投稿者「下山明子」のアーカイブ

なぜ私たちはフィリピン人から英語を学ぶのか?(1)

英語ができることは仕事で大きなプラスになっている。

フランス語はそうではなかった。

10代、20代の私は英語よりフランス語が得意だった。知識でも人格形成でもフランスには多大な恩義がある。だが、キャリアに直接は役立たなかったという点では、フランス語学習は徒労だったといえる。

働きはじめてからは英語、英語、英語。それがグローバル社会の共通語だったからだ。パリでも東京でも英語。資本市場は日本語でもなく、フランス語でもなく、英語で動いていた。

英語をマスターしたおかげで、グローバル経済の一番回転の効いている部分にアクセスが得られた。今でも英語は私にとって必要不可欠な一部であり、糊口をしのぐ手段だ。若いころの友人を見回しても、若いころの英米圏留学組は良いキャリアを築き、気に効いた仕事をしている人が多い。

そういう現実を肌身で感じる親は、子供に英語教育を施そうとする。日本人だけでなく、韓国人や中国人も。

そんなアジアの英語学習者にとって、コスパ良く英語を学べる国がフィリピン。フィリピン留学、スカイプ英会話。圧倒的に安く、安いわりには質が良い。

だが、そこには大きなパラドクスがある。私たちは経済的利得を求めて英語を学んでいる。なのに、肝心の英語の先生であるフィリピン人が貧しい、というパラドクスだ。英語国フィリピンの人件費が安いからこそ、ギャップを利用したフィリピン留学、スカイプ英会話、コールセンターが成り立つのだ。

フィリピン人は出稼ぎメイドですら気の効いた英語を喋る。シンガポールではメイドから英語をならう日本人駐妻もいる。

。。。。だが、そのメイドの月給は3万円程度。

5月にフィリピンに行った理由の一つは、そのわけを知りたい、というものだった。

マニラ首都圏マカティの街角

 

 

 

 

 

 

 

 

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【書評】貧乏人の経済学ーー金持ちはレールに乗っているだけ?

貧困問題は現代医療の問題と少し似ている。

世界の貧困問題は解決がとてもむずかしい。だから、開発経済の専門家は頭が良く、高学歴だ。開発援助の本は、あたかも動物や病気を観察するようにデータを駆使し、上から目線で貧困や貧乏人を外から眺める。

一方、貧しい国を援助する側の国の人間の私たちも、実際には1日1ドル以下の生活をしたことはないし、現場で貧乏人と遭遇したこともないから、そういう専門家が言うことが正しいのか間違っているのか、よくわからない。

では、「撲滅」すべき貧困の張本人、1日1ドル以下の生活を誰よりも良く知っている貧乏人はどうかというと、彼らは声を上げない。自分で自分のことを外部の人たちに理路整然と説明することができない。貧困を抜け出すのに何が必要かを訴える場もない。

本書は、開発経済の専門家が、「あたかも貧乏人本人が説明するように」貧困を説明した本だ。ユニークなのは、貧乏人の行動の背後のモチベーションに内側からアプローチしているところだ。貧乏人の心のレベルに入って、その行動を説明するのだ。

個人的には次のくだりが心に残った。

  • 人の何ができて何ができないかという期待は、あまりにしばしば自己成就的な予言となる(エリートの子供は親に「できる」と言われるからでいるようになる。子供に自信を持たせることの重要性)
  • 希望の喪失と楽な出口などないという感覚があると、坂道をまた登ろうとするのに必要な自制心を持つのが難しくなる(成功体験と信念の重要性)
  • リスクに直面すると人は不安になり、不安になると緊張して憂鬱となり、集中し、生産性を上げ、合理的判断ができなくなる(安定とリスクヘッジの重要性)

外側から見た紋切り型の常識や固定観念でない貧乏人の動機や原理を個別テーマごとに丁寧に分析することで、「こういうときには、こうしてあげるといいよね。。。。」と丁寧に処方箋を示す。

たとえば、一見、貧乏人は起業の天才のようだが、実はそのビジネスの大半は規模が小さく、収益性が低い。貧乏な親の大半は子供に公務員になってほしいと考えている。必要なのは起業させることではなく中規模企業への資金提供。

