ひとりごと」カテゴリーアーカイブ

エアコンのある世界、ない世界

残暑お見舞い申し上げます。

今年の夏は本当に、長く暑かったです。

エアコンなしにはもう、私たちは日本の夏を乗り切れなくなってしましました。

今日くらいが暑さの最後だといいと思います。

 

エアコンのある世界、ない世界

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

隠キャと陽キャ(集広舎コラム)

すっかり夏景色ですね。毎年、7月15日を過ぎると真夏本番!という感じでしたが、今年は早い。毎年、冬と夏が少しずつ長くなり、春と秋が短くなっているような気がします。

集広舎さんの3回目のコラムが載りましたので、転載します。

下山明子

陰キャと陽キャ

 

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

集広舎さんのサイトにコラムが載りました。

こんにちは。梅雨らしい陽気が続いていますね。

ダライ・ラマ法王スピーチ集」でお世話になった出版社、集広舎さんのサイトにコラムを載せていただきました。良かったらご覧になってください。

下山明子

体育会系のチベット人

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

つながりたい思いと自意識過剰

ご無沙汰しています。下山明子です。

昨年7月にこんな書評をamazonに投稿しました。読み返すと、われながら、自分の気持ちをそのまま切り取った感想と思いました。わたしは自分が言いたいことを表現したいのに、臆病だから、書評でしか自分の本当の気持ちが表せないのかもしれません。

できれば、書評じゃなく、翻訳でもなく、自分の足で立って、自分の表現をしたいです。そうしたなかで、これまで書いたamazon書評は、自分が何についてどう考えて、感じていたかを確認する貴重な資料です。たくさん読んだ本のなかで心が引っかかった本についてだけ書いているから。

ちなみに、この本はオランダの作家さんの「童話」で、2016年に日本で翻訳され、ロングセラーになっている本です。結末には勇気がもらえます。

ハリネズミの願いはひととつながること。誰かと一緒にいて共感する幸せを味わいたい。

それは人の普遍的な願いだろう。

それでハリネズミは招待状を書く。紅茶とケーキを用意して誰かが来るのを待つ。

待ちながら、招待されたひとの気持ちを考えてくよくよするーー迷惑かな。どうせ、みんな忙しいだろう。僕のハリが怖いだろう。僕の家はみすぼらしいし、きっと紅茶とケーキは嫌いだろう。。。

それに、来てくれたとしても、そいつがイヤな奴かもしれない(ハリネズミは自分に自信がないくせに自我が強い。気位が高く、好き嫌いが激しく、他人に厳しい。それが彼の「ハリ」なのだ)。

ハリネズミは誰にでも来て欲しいわけじゃない。共感して幸せを感じられる人と出会いたい。

でも、どうやったらそんな人に会えるのか、会うためにどうしたらいいのかがわからない。家をもっと綺麗にしたらいいのか。自分のハリを抜いてしまえばいいのか。何かに擦り寄ろうとしても、何に擦り寄ったら正解なのか、わからない。

それでハリネズミは不安の中で楽観と悲観、自尊と自己卑下のあいだを揺れ動く。悲観が極まると、どうせ嫌な思いをするなら独りがいい、とやせ我慢する。

そのくせ、すぐに人恋しくなる。期待し、妄想することを止められない。

ずっと内面のシーソーゲーム、独り言が続く。

ハリネズミは色々などうぶつと交渉を持つ。現実と妄想の中で、ハリネズミの家をぶっ壊すなど、変な、ひどい動物が登場する。だが「良い」動物もいる。ハリネズミをほめ殺すコフキコガネや、美しい歌で深い感動を与えるナイチンゲール。だが、それでもハリネズミは満足できない。求めている自己承認が与えられないからだ。

最期の最期、ハリネズミはやっと求めていたものを手に入られる。自意識の檻から出られ、不安がなくなり、ぐっすり深く眠れる。

物事は起きるときには起き、出会えるときには出会える。そこに至るには、正解もノウハウもない。

自意識過剰と寂しさを抱えた人にとっては、どんなリアルな物語よりリアルな物語。私にとって星5つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

