興味が高まったら、ぜひ、こちらに進んでください!

これもまた、ダライ・ラマ法王の言葉をまとめた本。新刊ほやほやです。

こちらは上級編。原書は毎年の3月10日のチベット蜂起記念日の法王のスピーチをチベット亡命政権が編纂したものです。

1961年から2011年までの一つ一つの声明は、その時点でのチベット人と国際社会に対する法王の政治的メッセージです。

あまり一般には知られていない、第一級の政治家としてのダライ・ラマ法王の側面を垣間見ることができます。

翻訳は、私と同じくチベットハウスのボランティア翻訳をされている小池美和さんが担当されています。

スピリチュアル的存在としての名声と比べると、1959年にインドに亡命してから、国家元首としてのダライ・ラマ法王が率いる亡命政権は何を考え、どう行動してきたのかということはあまり知られていません。過去50余年のダラムサラでの日々が、実に汗と涙と困難と忍耐の連続で、スリリングな面もあったことがわかります。

本土への残留組と亡命組に分かれた国民をまとめていく大変さ、刻々と移り変わる世界情勢の中で立ち位置を決めていく大変さ。。。

本書は歴史的資料としての価値が高く、チベット問題の本質を理解したい人や、中国の現代史、アジアの国際関係などを研究する人々にとって、今後、必読書となる予感がします(ダライ・ラマ法王の秘蔵写真もてんこ盛りです!)。

『ダライ・ラマの英語スピーチ集』、『声明』。いずれも福岡の出版社である集広舎さんが版元。

集広舎さんはこれまでも、ツェリン・オーセルさんの本や、中原一博さんの本など、あまり大衆受けしないチベットの政治関連本を勇敢に出版なさってきた出版社です。

この2冊に加え、数奇な運命を辿り、アメリカに亡命したモンゴル人名僧アジャリンポチェの回想録を加え、今秋、何と三冊のチベット関連本を連続して出版されました。社長の川端さんは九州男、太っ腹!

今回、素晴らしい方々と協力して仕事ができ、たくさんの気づきを得ることができました。

これからも楽観主義でやっていこうと思います!

引き続きよろしくお願いします。

 

 

 

 

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中国旅行(2):チベット、夏河、ラブラン寺

2008年の騒乱以降、チベット自治区内は外国人は個人旅行ができなくなっている。だが、それ以外の「チベット文化圏」の旅行は自由だ。15日以内の中国旅行の枠内でノービザで行くことができる。

チベット人人口の半分程度はチベット自治区以外に住んでいる。チベット文化圏はチベット自治区(TAR)以外にも、四川省、雲南省、青海省、甘粛省に広がっている。

https://tibetantrekking.com/wp-content/uploads/Tibet-Map-Large.jpg
AmdorとKhamの地域はチベット自治区に入っていないチベット文化圏

というわけで、今回は甘粛省の甘南蔵族自治区を訪問した。

私にとって2度目の「中国国内」チベット文化圏の訪問だ。

甘粛省の州都、蘭州を9時に出発して車で南西に進む。

蘭州駅。敦煌から高速列車で着く駅はこの旧駅から1時間ほども離れたところにある新しい駅だった。

途中、モスクが点在する回族の居住区(臨夏回族自治州)の永靖で回族料理のランチを食べた。

中華料理だが、豚肉の代わりに羊肉、ご飯の代わりにパン。。み物は、ジャスミン茶にナツメや氷砂糖などをいれたものだった。イスラム教徒の店なのでビールはなし。

羊肉は生のニンニクと一緒に食べるとよいとのこと。

 

見た目は綺麗だが、味は薄くてそんなに美味しくなかった

出発前はウィグル族と回族の違いすらわからなかったが、旅行しているあいだにわかるようになった。

回族はイスラム教徒だが中国語が母語。漢族と雑居している。

回族の清真料理のレストランは中国の至るところにある。日本にないのが不思議なくらい?回族の男性は白い帽子をかぶって、地味な服を着ている。

一方のウィグル族はトルコ系でウィグル語。主に新疆ウィグル自治区にまとまって住んでいる。

3時くらいにチベット文化圏、夏河(サンチュ)に到着した。チベット人の居住地域が近づくごとに高度が上がり、気温が下がり、快適な草原地帯になる。サンチュは標高2900メートル。さいわい、家族の誰も高山病の症状はほとんど出なかった。