食べ物と競合する圧力や欲望が多い中、貧乏人は収入が増えても食事の量や質を改善しない。だから、社会的見返りを得るためには子供と妊婦の栄養摂取に直接投資するべき。

貧乏人は老後のリスクヘッジのために子供を産む。老後の社会保障を充実させれば、子沢山である必要はなくなる。

希望、リスク、信頼、惰性。。。貧乏人の心理メカニズムは私たちと同じだ。彼らはある時は合理的で辛抱強く、ある時は自制心に欠け、不安にとらわれている。

私たちと彼らに違いがあるとすれば、私たちには社会保障、公共のインフラ、銀行や保険へのアクセス、安定した収入などがあり、彼らにはない、ということ。だから金持ちは考え、選択する必要はなく、貧乏人は必死に考え、選択する必要がある。

本を読んで、私自身は随分、いろいろ選択し判断してきたようだけど、明らかに土台の部分が恵まれていて、既存の制度に楽々と乗っかっていたんだなあ、と実感。青年海外協力隊などで、金持ちの国の人が貧乏な国の人に色々なことを教えに行く。でも、実は選択と判断ということでは、貧乏な人の方が金持ちな人に教えることがあるような気がする。生死に関わるようなリスクに日々直面し、意思の力で難しい環境を生きている人はものすごく偉い。レスペクトする。

 

 

 

 

 

 

 

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【書評】バナナと日本人

今も同じなのが驚き

「変化」はニュースで報道されるが、「変わらないこと」は報道されない。世界が大きく変わる中で、この国では古い問題が今もずっと続いていて、むしろ深刻化している。本書は、バナナを通じたミンダナオ島の社会・経済構造のフィールドワークだ。今から35年も前の、多国籍企業による搾取や南北問題なんて、古い。。。。はずだった。が、全然、そんなことはなかった。

フィリピンは21世紀の今も、旧宗主国、多国籍企業、一部の特権階級に収奪され、痛められ、荒っぽいグローバル資本主義に翻弄され続けている。

相変わらず、日本のスーパーはドールやデルモンテブランドのバナナが並んでいて、一房100円。干しマンゴー、パイナップル、家政婦。フィリピン産のものはなんでも安い。

本書から35年。フィリピン経済はやっと成長が始まり、コールセンターなどの外資のBPO拠点の投資が進んでいる。。。と聞いていた。だが、行って見れば、そこで働くフィリピン人の月給は3万円。フィリピン人に与えられている仕事はいずれは人工知能によって代替されるものばかり。インフラが機能不全のマニラはほぼパンク状態で、人々は青息吐息で生きている。

農産品からサービス産
業へとところが変わっても、外国と特権階級による民衆搾取の構造は同じ。

そこへ2017年5月、ミンダナオ島で戒厳令が敷かれた。

「アメリカは俺の国の富を貪った(America lived on the fat of my land)」、「欧米はいつだって二枚舌」とドゥテルテ大統領は怒っている。なぜなのか。本書の丁寧な叙述はそうしたことを理解する助けにもなった。
イロイロシティでの朝食
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東京とマニラ

一週間のフィリピン旅行から帰ってきて、二週間。まだ興奮がまだ冷めません。

途上国を訪れたのは初めてではありません。スリランカ、チュニジア、ネパール、インド、インドネシアなどを訪れたことがあります。アメリカのグランドキャニオンでネイティブインディアンの悲惨な生活を目撃し、マレーシアのキャメロンハイランドに行く途中では、山岳民族原住民のスラムにも遭遇しました。

それでも、マニラは訪れたどんな他の場所とも違いました。マニラでは、他の場所では感じることのできなかった「辛さ」を感じました。

辛かったのは、「貧しさ」そのものではありませんでした。訪れたマニラとフィリピン第四の都市イロイロシティではショッピングモールが乱立し、そこは商品に溢れて、華やかな催事が行われ、ショッピング客で溢れていました。もっとも、モールの入り口には、貧しい人が入ってこないようにマシンガンを持った警備員が立っていましたが。

マニラで感じた辛さは、社会と経済が『ちぐはぐ』な感じでした。民間のお金で豊かに整備された場所と、荒れ果ててボロボロで汚い場所。道を不法占拠して住む人たち。ハイヒールを履いて運転手がいる生活をしているお金持ちと、ボロボロのジプニーに乗って何時間もかけてピカピカのボニファシオグローバルシティのコールセンターに通うTシャツ姿のオフィスワーカー。そして、スラムに溢れる裸足の子供達。それらの人たちが、お互いがお互いを存在しないかのように無視し、決して交わらない。深刻な格差、大都会の非常さ、根深い歴史の悲劇でした。