古民家の失敗

いすみに家を買い、東京と行ったり来たりするようになって2年。

リンク1  リンク2

リンク3  リンク4

先立つものは家財道具。一昨年、昨年と、いすみ用に家電製品からDIY用品、家具まで怒涛の買いモノした。業者も入れて、いくつか小規模な改装工事もした。

予算が限られるなか、ヤフオク、amazon、楽天、ビックカメラなどネットを駆使して、必要最低限、最適の購入を目指した。だが、明らかに失敗もあった。備忘録、今後の教訓として「失敗」を書き残しておきたい。

失敗1:大きすぎるキッチン用具

いすみには友人、知人も招きたかったから、スペース不足の東京の兎小屋で買えなかった「本格キッチン用具」をいくつか買った。具体的には、大型中華鍋、大型セイロ、シンクをまたぐ大きなまな板など。

だが、『友人、知人に囲まれる古民家ライフ』は幻想だった。東京の友人は皆、多忙。誘っても、なかなか来てくれない。それに、改修や草刈り作業に追われる古民家では、正直、お客様をもてなす暇はない。お互いの負担になるから、「ぜひ、来て!」とばかりも言えなくなった。

2年間、実際に行ったのは、圧倒的に、夫婦2人に子供1人、もしくは夫婦2人だけ、もしくは1人がほとんど。地元の人との付き合いも、縁側で世間話をする程度。ディナーを招待するところまではいかない。

野良作業で疲れた体に大きくて重いキッチン用具は使いにくく、洗いにくい。せいろで大量にシュウマイを作る機会もない。結局、コンパクトな台所用品をコソコソを買い直すことになった。

失敗2:安すぎる汎用家電製品

入居早々、前の住民が残していった洗濯機が壊れた。引き渡し直後の出費が嵩むなかでの予想外の出費。深く考えず、ネットで一番、安かったハイアールの洗濯機を購入した。

ところが、これが、汚れが落ちない!いすみの汚れ物は都会の汚れ物とは違う。泥だらけの服を洗うから、洗濯後に汚れが落ちているか落ちていないか、一目瞭然。

家電はコモディディで、今時、どこも基本性能は同じ、シンプルイズベスト、高機能の高額家電は無駄。。。。と思っていた。だがそれは、私が都会のヤワな汚れしか知らなかったから。

同じく、気軽に使えると思って買った、日立のスティック式掃除機。やはり華奢すぎて、吸引力が弱く不満足だ。ダイソンの掃除機が欲しい。

洗面所用に買った電気ストーブは、能力が低すぎて、ちっとも温まらない。都会のマンション仕様は古民家には合わない。

家電は一度買ったら、捨てるのに買うのと同じくらいの手間暇がかかる。ああ、安物買いの銭失い。。。。

失敗3:植木、肥料、農具などもろもろ

いすみの家に行くときには、いつもホームセンターに立ち寄って、鍬やら軍手やら、植木、肥料、釘なんかを買ってはすぐ使う生活を2年間続けた。おかげで、飛躍的に、農具、工具、植物の扱いなどの知識が増えた。とはいえ、失敗は続く。

こちらの人は迷わず、どかっと20キロの肥料の袋を10袋買う。植物も大量に買う。おっかなびっくりの私たちは、ベランダガーデニングの感覚で1キロの小袋を買い、それをどこに蒔いたかも忘れてしまう。100円のハーブを一つだけ買って、どこに植えたか忘れてしまう。土に合わないシクラメンやブルーベリーを買って植えては、枯らしてしまう、間違えて刈払機で幹を切ってしまう。植木ばさみやシャベルも一番、安いのをおっかなびっくり買って、一回で壊してしまう。

思い切りの悪さから来る失敗が多かった(反面、思い切りすぎた失敗もあった)。

修理のノウハウがないから買い直しの無駄も多かった。

スプレー式の油を挿せばまだまだ使える倉庫錠。壊れたと思って買い直してしまった。

鎌を研いだり、ねこ車の持ち手のテープを巻きなおしたり、タイヤに空気を入れたり、刈払機の刃をこまめに替えたり、地元の人は手持ちの工具を丁寧に手入れする。修理のノウハウを学び、真剣に取り組むには、やはり、私たちの週末田舎暮らしは圧倒的に時間の余裕がないと感じる。

基礎固めに手間をかける時間もノウハウもないなら、思い切って、外注(=業者に家と庭を作ってもらう)も視野に入れるべき? だが、それには莫大な費用がかかる。果たしてそこにお金を使う価値があるのか? 何か賢明で、何が愚行なのか?