中国の平原はどこも夏、暑いから、涼しい草原地帯のチベットは漢民族にとっても格好の行楽地になっている。

中国はマス・ツーリズムが爆発中。マイカーの個人旅行も多い。

ラブラン寺の前には広大な駐車場と巨大なレストランが整備されていた。

遊牧民の生活様式、チベット仏教の深い信仰、独特のランドスケープ。チベットは、日本人にとってと同じくらい、中国人にもエギゾチックなのだと思う(中国にもチベットにハマる若者がいるらしい。「蔵漂」と言うそうだ)。

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征服民は、非征服民を完全に支配し、人畜無害化する。そうしてしまったあとで初めて、「ここには何かがある!」とその文化が愛せるようになるのかもしれない。

ラブラン寺の周辺の草原では、チベット人遊牧民の定住政策が進められていた。

遊牧生活で家畜が草を食べ過ぎると草原の環境に悪い影響を与えるから、放牧地域を制限している、というのが中国の公式の説明だ。

一方、インドのチベット亡命政権は、「ちがう。数千年のあいだ、チベットの遊牧民こそ草原をサステイナブルに管理してきた。チベット人を置き去りにした中国による採掘や漢民族の移住、鉄道や軍事施設の建設が環境破壊をもたらしている。チベット草原を遊牧民の手に返せ!」と主張している。

中国がチベット族遊牧民による抗議を激しく鎮圧

 

中国は遊牧民を「近代化」し、その生活水準を引き上げようとしている。

どんな国も、国民の生活を「近代化」し、その生活水準を引き上げようとするものだ。

そして、「近代化」の度合いは、年収や識字率や医療へのアクセスや平均寿命によって測られる。

かりにチベットが独立国だったとしても、やはり自国を近代化しただろう。だから、遊牧民の生活は、たとえ中国の関与がなくてもやはり、昔ながらのままではないだろう。

歴史を紐解けば、遊牧民が農耕民族を圧倒した時代もある。むしろ、その時代の方が長いほどだ。モンゴルの遊牧民は中国に侵入し、そこの農民の生活を見て、不潔で暑苦しい環境でチマチマと暮らしている中国人を心から軽蔑した、という。

だが、時代が進んで近代になると、遊牧民の分はどんどん悪くなっていった。

「この人たちは計算ができない。怠け者だし仕事が遅い。祈ってばかりで非生産的。一生お風呂に入らない人もいる。女性はパンツも履いていないし、家にはトイレもないのよ」ーー若い美人の中国人ガイドはチベット人についてそう言った。

定住して遊牧しなければ、一世代で遊牧のし方も完全に忘れてしまうだろう。

1日中、やることがなく、ブラブラと定住地区を手持ち無沙汰にうろつく若者たち。観光客に踊りを見えたり、馬乗りをさせたり、テントの中でチベット服で写真撮影することでかろうじて現金収入を得る人たち。その横で大量の観光客向けの大規模な土産屋を牛耳っているのは漢民族ばかり。

 

アリゾナを旅行したときに見た、インディアン居住区のインディアンと似ていた。

物質的には良くなっている。でも文化や自活力は刻々と失われている。

プライドや自主性を剥ぎ取られ、茹でガエルのように二級市民、見世物としての存在に落とし込まれていく。言葉も、コミュニティも、協力し、再生産していく力も考える力も剥ぎ取られていく。。。

2010年以降、焼身自殺を選ぶチベットの若者が理由がなんとなく理解できるような気がした。

焼身自殺しか策がないチベットの悲劇

もし、チベットが独立国で、チベット人がチベット高原を自分の国として管理していたら、彼らはどのように暮らしていたのだろうか?

もし、これから中国から独立を勝ち得たら、チベット人はチベットをどんな国にしようとするだろう?

中国が分裂したら?

そんなことを考えながら、草原を歩いた。

遊牧民は、踊りを踊ったり、馬に観光客を乗せたり、「観光」が生きる道担っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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チベットと私

私は基本的に主婦+翻訳業ですが、チベット亡命政権(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所)の翻訳ボランティアとカワチェンでのチベット語の勉強も生活の一部です。

チベットと関わるきっかけは、シンガポールに住んでいた2008年に、日本のチベットハウスのホームページ上の「チベット旅行者のための状況説明書」を翻訳したことでした。

以来、チベット問題、チベット仏教、チベット語、チベット文化にチベット料理。チベットについて少しずつ学んでは驚いたり、面白がってきました。チベット人の知り合いも少しずつ増えました。

一昨年、ダラムサラを訪問したとき。チベット亡命政権情報国際関係のプロトコール担当官ソナムさんと私。

ダラムサラの図書館で会った人たち

組織に属さず、専門家でもない無名の私がチベットのことを発信しても、誰に届くのか心もとない。チベットというマイナーなジャンルへの引け目、筆力や知識の乏しさ、深刻かつ重大な側面のある情報を私的ブログで発信することへのためらいもあり、これまであまり書けないできました。