マニラの喧騒から比べると東京はとても静かです。隅田川の水は澄んでいます。道は几帳面に補修され、街路樹は手入れされ、人々は整然と規則を守ってゴミを捨てています。

長いこと、ニューヨークやロンドンやパリと比べると、東京の街並みは汚く、街宣車や駅の自動アナウンスが騒々しいと感じていました。古いものが大切にされないと思ってきました。でも、全ては相対的でした。私は上ばかり見ていました。東京は、私が20歳から50歳になるまでのこの30年でインフラの整備が進み、公共空間の環境がジワジワと改善したことに気づきました。そもそも、今私が住む湾岸に人が住めるようになったのは、川と海が綺麗になったからです。今や、都下に張り巡らされた地下鉄網のおかげで、どこに出かけるのも便利です。小学生が一人で電車に乗れるし、エスカレーターやエレベーターのおかげで老人にも快適です。駅のトイレにウォッシュレットが付いています。道路がバリアーフリーだから自転車でどこまででもいける。図書館でほとんどの本が借りられる。

そして、そんな快適さは一部の人のものではなく、みんなのものです。

都市環境の改善は、バブルの崩壊後もゆっくりゆっくり進みました。個人の所得は上がらず、私たちは相変わらず狭い家に住んでいますが、公共環境はジワジワと良くなりました。

バブルの頃と比べると日本人は心も成熟しました。長いデフレのせいで、服装はカジュアルに、質素になり、若者は堅実になり、中高年の趣味や人生観は多様化しました。そんな社会を作ったのは、私ではありません。政府が、企業が、自治体が、一人一人の日本人が様々な相互作用の中で合意を作り出し、ゆっくりとバランスの良い成熟した社会を作り上げていったのだと思います(あるいはその一番の功労者は、ヤマト運輸、佐川急便、セブンイレブンかもしれません)。

ですが、それを「ありがたいとしみじみ思うことは、マニラを訪れるまではありませんでした。東京はあまりに馴染みすぎた街だから。

個人が幸せな生活を送るには、個人の自助努力、気持ちの持ちようといったものもあるでしょうが、おおもとにあるのは、どんな社会のどんな時代に生きるかということが大きい。世の中には気持ちの持ちようだけではどうしようもないことがたくさん、あります。

出会ったフィリピン人の若者に、”Oh, You are a lucky person”と言われました。昔なら「そんなことないよ!」と反発したかもしれません。でも、今はその通りだと思います。彼女のいう通りです。50歳の私がこうして健康で文化的な生活し、旅行ができるのは、幸運以外の何物でもありません。

 

そのことをフィリピンが教えてくれました。

 

 

 

 

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ソウル旅行ーー戦争記念館とカロスキル

ゴールデンウィークは家族で2泊3日でソウルに行って来ました。

20年ぶりのソウルです!

最近のメディア報道から、行く前にはずいぶん周りに心配されたましたが、蓋を開けてみると飛行機は満席。初夏のソウルはレンタル:チマチョゴリに身を包んで王宮を闊歩する世界からの若い観光客で溢れていました。

私は李朝の民芸や家具のファンで、韓国エステが大好きです。でも、今回は骨董にもファッションにもエステにも関心のない夫と息子と一緒だったので、観光の中心は王宮巡りと食べ歩きになりました。

今回の旅行の白眉は、偶然訪れた戦争記念館でした。

あまりガイドブックに出てない。最初、行く予定がなかったのですが、現地のシティガイドツアーのバスから見た建物があまりに立派だったので、歴史好きの息子と一緒に覗いてみることに。

残虐な写真や日帝時代の蛮行。。。のような展示があるのではとの予想は杞憂でした。抑えたトーンで朝鮮民族の戦乱の歴史を丁寧にストーリー化にした展示で、このような博物館が日本にないことが残念に感じられるほどでした。

ソウル旅行をするなら、ぜひ、おすすめです!