2年間は、土の上の生活の現実と、人生の時間と手間とお金の使い方の非情なトレードオフの学習に費やされたといっても過言ではない。多くのことができないまま、無能な自分と、ボロボロの庭と家を呆然と見つめ続けた2年だった。

昨年、ブログで、いすみの古民家ライフを十分にアップできなかった理由は、こうした赤裸々な現実が、必ずしも「他人に見せたい素敵な生活」ではないからというのが正直なところだ。

いすみから東京に戻るたびに、マンションの共有部分の見事に手入れされた花壇や敷石に感嘆する。乾燥したコンクリートの高層住宅の生活に快適さを感じる。都会では重いモノを持ったり、油まみれになったりしないで済むことに安堵する。

同時に、中央区の完全に固められた大地を歩きながら、いすみの庭を掘り起こして出会ったカエルやミミズやモグラや虫の幼虫のことを思い出す。都市のコンクリートの犠牲になった無数の生物の命のことを。

都会に住む私たちが普段、それらについて考えないで済むのは「自分で手を下していない」からに過ぎない。

もちろん、「のんびりのどかな田園」だって無実ではない。農業は土を掘り起こして、たくさんの生物を犠牲にする営みだ。そうやって、経済原理に則った人間にとって良いもの、市場に有用なものを作り出そうとする。そのことは都市も農村も同じだ。

人間の営みのために犠牲になった自然への贖罪のための神社や小さな社がいすみの国吉原には無数にある。

少なくとも、「自分で手を下した」人たちは、生きる本質をしっかりと意識できる。私たちの生活を根本で成り立たせているのは何か、という本質を。

それにしても、農村の維持には大変な、技術力とお金が要る。中央と地方、農村と都市は絶えず交流し、連関している。それを2つに分けて、「あっち側」を理想化するかと思えば、ドヤ顔で見下して「べき論」を述べるのは愚かしいことだ。

2年前、美しい古民家を壊し、セキスイハイムの家に住み、庭をコンクリートで無風流に固める田舎の人を、批判的に見る自分がいた。なんて傲慢だった私。

2年前には、この古民家を見たとき、家と庭の佇まいの優しさに感動した。それは今でも変わらない。行くたびにこの家の優しさと美しさに心が震える。それが、どんなに陋屋で、人を招けない家だとしても。

愚行により、人は賢明になる。初心忘れず、残されたお金と時間を有効に使えますように。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

今年もありがとうございました

予想外のトランプ相場。気がつけば、日経平均はバブル以来の最高値をつけ、AIやらブロックチェーンが世の中のキーワードとなり。世間は変わらないようでは、変わらないようで変わっていきますね。

ご近所、新川界隈のレストランは、留学バイト生が里帰りするせいか、今年の年末年始、長く休むところが多いです。不況から一転、人手不足は今後、ますます深刻化しそうです。

問題は、不足しているのは安い労働力ばかりというところなのでしょうが。。。。

さて、私の2017年。振り返ってみれば、何もなかったようで、いろいろなことがありました。

2016年4月に買ったいすみの古民家

昨年は毎週のように通いましたが、今年はほぼ2週間に一度のペースにスローダウンしました。春までに外便所を納屋にした以外、人の手を借りるような大きな修復はせず、もっぱら、庭仕事に勤しみました。買った当時は「早く人を呼べるような素敵な場所にしなければ」と焦っていましたが、「別にこのままでも住める。人に見せる必要はない。綺麗になればそれに越したことはないが、そのままでも悪くない」と思えるようになりました。ようやく、新しい工務店とのプロジェクトが来年から稼働する予定です。まずは裏庭の整地からです。