でも、思えばずいぶん長くチベットに関心を持っている。チベットの方々から色々なことを教えていただいた。チベットを通じて、インドや中国にも興味を持つようになった。多分、これからもずっとチベットに関心を持ち続けるだろう。一サポーターとしての立場を踏まえつつ、これから、もっとチベット語を学び、本を読み、積極的に旅行し、人と出会い、話し、感じたことがあればそれをまとめ、他の人ともっと分かちあいたいと思っています。

日本人とチベット人は顔が似ているし、言葉も似ています。日本人とチベット人を個人で比べるとそんなに変わりません。亡命チベット人は皆、数カ国語を操るし、バイタリティがあります。インテリで弁のたつ人も多い。にもかかわらず民族、社会、集団として見るとチベットの置かれた状況はあまりに綱渡り的に厳しいものです。

チベットを知ることで、自分の住む日本という国の成り立ちにも関心を持つようになりました。

ダライ・ラマ法王のお兄さんギャロ・トゥンデュップさんの自伝を一部抄訳してをまとめてアップしました(こちら)。翻訳出版してくださるところを見つけたいのですが、なかなか見つかりません。良かったらご覧になってください。チベット問題と国際関係の複雑さがわかります。

自伝の拙評はこちらです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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幸せと合目的性

合目的性(purposiveness):事物のあり方が一定の目的にかなっていることをいう。

目的は、幸せ。自分と周りの人の幸せ。

夫はオカネを稼ぐ人。妻は家事と子育てをやる人。夫の稼ぎが悪ければ、妻も働いて、家計を助けたれる。でも、もし夫の稼ぎが支出を満たすのに十分なら、妻は家事と子育てに専念すればいい。

家事と子育てだけじゃ、時間が余るとしたら?妻の社会とのつながりや、自己実現は?

友達や親戚とソーシャルする。映画に行ったり、食事をしたり。ボランティアや、趣味。何か、社会的意義のあることをやる。お小遣い稼ぎに翻訳をする。関心のある本を読む。フルタイムでオフィスでお金のために働いていた時、やりたかったけどできなかったことをやればいい。

チベット問題を支援するとかね。自分がいい人になった気分になることをする。

そして、夫と子供にニコニコ接するのが、妻が楽しそうにしているのが家庭の幸福。

夫は家にお金をもたらすことが、家族の幸福。

夫も妻も、家庭の幸福を最大化する、合目的的な生き方をする。

それが目的に叶っている、というのはわかる。でも、そもそも、目的って何?

幸せ。

家族と幸せ。

でも、幸せって?

50歳になっても、まだ分からない。どうやって生きていいのか。

幸福のために合目的的に生きるって、どんな風に生きることだろう。

幸福に向けて合目的的に生きることはできるんだろうか?

私以外の人は、そんな風に、合目的的に生きているんだろうか?

そんなことを考えながら、最近二冊の本を読みました。

The Book of Joy

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ダライ・ラマ法王の横浜講演

今年2度目のダライ・ラマ法王の来日。最後の横浜講演に行きました。

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法王の講演はだいたいスタイルが似ています。満場の拍手の中、法王が登場。法王が英語で「思いやり」「内面の平和」「世俗の倫理」などについてトークします。その後、「私に質問はありますか?」という法王の言葉を受けて、質疑応答セッションに移ります。法王はだいたい10〜20の質問に答え、講演終了予定時間をだいたい30分ほどオーバーします。 続きを読む

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【映画評】ラサへの歩き方

神社参りが好きだ。できれば、参拝前には長い参道と階段があることが望ましい。肉体の酷使は煩悩を減らし、祈ろうとする心を浄化してくれるからだ。

おとどし、ダラムサラでは、チベット式「五体投地」にトライしてみた。img_0159

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ダラムサラ旅行⑤——チベット語

ダラムサラで良かったことは、チベット語のシャワーが浴びられたこと。

といっても英語が十分通じるし、なんといってもそこはインドだから、チベット人コミュニティを少しでも離れるとヒンディー語が優勢になる。ここに住むチベット人の大半は、チベット語、英語、ヒンディー語のトリリンガルだ。

チベット亡命政権のお役所の看板は、チベット語、ヒンディー語、英語の3カ国語表示

チベット亡命政権のお役所の看板は、チベット語、ヒンディー語、英語の3カ国語表示

というわけで、実際には朝から晩までチベット語に浸りきるといった状況ではなかったものの、少なくとも、そこにチベット語で生き生きと展開される世界が存在し、自分がそれを垣間見ているという実感はあった。1週間、世界中から集まった人々と共に、ライブラリーの基礎クラスで初歩の発音と綴りを復習することが出来た。これは、ともすれば日本で失われがちだった、チベット語学習の動機付けを取り戻す上では最高の経験だった。

ネパール、ボダナートのチベット語の表示。「サカン=レストラン」という意味。去年は読めなかったが、今年は読める!