日本の鎧甲冑と全然違う、機能的でバタ臭い雰囲気の高句麗の戦闘服。

10時からの日本語ガイドツアーに参加したのは私たち家族3人だけでした。

「日本で朝鮮戦争と言われる内戦は、1950年6月25日に始まったから、韓半島では<6.25動乱>と呼ばれています」と、ガイドの趙さんの説明が始まりました。

太平洋戦争後、半島には北と南の2つの政府が出来たこと。戦後の経済復興に専念していた南に対して、戦争準備をしてきた北が突然、不意打ちしてきたこと。わずか数週間で北がほぼ全土を制圧しかけ、すわ半島赤化か、というところまで行ったこと。マッカーサー総司令官による仁川上陸作戦で南が巻き返したこと。米軍や国連軍の援軍で今度は南がほぼ全土を制圧しそうになったが、すんでのところで中国人民解放軍が参戦し、人海戦術を仕掛けて来たこと。前線が何度も南北に移動するなかで、たくさんの離散家族が生まれたこと。マッカーサーは原子爆弾の使用を検討したが、それが第三次世界大戦につながることを恐れたトルーマン大統領がマッカーサーを更迭したこと。1953年に停戦したが、それは休戦に過ぎず、今に至るまで、北朝鮮の挑発が続き、半島全体が臨戦体制にあること。。。。

 

ーー韓国の人たちは、北と一つの国になることを望んでいるのですか?北と南はいつか統一されると思いますか?

「それは、一緒になれるものなら、なりたいと思います。でも大国の思惑が絡み過ぎて、実際には難しいと思います」

ーー日本では今にも北朝鮮が攻めてくるかもしれない、戦争が始まるかもしれないと思われています。でも、実際に来てみると、ソウルはとても平和で、若い人たちは呑気に見えます。北の脅威が怖くないのでしょうか?

「いや、怖いですよ。若い人も。でも、今時の戦争は、核戦争で一気に都市が壊滅するような戦争ですから、怖いからって逃げようがないでしょう。ほら、日本は地震国で、いつ何時、全てが崩れるかもしれないのに、なぜ、皆、平然と生活できるのか分からない、とよく外国人に言われるでしょう。でも、日本人は地震を恐れてビクビクしてばかりしててもしょうがないって思いますよね。それと同じです」。

そうか。。。

そんな恐怖の中で、国が半分に分断されたままでここまで発展した韓国はすごい。あるいは、分断され、恐怖にさらされていたからこそ、発展したのかもしれないが。。。。

ソウルは大変な発展ぶりでした。

趙さんのガイドはとても素晴らしく、時間が許せばもっと歴史について教えてもらいたいと思いました。ちなみに趙さんは政府系金融機関で日本の金融制度の研究を担当して以来、カセットを何度も聞いて独学で日本語を学ばれたそうです。息子さんは日本の大学を出て、東京で暮らしておられるそうです。

戦争記念館後は、漢江を渡り、江南地区へ。

現代百貨店のデパ地下の品揃えや買い物客の雰囲気は東京と瓜二つで、外国にいることを忘れるほどでした。もし姑が買い物しにそこに突然、姿を見せても、決して私は驚かなかったでしょう!

ファッション・ストリートのカロスキルの女の子たちのファッション。韓国では江南女子とか、キムチ女とか言うそうです。

カフェのメニューと値段は代官山、六本木なみでした。消費文化満開です。香港、ソウル、東京、シンガポール。。。アジアの若い人たちのライフスタイルやファッションはどんどん水平的になって来ていると感じます。ヨーロッパの人たちみたいに。もはや、日本人か韓国人か、外見では全くわかりません。

LINEのキャラクターたちは韓国生まれ。

LINEショップがありました。お土産にブラウン・グッズを買おうかと思いましたが、日本でも売っているかもしれないので止めました。価格や商品が均質化するということは、外国で買いたいモノがなくなるということでもあります。

でも、それは外面、物質のことです。やはり、韓国と日本はかなり違う国です。本やメディア報道ではわからないことが沢山あります。そのことをたった3日の旅行で感じることができました。

この1年、いすみと東京の往復が続いた後の久しぶりの旅行だったせいかもしれませんが、やはり、海外旅行はいいものです。国を一歩出ることで見えてくるものが沢山、あります! 何歳になっても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【映画評】わたしは、ダニエル・ブレイク

「カスタマーファースト」の資本主義は、たくさんお金を払ってくれる人に優しく、少ししか払わない人に厳しい。

何度電話しても通じないサポートサービス。キャンセルできない格安航空券、ネット予約しか受けつけない病院、徹底的に無駄を省いた飲食店。それらはこの30年でずいぶん増え、テクノロジーの進歩はそれに拍車をかけた。ひどいサービスにイラつくこともあるが「まあ、安いから、自己責任でしょうがないかな』とも思う。効率化のおかげで昔は高かったサービスが随分、安くなっているからだ。