いすみに通う頻度が少し下がったのは、思いのほか、本拠地東京の生活が忙しかったから。前は50代に入ったらスローダウン。。。と思ってましたが、むしろ、その反対。気持ち的にも物理的にも、ますます毎日のTo do listに追われるようになり、あっという間に一日が終わってしまいます。

まあ、忙しいのは自業自得です。

今年は、フィリピン、韓国、中国(チベット)と、近くの三つの国を旅行しました。フィリピンはひとり旅、韓国と中国は家族旅行です。

フィリピン旅行は忘れがたいものでした。帰ってきてから、たくさん、本を読みました。新しい視点、座標軸をもらいました。リンク

GWの韓国旅行はわずか3日でしたが、戦争記念館を訪れたり、カロスキルでコーヒーを飲んだり、お隣の国の今を体感できました。リンク

8月の中国旅行では北京と甘粛省(敦煌、ラプラン寺など)を訪れました。初めて訪れた北京は想像を超えて、すげー場所でした。中国、すごい。チベットのアムド地方の遊牧民の現実はショックでした。一緒に旅行した息子がチベットに関心を持つようになりました。帰りの飛行機の欠航のハプニングも家族にとって良い思い出になりました。→リンク1

リンク2

リンク3

リンク4

東京にいるあいだは、ひたすら自宅でMacに向かってる時間が長かった。

「作りたい」の一念で、8月にLINE STAMPを自作しました(チベット男)。使ったのはGIMPSという無料ソフト。なかなか売れませんが、作る作業はすごく楽しかったです。

あと、集広舎の川端社長との出会いのおかげで11月に2冊目の本を出すことができました。これまで10年間のチベットボランティアの経験が結実した本です。書いているあいだは、ずっとダライ・ラマの声が私の中で響いていました。自分のために書いたようなものです。

本書の制作過程では、翻訳のほかに、デザインやイラスト、タイポグラフィーなどに関心が高まりました。新しいことをインプットする一番有効な手段はアウトプットすることですね。

9月には、以前から学びたかったTM瞑想を学びました。直接的な生産性につながらない12万円を捻出することも、毎日、1日40分の時間を瞑想に充てる決心をすることも、決して簡単ではなかったのですが、難しい、難しい、と言っていたら、人生、終わってしまう。とにかく、できるときにできることを始めよう、と思って。→リンク

始めて3ヶ月。とてもいいです。

11月から年末にかけては、モーショングラフィックスの学校に通いました。→リンク

TM瞑想同様、残りの人生、どのような形で社会と関わっていくのか、どのように時間を使いたいのかを考えた上での投資でした。

なぜ、モーショングラフィックスなのかって。。。。

転機のきっかけは、いつも偶然。人生、いつどこで何が起きるか、わからない。

モーショングラフィックスに興味を持った直接のきっかけは、上述の中国旅行の際に、旅行代理店から一つの動画を紹介されたことでした。こんな動画を私も作れたら、と強く思いました。「そんなの、この年になって今更できない。。。」と怖気付きましたが、「やりたい」という思いが勝りました。

伏線にあったのは、夏に作ったLINE STAMPの「とても楽しかった感」です。

また、本を作る過程で、世の中が文字から絵、静止したものから動くものにどんどん、変化している実感がありました。

結果的には、学校に行って、本当に良かったです!

それ以外にも、7月には義父の逝去、9月には息子の来年の米国交換留学が決まるなど、身辺の変化がありました。

合間にはいろんな本も読みました。→コクリコのアマゾン書評

色々、やりすぎた報いか五十肩になり、年末には整骨院に行くハメに。昨年も年末には目の充血が取れないトラブルに見舞われましたが、今年は肩。やはり、この年齢になれば色々あるもんです。PCの前にずっと座りっぱなしのお地蔵さん生活が続いた報いで10年間で10キロ太ってしまい、夏以降には一年発起。ダイエットでなんとか4キロ落としました。→リンク

本当に色々あった一年でした。なかなか前に進まない時もありますが、今年は全体として前に進めた年でした。

これからも一瞬一瞬を大切に。そして、未来のめぐりあいの中で、過去の様々なdotをつなげていく作業ができたら、と思っています。楽観的に、誠実に。

あとは、あと6キロ痩せられたら、と!