ネパール、ボダナートのチベット語の表示。「サカン=レストラン」という意味。去年は読めなかったが、今年は読める!

チベット語を学ぶ動機が失われがちなのは、それがあまりに使い途の乏しい非実用的な言語である反面、語学習得が根気の要る遅々としたプロセスだからだ。

こうした動機の喪失は、世界のマイナー言語を自らの興味と関心に基づいて「趣味」として学ぶ全ての人が陥り易いリスクだろう。何のためにコストと時間をかけて勉強しているのか、自分でも分からなくなってしまう時があるのだ。

愛用のMac PCの「環境設定」で「言語と地域」を選択すると、160あまりの言語名が現れる。70億人の人類が、少なくとも、これだけの別の言語で私のiMacと同じ、アップル社のコンピューターのキーボードを叩いていると考えるとクラクラしてくる。

チベット語を母語とする人は現在、世界で470万人、世界108位の言語。これを第二言語とする人はほとんどおらず、公用語とする国もないという点で、チベット語は超マイナー言語といえる。

チベット語の魅力はチベット文字の美しさの魅力でもある

チベット語の魅力の一つはチベット文字の美しさ

それでも、他のマイナー言語と比べると、チベット語を学ぼうという外国人は多いはず。それは、チベット語がチベット仏教を学ぶための入り口としての言葉だからだ。聖書を学ぶ人がヘブライ語を学び、イスラームを学ぶ人がアラビア語を学ぶように、仏教を学ぶ多くの外国人がチベット語を学んでいる。

私も今回、ダラムサラで仏教講座を聴講し、チベット語でお経が唱えられるようになったらいい、仏教用語がチベット語で理解できたらいいと強く思うようになった。

言うは易し、行うは難し。チベット語は母音の発音が日本語よりずっと豊かで、日本語にない音が沢山ある。中国語のような声調もある。そして、チベット語の表記はかなり難易度が高い。チベット文字は表音文字で、漢字と比べるとずっと数も少ないのだが、発音と綴りが相当、乖離していて、書いてあるものを読むところまで行くことのハードルが極めて高い。あらゆる語学と同じで、ひたすら毎日コツコツと積み上げるのが上達のコツだとは分かるのだが、最大の課題は時間の捻出とモチベーションの維持なのである(チベット語にも英語のようにTOEFLや英検があればいいのに。。。。)

かれこれ2年ほども「ワタシ、ニホンジンデス」のレベルで止まっている私のチベット語。

初級レベルを超えて行くためにはダラムサラで1年くらいエマージョン•プログラムに浸りたいのだが、残念ながらそういうわけにも行かない。東京では、週に1回、2時間の授業を続けるだけで精一杯。

少なくとも、他の言語には浮気せず、ゆっくり地道に勉強を続けたいと思う。

来年の今ごろ、そして10年後、私にはチベット語でどんな世界が見えているのだろうか。。。

 

 

 

 

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ダラムサラ旅行⑤——ライブラリーの仏教講座

決して仏教を学ぶことをメインに据えたわけではなかったのだが、ダラムサラが極めて仏教的な場所だったことから、結果的に今回の旅では仏教についての考察を深めることになった。

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ダラムサラ旅行④——コルラする人々

ダラムサラは、去年のネパール、ボダナート(↓)に次いで、私が訪れたチベット人が多く住む2つ目の場所。

ボダナートではこのストゥーパの回りを多くの人々がコルラ(巡礼路を回る)していた。五体投地しながら回っている人もいた。

ネパールのボダナートではこのストゥーパの回りを多くの人々がコルラ(巡礼路を回る)していた。五体投地しながら回っている人もいた。

ロングヘアを後ろで一本のおさげにして、手に数珠を巻いて、横ストライプのエプロンをしたおばあさんや鳥打帽を冠ったおじいさんなど。写真でしか見たことのな かったリアルの民族衣装の人々が道を通り過ぎる姿は、それだけで眼福、旅の醍醐味。少しすると、たちまち目が慣れてしまうけど。。。