非人間的サービスがいやで、ネットが苦手なら、提供者に厚い利幅をもたらす高価な商品やサービスばかりを買えばいいのだ。実際、企業に利益をもたらせば、こんなに親切にしてもらえていいのか?と思えるほど感動するほど温かくで手厚いサービスが買える。それはビジネスクラスの飛行機に乗ったり高級ホテルで食事をすれば、わかる。多くの利益をもたらす人は大切にされる。もたらさない人は人間の尊厳すら奪われる。世の中の多くのことが金の沙汰だから、私たちは貧乏になりたくない。

でも私たちのそういう気持ちと行動が複雑なフィードバックループによって、積もり積もれば弱い個人が生きにくい社会と不安を作り出している。

雇用の少ない地域に住む人、生産性の低い労働に就いている人、安定した賃金をもたらす仕事に就くだけのクオリフィケーションがない人、介護や子育てなどの家庭内の非経済的な営みに時間を取られるのに誰にも扶養してもらえない人、病気や事故のような不慮の事態で働けなくなってしまった人。それらのために家庭と社会のセーフティネットがあり、政府の所得分配機能がある。それがなければ、強者と弱者には同じ社会に住む人としての感覚が失われ、民主主義が崩壊してしまう。

でも、そうしたセーフティネットにまで資本の原理と最新のテクノロジーが導入されたら?

それが巨大な官僚機構とマニュアル主義に結びついたら?

弱者の中の弱者はいよいよ野たれ死ぬしかなくなる。

この映画はそんな「野たれ死に」の実態をリアルに描いた映画だ。

主人公のダニエルは大工。真面目で人格の立派な人だ。ただ、人生の不運により身寄りがないまま病気になってしまった。納税者の当然の権利として行政に手当の申請をするが、行政の庇護を受けられない。新しいテクノロジー、官僚主義、行政の効率化など様々な理由で。。。。福祉の窓口担当者を含めダニエルを窮地に追い込む悪意の個人は誰もいない。社会の仕組みによってダニエルはもがきながら、じわじわと殺されていく。そのカフカのような(でも私たちにもうすうす身に覚えのある現代社会の)不条理がぞっとするほど怖かった。

そうした不条理に対抗するのは人間としての思いやりと助け合いの心だろう。ダニエルは自分が苦境に陥りながらも貧しいシングルマザーの隣人ケイティを助け、ダニエルの隣人たちもまた、ダニエルに手を差し伸べようとした。弱者は弱者同士で互いに温かさを与え、助け合おうとする。

でも、それだけでは足りない。ダニエルのような人を生まないためには政治の力と、個人的な関わりを持たない多くの人にも共感の心を呼ぶコミュニケーションの力が必要だ。そう、この映画のように。

リアルに、感情に溺れず、社会の冷徹な現実を切り取って見る人の心に訴える映画にした80歳のリーチ監督は素晴らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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専業主婦、共働き、独身キャリア

こんな風に世の中が変わりつつある。これからもどんどん変わっていくだろう。

厚生労働省

バブル時代に大学を卒業した私の世代は過渡期的だから、私のまわりは専業主婦、兼業主婦、独身とさまざまだ。兼業主婦にも専業主婦にも、子あり、子なしがいて、独身にも、ずっと独身、バツ1、バツ2がいて、子あり、子なしがいる。そして、働き方も、大学卒業後にずっと同じ会社で働いている人がいて、何度も転職している人、正規雇用の人、非正規雇用の人がいる。専業主婦から兼業主婦になる人がいて、兼業主婦から専業主婦になる人がいる。

そして、お金持ちがいれば、貧乏な人もいる。

幸せな人も、そうでない人もいる。

同じ日本人で、同じ時代に生まれた育った女性でも、どんなカテゴリーに属するか、過去にどんな推移を経てきたかによって、ライフスタイルや頭で考えていることが違ってくる。

男性と比べて選択肢がたくさんあるから、女性にとっていい時代になったと言われる。でも、多様だからこそ難しいこともある。

とくに、人間関係が。

境遇によって得る情報、人生の目標、住む世界が変わるからだ。住む世界が違うと関心事が違うから、自分の思いに共感が得られにくくなる。たとえ親子であっても世代間ではさらに、共感が難しくなる。専業主婦が普通だった母の世代と、まだら模様の私たちの世代と、結婚しようとしまいと働くのが当たり前の娘たちの世代では、もう違う星に住んでいるみたいだ。