更新が遅いブログですが、読んでいただき、ありがとうございます。

来年も引き続き、よろしくお願いします。

下山明子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

心の財布

お金も心も、不安は余裕がないから生まれる。

もし、手金が200円しかなければ、100円の出費はおおごとだ。なにせ、手金の50%が消えてしまうのだから。

でも、もし手金が1万円なら、100円の出費は気にならない。100円は手金の1%に過ぎないから。

10万円があれば、0.1%。

100万円あれば、たった0.01%。100円の出費は心の痛みや不安を引き起こさない。

心も同じだ。

例えば、出したメールがすぐに返ってこない。

それが恋人に出したメールなら、1日中、疑心暗鬼になる。メールが返ってこないのは、忙しいから?返事の内容を考えているから?それとも、もう、私のことを好きじゃないから?

何か、悪いこと言った?

それとも、もしかして、メッセージが届いていない?もしかして迷惑メールのボックスに入っちゃった?携帯が壊れた?

それが、3日、1週間と続くと、不安はもっと大きくなる。

恋人でなくても、クライアント、取引先、友達、家族。

心に余裕がないと、イライラ、イライラ。

もしかして、私が悪いことした?

私とはもう、縁を切りたいと思ってる?

「メール、届いていますか?」と電話しようか?

でも、電話が不在着信なら?

不信が雪だるまになっていく。

電話したら、「ああ、ごめんなさい。忙しかったから」と言われるかもしれない。

そしたら、ホッとする?それとも、「わざわざ、電話させるなよ!思いやりがないな。もう、縁を切ってやる!」とますます頭にくる?

こんな日常生活のイライラは、そもそも、心の手金が200円しかないから生まれる。

財布に余裕がないから、小さな債権に依存する。そこに人生がかかってると思うほど、視野狭窄に陥ってしまう。些細なことで落ち込む。

もし、お財布に1万円あれば、100円の債権のことなんて気にしない。返ってこなくても、大丈夫。

メールが無視されても、この世の終わりじゃない。嫌われたって、無視されたって、この世の終わりじゃない。

大切なのは、自分の財布には1万円ある、って自分に言い聞かせることだ。

幸い、お金と違って、心はいくらでも大きくすることができる。

人に与え続けられる人。そんな人の心の財布にはいつも1万円が入っている。

考えてみれば、私自身、長い時間、随分、小さな負債を作ってきた。貸し倒したこともある。借りたことを忘れたふりをしたこともある。

そんなとき、心の貧しい私を救ってくれたのは、いつだって、余裕のない私を包み込む、心の大きな人だ。

だから、返してくれない人を責めるのではなく、私が自分のお財布を大きくしよう。

大きくするにはどうすればいいかを考えよう。

財布が大きければ大きいほど、たくさんの貸しを作れる。

そして、貸せる余裕のある人が、最後には一番、多くの資産を作るのだ。

たとえ、何度貸し倒れても。

そのことを忘れないようにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

ダイエット

恥ずかしながら、10年で10キロ太ってしまいました。怖くて、怖くて、体重計に乗らないで、現実から逃げ続けてました。ですが、昔の服が入らないことで、太ったのは歴然。

この年になると、「太った…..」と客観的にズバリ言ってくれる人もいなくなり、写真を見て、デブを実感する機会も減り、すっかり自分を甘やかしていました(夫と子供は太めになった私をからかっていましたが)。「チャレンジするなら、ダイエットにチャレンジしろよ!」、の老父の一言で、目が覚めました。

これまで、何度かダイエットしてきました。ですが、目標の「○○キロ減」を達成できた試しがありません。逆に言えば、達成できてもできなくても良かったからかも。

絶対、痩せなければならないほど太ってしまったのは、今回が初めて。

ダイエットの情報をウェブで集めてみると、量の多さに圧倒されます。今回ばかりは読むだけで満足してしまうのではなく、実践しなければなりませんから、実践可能な情報を取り込む必要があります。