これはダラムサラ。TIPAで行われたショトン•オペラの帰り。

これはダラムサラ。TIPAで行われたショトン•オペラの帰り道。

さらなる旅の醍醐味は、そこに写真では伝わらない匂いや味、光や温度が加わること。お香と土ぼこりの混じった匂いに、人々がモゴモゴと唱える観音菩薩のマントラ「オンマニペフム。。。」の合唱。時々遠くの窓から聞こえてくる僧侶の低い読経の声。これは、マレーシアのペナンの街で、朝、アラビア語のアザーン(礼拝への呼びかけ)の声で目覚めるのに比肩する清心な体験だった。

ちなみに、スリランカ、タイなど、これまで訪れた仏教国で、ボダナートやダラムサラくらいに、街角から濃厚な仏教色が伝わってくる場所はなかった。数ある仏教徒の中でも、とりわけチベット人は仏教にのめり込んでいる民族なのだと実感した。

今回のダラムサラ滞在では、ゲシェ(=仏教博士)の仏教講義を聴講して、チベットの伝統的な仏教哲学の内容と学習方法を垣間みることが出来た。だが、仏教体験ということでは、それと同じかそれ以上に、街全体に漂う人々の民間信仰から感じられるものがあった。

チベットの民間仏教信仰は、なぜか、マニ車を回したり、巡礼路を回ったり、「回る」要素が濃厚だ。マニ車をクルクル回したり、巡礼路を回りながら、お経を唱える。回り、唱えることで功徳を積む。帰依を深める。

http://muza-chan.net/japan/index.php/blog/rare-prayer-wheel  ダラムサラで撮り忘れたので、マニ車の写真を拝借しました。これは何と、日本の寺にあるものだそうです。

http://muza-chan.net/japan/index.php/blog/rare-prayer-wheel ダラムサラで撮り忘れたので、マニ車の写真を拝借しました。これは何と、日本の寺にあるものだそうです。

回る代わりに、私たち日本人は神社でお賽銭をチャリンと入れて柏手を打ったり、お寺の仏像に手を合わせるわけだが、チベット人は「回る」「回す」分、参拝に時間がかかる。それも一回だけではなく、何度でも、回し、回る。そして、回したり、回っているあいだは、ずっと数珠をまさぐりブツブツと唱える。さらに熱心な人は、全身の筋肉を使って五体投地する。五体投地して回ったり、カウンターを持って、回数を数えながら仏前で五体投地し続ける。これだけでも 私たちの淡白な参拝スタイルとは随分、違っている。

さらに、私たちと比べてチベット人は参拝頻度が圧倒的に高い。どの家に行っても仏壇があるし、誰でもとにかく暇さえあれば礼拝し、ブツブツ唱えている感じである。昼間に寺にいるのは老人や小さな子供を連れた母親などが多いものの、夕方になると、仕事帰りの老若男女多くのチベット人が寺を集い、ブツブツ唱え、コルラして、心を整えて一日を終える。。。という感じである。

こうした熱心な信仰の背景には、生前に少しでも多くのコルラをし、マントラを唱え、善行を重ね、功徳を積めば、より良い転生を迎えることができる、という信仰がある。輪廻転生の思想が完全には浸透しておらず、どちらかというと祖先崇拝が強く、神仏に祈る内容は現世利益が多い日本人とチベット人は、そもそも祈る内容や姿勢が違うのかも。。。と思った。

とはいえ、よく考えれば日本にもお百度参りや巡礼の伝統はあるし、熱心な仏教徒はいる。必ずしも日本人とチベット人の信仰心が本質的に異なっているのではなく、違いはむしろ、都会と田舎の人々の信仰心の違いなのかもしれない。仕事やレジャーに多忙な不信心な都会民の代表である私は、わざわざダラムサラまで来て、「忘れてしまった過去の祖先の生活」に単に郷愁を抱いているだけかもしれない。

それでも今回、現地の人に教わりながら、コルラをし、マニ車を回し、五体投地に挑戦し、マントラを唱えてみた。すると気ついたことがある。仏教のシンボリズムへの物理的エクスポージャーの高い生活、身体を使った参拝は、確かに精神衛生やストレスに効く、ということである。

仏教は人生の本質を苦と定義し、悟りによる人類の苦からの解放を解く。その苦の原因となるのが、絶えずこころに浮かんでくる「マイナスの感情」である。私たちのストレスは、このマイナスの感情が元になっていることが多い。こうしたマイナスの感情が発生するメカニズムを探り、それが発生しないようにするための心の訓練が瞑想であるわけだが、一方、そうした瞑想修行が叶わない衆生も、数多くのコルラ、マントラの詠唱、五体投地を心を込めて行い、功徳を積もうとすることで、少なくとも、それを行っている最中は、無駄な欲望やマイナスの感情を抑えられる、というわけである。その理由は単純なもので、人間は1度に二つ以上のことをうまく出来ないからだ。少なくとも参拝している間は、マイナスの感情は中断せざるを得ない。