境遇の違いが「お互いがお互いをわからない」ということに止まらず、「羨ましい」「かわいそう」「自分より上だ、下だ」という、嫉妬、同情、比較競争のような感情に結びつくと最悪だ。最悪だと思うから、自分も他人にそういう感情を抱かれないように努める。先を見越して、羨ましいと思われないようにしたり、可哀想だと思われないようにしたり、ひたすら自分を隠す。地雷を踏まないように、万事につけ当たり障りなくなる。他人のありのままを理解しようともせず、自分のありのままを理解されようともしない。他人に助け舟も出さなければ、助けを求めもしない。

そして少しずつ、変化を諦め、他人と関わることを止め、偏狭になっていく。

理想はその反対だ。自分の生き方に誇りを持ち、他人の生き方も尊重する。他人との共通項を見つけようと努力するとともに、適度な他人との距離感も取れる。

そんな大人の女性に会うと感動する。対立より融和を選ぶ人。共通点を見つけようと努力する人。自分と他人の違いに純粋な好奇心を持てる人。他人の幸せを自分の幸せと感じられる人。自分の弱さをさらけ出して、しかも人に寄りかからない人。教えを乞うことをいとわず、逆に自分も無償で人に教えてあげられる人。どんな人とも水平に付き合える人。理性的な判断をしつつ情にも厚い人。

そうした女性は、専業主婦にも、兼業主婦にも、独身にも、子ありにも子なしにもいる。

もちろん女性だけでなく、男性にもいる。

そういう人は、必ずしも、一番、世の中で成功している人ではないかもしれない。陽の当たるところにいないかもしれない。でも、多分、社会はそういうまっとうな人によって支えられている。そういう人のおかげで、一人一人に違いがあっても社会はまとまりを失わない。

幸いなことに日本の社会にはそういう人はまだたくさんいる。

サウイフヒトニワタシハナリタイ。

 

 

 

 

 

 

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チベットと私

私は基本的に主婦+翻訳業ですが、チベット亡命政権(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所)の翻訳ボランティアとカワチェンでのチベット語の勉強も生活の一部です。

チベットと関わるきっかけは、シンガポールに住んでいた2008年に、日本のチベットハウスのホームページ上の「チベット旅行者のための状況説明書」を翻訳したことでした。

以来、チベット問題、チベット仏教、チベット語、チベット文化にチベット料理。チベットについて少しずつ学んでは驚いたり、面白がってきました。チベット人の知り合いも少しずつ増えました。

一昨年、ダラムサラを訪問したとき。チベット亡命政権情報国際関係のプロトコール担当官ソナムさんと私。

ダラムサラの図書館で会った人たち

組織に属さず、専門家でもない無名の私がチベットのことを発信しても、誰に届くのか心もとない。チベットというマイナーなジャンルへの引け目、筆力や知識の乏しさ、深刻かつ重大な側面のある情報を私的ブログで発信することへのためらいもあり、これまであまり書けないできました。

でも、思えばずいぶん長くチベットに関心を持っている。チベットの方々から色々なことを教えていただいた。チベットを通じて、インドや中国にも興味を持つようになった。多分、これからもずっとチベットに関心を持ち続けるだろう。一サポーターとしての立場を踏まえつつ、これから、もっとチベット語を学び、本を読み、積極的に旅行し、人と出会い、話し、感じたことがあればそれをまとめ、他の人ともっと分かちあいたいと思っています。

日本人とチベット人は顔が似ているし、言葉も似ています。日本人とチベット人を個人で比べるとそんなに変わりません。亡命チベット人は皆、数カ国語を操るし、バイタリティがあります。インテリで弁のたつ人も多い。にもかかわらず民族、社会、集団として見るとチベットの置かれた状況はあまりに綱渡り的に厳しいものです。

チベットを知ることで、自分の住む日本という国の成り立ちにも関心を持つようになりました。

ダライ・ラマ法王のお兄さんギャロ・トゥンデュップさんの自伝を一部抄訳してをまとめてアップしました(こちら)。翻訳出版してくださるところを見つけたいのですが、なかなか見つかりません。良かったらご覧になってください。チベット問題と国際関係の複雑さがわかります。

自伝の拙評はこちらです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【書評】何があっても大丈夫 櫻井よしこ

櫻井よしこさんはもう70代なのに現役バリバリのジャーナリストだ。テレビで見るお姿は、奇跡的に若々しく、頭脳明晰。それでいて清潔で優しげで美しい。ニュースキャスターをされていた頃より透き通った妖精のような美しさを感じさせるほどだ。

 

http://www.jimo2.jp/areanews/index.php?id=2148

個人的にはチベット関係のパーティーで一度、お姿を拝見したことがある。とても華奢な方で、ばっちりブローでヘアスタイルを決めていた。

櫻井よしこさんと、他の凡百の女性を隔てる壁は何か?