結局のところ、全てのダイエットの王道は摂取カロリーが消費カロリーを下回ることが全てといえるでしょう。

食べるモノを減らし、運動する。

問題は、どうやってか、ということ。

いつも、”what”はシンプル。情報が分岐するのは”how”のレベル。

脂肪燃焼のカラクリを少しでも知れば、<一ヶ月で5キロ痩せた>のようなダイエット広告の歌い文句がいかに夢想的かがわかります。

1キロの脂肪を燃やすのに必要なカロリーは7200キロカロリー。これを30で割ると240キロカロリー。一ヶ月で5キロ痩せるためには、毎日、1200キロカロリー以上、消費カロリーが摂取カロリーを上回る必要があります。

せいぜい、一日1800キロカロリーくらいしか消費しない私は、一日、600キロカロリーの生活を一ヶ月続けなければ5キロ減は実現しません。

一日600キロカロリーで。1ヶ月なんて、絶対に無理!

かといって一日の消費カロリーを数百カロリー引き上げるような激しい運動を毎日する生活は送れません。

というわけで、現実的でモデレートな、一ヶ月1キロ減 ×10ヶ月 の目標を掲げました。

実践している内容は次の通り。

1 食べないもの:ジュース、クッキー、カステラ系のケーキ、チョコレート、塊の肉、揚げ物、ジャンクフード
2 食べ過ぎた日は、脂肪吸収抑制剤「オルリファスト」を飲む
3 おやつに食べるもの:ひまわりのタネ、納豆、キムチ、果物
4 一日最低10,000歩。週に2〜3回ジムで4キロ走る

朝はアサイーボウルとコーヒー

オルリファスト以外、高価なダイエット食品を使ったり、食餌療法を取ることはしていません。なにせ長期戦なので、日常生活を普通に送る必要があるので。

9月半ばから本格的に始めたダイエット、目下、1.5キロ減と順調に推移しています。夫がかなり私のダイエットに関心を持っているので、コーチ代わりに使っています。「50歳になると代謝が悪くなって痩せない」「運動をする時間がない」など、言い訳はきりがありません。あらゆる言い訳を撃退し、スリムを取り戻りたいと思います。

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

中国旅行(4) 敦煌のソリ運び男

敦煌という町

砂漠のオアシス都市、敦煌はシルクロード河西四郡の最西端の都市だ。

新疆ウィグル自治区はすぐ隣だが、漢民族が人口の99%を占めている。一帯一路構想の戦略的立地にあり、観光で潤っている町は小さいながら、なかなか綺麗なところだ。

スイカ売りの三輪車。1個5元

敦煌のシンボルは飛天

昨年のシルクロード国際文化博覧会の会場となった劇場。度肝を抜くスケール

シルクロードの歴史よりも美術よりも、敦煌で心に残ったのは観光地で働く動物とヒトだった。

ラクダの隊列と観光ガイド

砂の砂漠をラクダの隊列が行く鳴沙山月牙泉。実にインスタ映えするスポット。

ラクダに乗っているのは全員、観光客

直射日光がギラギラと照りつけている。観光客は日焼け止めクリームをベタベタと塗った後で、布を体に巻きつけて完全武装して、にわかベドウィンになる。

生まれて初めて見るラクダの隊列。ラクダは意外と小さい。

「ラクダ、可愛いね!

「ラクダも大変よ。なにせ朝5時から働いてるんだからね」——中国人ガイドのメリーが低い声で言った。

メリーは自分が寝不足で辛いから、そう言ったのだ。

観光地のラクダ同様、ガイドの仕事は過酷だ。私たちの飛行機が遅延したせいで、一昨晩、彼女は夜中の2時まで私たちの到着を空港で待っていた。もし飛行機の到着が朝になったら空港で徹夜をしていただろう。それでも翌日の観光は8時から始まる。

観光は無数の黒子のおかげで成り立っている。ガイドのほかに、ホテルでシーツを替え、部屋を掃除する客室係。レストランの調理人やウェイトレス。運転手、切符切り、マッサージ師など。。。