あるいはイスラム教徒の1日に7回の礼拝の義務とも似ているかもしれない。だが、1日7回の礼拝の義務で得られる最大の効用は、礼拝によって、放っておくと自動的に湧き上がってくる欲望、悪い心やネガティブな感情をそこでリセットして、心を掃除できることにあるのだろう。

そして、チベット人のコルラやマントラ詠唱もそれと似た効果があるのかもしれない。単に歩いたり、回したりすることでは、空や菩提心の哲学といった難解な仏教思想の理解には到達できないかもしれない。しかし、少なくとも、今ここにある、マイナスの感情の流れを中断させ、心をニュートラルな状態に持って行くことが出来る。平安な心の状態を保ち続けることこそが人生で大事なことであり、それよりも重要な物質的、社会的達成なありえないんだよ、という価値観がその根底にはある。

今回、私は初めて現地の多くのチベット人が手にしている数珠を購入してみた。数珠を手首に巻いた旅行客なんて一昔前のヒッピーみたいでイヤだと思っていたのだが、一線を超えてみた。実際に数珠を巻いて、常に手首にそれを感じてまさぐっていると、「仏様を忘れちゃいけないよ」「いつか死ぬことを忘れちゃいけないよ」「自我なんてないんだよ」「怒っちゃだめだよ」と常に心にリフレインが入り、少しだけ心が落ち着くことに気がついた。

たとえ物質的な目標を達成しても、社会的成功を収めても、心がマイナスの感情で満たされていたり、他人を憎んでいたり、孤独感に苛まれるなら、そうした目標達成にはあまり意味がない。「私はあそこで、ああするべきだった」「あの人は何で、このように振る舞うのか?」「将来、こんな風になればいいのに」。無駄なことをクダクダ考え続けるくらいなら、コルラして、五体投地して、マントラを唱えて、そもそもグルグル湧き上がる思念には何ら実質がないという仏様の教えに帰依する方がいい。そんな風に思った。

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少なくとも、無為なネットザッピングやおしゃべりをするくらいならコルラを。ジムでトレッドミルをやるなら、五体投地を。なぜなら、それは、心と身体の両方に効く一挙両得の手段だから。でも日本では五体投地、できる場所、あまりないですよね。。。

 

 

 

 

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ダラムサラ旅行③——国を失った人々

ダラムサラ旅行の過去2回のアップを自分で読み直して改めて思うのは、新しい国や土地を訪れるとき、現地の経済的現実(=物質的豊かさ)に最も敏感な自分自身である。

どんなモノが高いか、安いか。どのようなモノが売れていて、人々がどのようなモノを着て、食べて、暮らしているか。貧しい人はどのくらいいるのか。どのくらい貧しいか。経済は上向いているのか、低迷しているのか。この国は「売り」か、「買い」か。

長年、証券業界で経済に関わる仕事をし、常に経済からモノを見る性分が染み付いているからだろう。また所詮、旅行者の立場では、目に見える人々の暮らし向き以上の内面まで見通すのは難しいのも事実だ。また戦後育ちの典型的日本人である私は、基本的に政治•宗教オンチだということもある。

とはいえ、やはりダラムサラのチベット社会を語るのに、経済的印象だけではあまりに表面的だ。なぜなら、ダラムサラのチベット人社会は国を失った人々の社会だからだ。

モノの安さや自然の美しさにまして私がダラムサラでしみじみ感じたのは、「国を失うこと」の哀しさだった。

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亡命社会が普通の社会と違うところは、前者が「国を失い、他人の国に居候し、いつか自国に戻ることを希求する人々が作っている」社会だということだ。これは政治的社会的に極めて特殊な状況だ。そうした特殊な状況にある亡命「チベット」の支援は、一般的な途上国支援や被災地支援とは全く質的に違うものにならざるを得ない。

どんなにダラムサラの自然環境がのどかで美しく、その開かれた社会が外国人を惹き付けるものであっても、法王様の教えがありがたくても、チベット人が微笑みを絶やさず、穏やかで落ち着いた人々で、その存在がグローバル資本主義に疲れた先進国の人々を癒す存在であっても、ダラムサラは亡命当初から見違えるほど発展し、多くの亡命チベット人の「ふるさと」になっていて、子供たちの教育はかなり先進的なものだとしても、すでにチベット人の大半は経済的な極貧状態を脱していても、そうした全てにかかわらず、<国のない状態に留まり続ける無国籍の人々>が作る亡命チベット社会のリアリティは極めて厳しいと感じられた。

それは、経済的厳しさ以上に、精神的な厳しさである。

あるいは亡命中の人々が抱える精神的な厳しさは、それを体験したことのない者には想像を絶するものかもしれない。

なぜなら、亡命とは、永続的ではない仮の状態だからだ。亡命チベット人は、もう56年も「いつか帰れるかも」「もう帰れないかもしれない」という不安定な仮住まいで落ち着かない生活をしている。

チベットからインドへの亡命者は皆、政治亡命者だ。昔、アイルランドからアメリカに渡った移民や中国からシンガポールに渡った移民のように、祖国で食い詰めて、国を捨てて移民し、そこで新たな国に忠誠を誓い、個人的な幸福を追求する経済的移民ではない(純粋に経済状況で言えば、今となっては一部中国領土内のチベット人の方が亡命チベット人よりずっと富裕だったりするらしい)。

また、見た目が似ているものの、ブータン人、インドのラダック地方の人々、ネパールのシェルパ族のような、いわゆる「チベット文化圏」に生まれたローカルな人々とチベット本土から外国に政治的に亡命した人々は、やはり立場が全く異なっている。

ダライラマ法王と共に、あるいはその後、チベット本土から亡命してきた人々は、「いつか政治状況が改善してチベットに帰れるだろう」と考えて、親戚友人を残したまま出国し、その後も無国籍の暫定状態で闘争を行ったり、事の推移を見守ったりしながら異国で生活してきたわけだ。

そうした暫定状態がかれこれ、56年も続いているのである。

これは精神的にとても疲れることだろう。

無国籍ということは、海外渡航や土地取得といった基本的権利が制限され、居住する国の参政権が与えられず、他人の土地(=インド)に無期限に「居候」状態を続けることを意味する。そうした居心地の悪い「とりあえず。。。。」「いつか。。。」の状態が長々と続き、すでに亡命社会の主流は祖国の土を踏んだことのない二世、三世の時代になっている。ますます強大になり、チベット人の同化政策を進める中国の動向を見れば、「もう帰れないと考えた方が現実的だ」、「もし帰れることがあっても、もう帰らない方が幸せだ」、「どうせ帰らないなら、最も生存条件の良い国で暮らしたい」と考える亡命チベット人が出て来てもおかしくない。そうした亡命者はインドに留まらず、欧米やオーストラリアに移住し、そうした豊かな国の国籍を取得し、そこに根を下し、子孫には個人としての「より明るい未来」を与えようとする。

民族としての団結と分断。いつ、どうなるか分からない不安定かつ暫定的な状況で、亡命チベット人たちは個人として究極の厳しい選択を迫られつつも、集団としては国家のクリティカルマスにほど遠い極めて少ない人口(12万人)の人々が、本土(人口600万人程度)から切り離された状態で、民族としての再生産、アイデンティティ保持と、帰還に向けた政治的闘争において亡命政権を支えて何とか必死に頑張っている、というのが現状である。

もちろんダライ•ラマ法王は先頭で、頑張っておられる。亡命チベット人を指導し、鼓舞しつつも、民族の枠を超えて全人類に慈悲を注ぎ、非暴力と人権擁護で世界に強い影響力を行使している。ダライ•ラマの14回目の転生という政教両面の正統性と、清廉で高貴な言動、姿勢は、固有の民族としてのチベットの統合の象徴として無比のものである。民主的な亡命社会を築き上げ(三権分立と普通選挙が実現している)、かつチベットの伝統の宗教文化を継承し、しかも国際政治でチベット問題が忘れられないよう、一貫して真摯にアピールし続けて来た法王をチベット人は生神様と慕って尊敬している。

だが、その民族の象徴である法王が1980年代に打ち出され、現亡命政権が継承する政策は、「中道アプローチ(middle way policy)」。つまり、中国の圧倒的な国力と占領の既成事実化を背景に、独立への国際的支持が得られない国際社会の現状に鑑みて、中国のチベット占領を容認し、独立を放棄し、中国憲法の枠内でのチベット人の対等な立場での「真の自治」の実現を提案する、というものだ。

http://www.dalailamajapanese.com/messages/middle-way-approach

この政策が実を結べば、法王の帰還は叶い、チベット本土のチベット人の人権状況は大幅に改善されるかもしれない。法王が帰還すれば、多くの亡命チベット人もまた帰還するだろう。だが、亡命チベット人にとって、中道アプローチの実現は、ダライ•ラマ法王も自分自身も、自分たちの子供も「中国人」となることを意味する。同胞を虐殺し、自国の文化を破壊した国に忠誠を誓う国民になることを意味するのだ。

中国領の祖国に帰還し、中国人になる。そんなの絶対いやだ、といって、独立の狼煙を決して下ろさないチベット人がいるのも当然だ。独立派は、決して夢想家なのではない。現実的に考えてチベットの独立が極めて困難なことは重々理解している。だが、民族独立への希求とモメンタムを失い、国を奪った暴力的な敵に自治を与えてくれるようお願いし、その傘下で文化や伝統を維持していくことを期待していくということによって、民族としての気概や精神が失われて行くことの方が危険なことだ。独立派の人々はそう考えるのだ。

http://www.bignewsnetwork.com/index.php/sid/226620737

ダラムサラでは意外なことに、中国領チベット本土のテレビ•チャネルが2つも見られた。そこではチベットの民族舞踊や、チベット語吹き替えの中国のメロドラマなどが放映されていた。

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ダラムサラのチベット人にこうしたチャンネルについて聞いてみた。「ええ、よく見ますよ。でも本土のチベット人のチベット語の発音は中国化してるんですよ。イントネーションが違うんです。それからファッションもちょっと変。中国人と生活しているから、だんだん中国化していているんです。私たちがインド化しているのかもしれないけど」と笑っていた。

異なる体制と状況下で生活していると、最初は同じだった文化や言語、そして価値観さえもジワジワと変質していく。もしかしたら韓国人が北朝鮮の人々に対して覚える感覚なのかもしれない。あるいは日本も太平洋戦争後に北海道がソ連領になっていたら、「北海道の日本語はロシア語化している!」と私たちは思い、北海道の日本人は、「本土の日本語はカタカナの英語混じりで変!」ということになっていたのかもしれない。

本土占領と民族分断の既成事実があまりに長く続くなかで、徐々に色あせて行く独立や帰還への強い思いやモメンタム。暫定的であり、仮住まいであるがゆえに、腰を落ち着けてじっくりと数世代に渡るビジョンを持って、土地に根ざして国作りに邁進できない亡命政権の宙ぶらりん。国と民族を思う気持ちと、個人や家族の安定や幸せを求める気持ちの葛藤。

2008年以降、中国側の国境管理の強化や、ネパールのチベット人への厳しい入国管理などのせいでチベット本土からの亡命者が激減した。そうした中でインドで高等教育を受けた亡命社会のチベット人はダラムサラや居住地に留まらず、海外に流出する傾向にあり、亡命社会では、(文化の砦である)僧侶へのなり手や伝統工芸の担い手が少なくなっているという。

これが亡命社会でない通常の社会なら、村おこしや産業の誘致による地域振興や起業で若者を引き止めようとするモメンタムが働くだろう。だが、もし亡命地での生活の本質が、どれだけ長くなろうとも相変わらず暫定的な根なし草の状態なのだとしたら。より大きな自由や安定を求め、個人でリスクを負って新天地に旅立とうとする若者を誰も引き止めることは出来ない。

だが、新天地に旅立った若者の将来がハッピーエンディングかというと。。。。

やはりそうした若者もまた、移民としての苦労に加え、失われた祖国への思いと、アイデンティティ喪失に苦しむ。

砂のように流れ出しそうな不安定な、小さな亡命社会。それを糊としてかろうじてつなぎとめている80歳のダライ•ラマ法王の存在。

もし、日本が外国に占領されて、私が天皇と共に外国に亡命したたった12万人の日本人の1人だとしたら、私はどう生きるだろうか?天皇陛下はどのように振る舞われるだろうか?亡命した私たちはどのように日本語や、日本文化や伝統を守るだろうか? 日々、多くの同胞が巨大な監獄で民族のアイデンティティを抹殺されていくことをどのように感じるのだろう?

そう考えることで初めて、私たちはチベット問題を身近な問題として感じることが出来るのだと思った。

ここに書いたことはわずか12日間の旅行記にしてはあまりに僭越かもしれない。チベット人の友人が読んだら怒るかもしれないし、事実誤認もあるかもしれない。でも、亡命政権の方々との様々な話や現地で感じた印象が鮮烈なうちに書きたかった。6年間、未熟ながら日本の事務所で亡命政権のニュースリリースの翻訳ボランティアをし、私なりにチベット問題を理解しようとしてきたことに免じて許していただければと思う。

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