その清潔感の源はどこにあるのか?

それが知りたくて、自伝的な迷わない。何があっても大丈夫を読んだ。

彼女の秘密は、小さい時からお母様に言われ続けてきた「何があっても大丈夫」という魔法の言葉だった。夫に捨てられた極貧のシングルマザーの環境に陥っても、妬み、僻み、諦めに偏らず、自己卑下せず、人を恨まず、櫻井よしこさんのお母様の心は奇跡のように清潔なままだった。

人間、「大丈夫」な環境があるから「大丈夫」というのは簡単だ。大抵の人は、「大丈夫」な環境の下でも根拠のない不安と恐怖に押しつぶされて自分の足で一歩を歩みだせない。でも、彼女はほとんど大丈夫じゃない環境で「大丈夫」と呪文を唱え続けて、人生を切り拓いてきた。

結婚して子供を生んでという伝統的生き方を全く否定していなかったのに、結果的に、その人生はまるで修道女のようにストイックなものとなった。彼女のずば抜けた能力と社会的成功には、仕事を追い求めているうちにいくつも家庭を持ってしまうような破天荒でアウトライヤーな父親の血も関わっているに違いない。

ジャンルは違うものの、ひどい幼少時代を送りながら、素晴らしい仕事をし、清潔な人格を開花させた高峰秀子さんや、やはり生まれで苦労しつつも、自分の中の矛盾を統合して素晴らしい能力を社会で発揮したアメリカの前大統領バラク・オバマ氏のことを考えた。

 

 

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外便所を納屋にリフォーム

いすみの古民家には庭に古い外便所がありました。

畑仕事や庭仕事をする時に外便所は便利なものです。長靴で作業していて用便するとき、いちいち靴を着脱して家の中と外を行ったり来たりするのは面倒臭いですから。

でも、外便所は随分前から使われておらず、浄化槽ともつながっていませんでした。それで、私たちが入居したとき、すでにこの家の前の小屋は無用の長物と化していました。

掘立て小屋だし、大きさも中途半端だし。。。。正直、大切に残したいと思うような建物ではないのですが、ちょっと風情がある建屋ではありました。迷ったのですが、結局、外側を残して中身を取り払い、小さな納屋兼自転車置き場として再利用することにしました。

 

壁と扉、便器などの撤去や屋根の張り出しの拡張、トタンの張り直しは工務店さんにお願いしました。その後、屋根と壁のペンキの塗り直し、床の整備は自分で直すことにしました。

床を自分でやることにしたのは、工務店から出てきた見積書で「床のコンクリート打設」が思いのほか高かったからです。わずか2平米で6万円。

工務店から最初に出てきた小屋改装の見積もりは20万円弱でしたが、コンクリート打設以外にも費用を抑えるよう努力して、なんとか11万円強に抑えました。

ボコボコの床に砂と路盤材を敷いていきます。

       

家周りのDIYと外回りのDIYの違いは、後者は材料がとても重いことです。一袋20キロの砂袋をたくさん、買いましたが、運ぶだけでとても大変でした。それでいて20キロの砂は床に敷くとほんのちょっとにしかなりません。

 

東京で重いモノをほとんど持たない生活ですから、すごくギャップがありました!

ペンキ塗りは楽しい作業かな。。。と思っていましたが、ペンキ缶のフタを開けるだけで一苦労(泣)。

と、そんな大変な思いをして塗り終わった小屋の姿に大満足!

 

結局、材料、工具の費用なども合わせると、20万円くらいにはなってしまいました。モノを収納する場所ですが、中に収納するモノより入れ物の方にお金がかかる(泣笑)

数週間かけて作業している間に季節はすっかり春。再び庭の手入れの季節が到来しました。落ち着いたら、いよいよ本丸、キッチンと洗面所のリフォームに着手しようかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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