観光に関わる仕事の多くは合理化が難しく、したがって生産性が低く、低賃金で非正規の労働が多い。そういう黒子たちの苦労のおかげで、快適で楽しい旅行ができる。

砂漠の滑り台

ここを滑る

鳴沙山はその名の通り、「砂が轟々と鳴る」ことで有名なスポットだ。風の侵食により砂に空いた天然の微細な孔のせいで、晴れた日に風が吹くと、砂同士の摩擦により、管弦や兵馬が打ち鳴らす太鼓や銅鑼の音のように聞こえる、という。そして、その音は、砂の上を人が滑ることでも聞こえるらしい。音を聞きたい多くの観光客のために、砂滑りコーナーがあった。

下で待っていて、砂滑りが終わったソリを回収する

快適に砂の上を滑るため、観光客には砂滑り用の木製のスノコのようなソリが貸し出される。砂山の頂上で、一台10元(160円)を払って業者からソリを借りて、ズズーっと滑るのだ。そして、滑りきった先で待っている業者にソリを返す。業者の男たちは返されたソリが7台集まるのを待ち、集まると、それらを背負って再び山のてっぺんまで運んでいく。

ひたすらソリを下から上に運んでは観光客に滑らせる、というシンプルなビジネス。

砂漠の体感温度は50度。朝5時から夜9時半までカンカン照りだ。そんななか、7台のソリを担いだ男たちは腰を曲げて、喘ぎながら、砂を踏みしめて険しい山を登っていく。一回の山登りにかかる時間は30分くらいだろうか。

男たちは汗を滴らせ、顔を歪ませ、「ウー」とか「ウォー」とか、雄叫びをあげながら、登る。登るすぐ、下りる。そしてソリを集めてまた登る。それを延々と1日中、繰り返す。男たちは砂漠の炎天下に1日中、肌を焼かれながら、ソリを運び続ける。

日焼けや熱中症どころの話ではない。そんな仕事は皮膚にも体にも良いはずがない。1台160円のソリを1回7台担いで、約1,000円。一日に何回、往復できるのだろうか。胴元のマージン、ショバ代、ソリの減価償却を入れれば、このソリ運び男たちの1日の稼ぎは2,000〜3,000円くらいだろう。

 

身体を資本にした肉体労働は人間の仕事の基本だ。全身の力を使って休みなく働き、それでもやっと食べいけるかいけないかのカツカツの生活。産業革命が起きるまで、世界の大半の人がそのように生きていた。私の祖先も、そうやって命を繋いできた。

21世紀の今も、世界にそういう人はたくさんいる。シンガポールの道路工夫。デリーの人力車引き。マニラのスカベンジャー(ゴミ漁り)。

AIもシンギュラリティも、全く関係ない世界。。。

観光客はキャーキャーと無邪気に歓声をあげて楽しんでいる。その横でソリ運び男は黙々と運び続ける。

 

マスツーリズムのど真ん中の中世

システム化されたマスツーリズムの底辺に、まるで中世そのままの仕事があった。

鳴沙山のラクダやソリ運びの男たちのリアルな汗と苦しみを見たら、シルクロードの歴史や美術はもう、どうでもよくなってしまった。

人余りの国に行くと、少子化も悪いことばかりではない、と思う。労働力の供給過剰なら、労働者を守る規制など生まれない。どんなに辛い仕事でも、それで現金が得られるならいくらでもやりたい人がいる。

だが、人が余っていれば、人の労働の値段も命の値段も安いままだ。

私の触れ合う人たちは、どのような人たちで、その人たちのもらっているお金はどれくらいで、どんな風に暮らしているのか?

人件費が高い国では、こんな仕事は成り立たない。アメリカでも日本でも、こんな仕事は機械がやる。

ここでも機械が導入されたら、過酷な労働はなくなる!

だが問題は、そうしたら人々が食べていける仕事そのものもなくなってしまう!

そうしたら、男たちはどうやって生きていく?

なら、どんなに辛い仕事でも、やはり、ないよりあった方がいいのか?

イエス。 あった方がいいのだろう。

だが。。。。人身売買や、少女売春や、児童労働は禁止されている。なら、あまりに過酷な低賃金の肉体労働はどうか?なら、動物の酷使はどうか?

結局、ラクダやソリ滑りはしなかった。10元が惜しかったからではなく、ラクダやソリ運び男がかわいそうすぎて、できなかった。

敦煌のソリ運び男に幸あれ。

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest