34歳の女性

その日本人女性は私が22歳のとき34歳だった。私と彼女はパリで出会った。

知り合いのフランス人男性の元恋人だった彼女は、フランスの大企業の社長秘書で、フランス人の社長の帰仏に伴って請われてパリに赴任して間もなかった。腰まで届くロングヘアで、足首が細く、ハイヒールとタイトスカートの似合う美しい女性だった。パリの15区のルモンドの本社近くにある、大きなリビング、寝室と書斎のついたアパルトマンに住み、とびっきりハンサムな新しい恋人と付き合っていた。もちろん、フランス人の。

留学生だった私は何度か彼女に家に泊めてもらい、彼女の家のパーティーにも招かれた。1989年7月14日のフランス革命200周年の日、私は彼女と彼女の恋人と、彼女の友人たちとパリの街で夜通しどんちゃん騒ぎ続けた。とんでもなく楽しい晩だった。

貧乏留学生だった私は、彼女の家のバスルームに並んでいたディオールの化粧品や香水や、高級な皮製ビジネス・バッグに憧れ、仕事を認められて渡仏した彼女の仕事力に憧れ、家賃の高いパリで広いアパルトマンを借りて、他人を泊めることもできる彼女の経済力に憧れ、異国の地で映画に出てくるような美しい男を恋人に出来る彼女の女性としての魅力に憧れた。12年後の34歳になったとき、自分も彼女のような自由な女性になりたいと強く望んだ。

34歳は、大学を卒業した若者が10年ほど仕事をすることで一人前になり、世間を知って個性的なキャリアを築き始める年であり、女性がさまざまな体験を経て成熟した恋愛が出来る年だ。そしてセンスの良い服やインテリアを選ぶ審美眼と、それを買える経済力がつく歳。つまり、自由で官能的な人生を愉しむ大人の女性になる歳なのだ。

少なくとも22歳の私にはそのように見えた。だから、その後ずっと、1989年に出会った彼女の齢、34歳は私の中でベンチマークであり続けた。

時は矢のように過ぎる。22歳だった私は30代に近づき、彼女は40代になった。彼女は上司の退職に伴って、当初パリで働いていた大企業を辞めざるを得なくなり、その後は日本の官庁や企業から調査の仕事などを請け負うコンサルタントとして生計を立てながらパリに住み続けた。さまざまな恋愛をしても結婚はしなかった。彼女は束縛を嫌う自由至上主義者だった。

私も働いてお金をもらうようになり、彼女ほど立派ではないが自分の城を持ち、化粧品やブランド服も買えるようになってきた。彼女の生活スタイルは徐々に手が届く範囲のものと感じられるようになり、それとともに憧れの気持ちは薄れていった。

パリに住み、仕事をバリバリして自由恋愛を愉しむ彼女は間違いなく20代の私のロールモデルだった。だが、30代になり、保守的な気持ちが芽生えるようになると、40代で独り戦い続ける彼女はロールモデルではなくなってしまったのだ。

年下の女性はなんて自分勝手で年上の女性に残酷なんだろう。

魅力的だった彼女の腰まで届くロングヘアには次第に白髪が目立つようになっていった。一切無駄なもののない白くてシンプルそのものの彼女のパリのアパルトマンは次第に寒々しく見えるようになった。感覚的で新鮮だった彼女の言葉は、攻撃的で刺々しく感じられるようになった。徹底してイエ、ムラ的なものを避け、家族や子どもを作らない彼女は私の中でいつしか「痛い」存在になった。

一時は憧れていると公言し、後を追い回して、相当可愛がってもらったのに、彼女に魅力を感じなくなった私は次第に自分から連絡を取らなくなり、とうとう音信不通になってしまった。彼女にしてみれば、飼い猫に裏切られたような、腹立たしい、あるいは寂しい気持ちになったに違いない。

時はさらに矢のように過ぎる。私自身、ベンチマークだった「官能的な大人の女性」の年である34歳をあまり官能的ではなく、誰の憧れの対象にもならずにあっさり経過し、若い時には想像を超えたとんでもない大年増に突入してしまった。私の12歳年上の彼女はもう還暦に近い。仕事はしているのだろうか。その後、どんな人生を送っているのか。まだパリにいるのか。。。。おそらく私が彼女のその後の人生の正確な経緯を知ることはあるまい。

ときどき、34歳の彼女のセクシーな足首、大きなアパルトマンの窓枠からの景色や、ハイヒールを響かせて階段を上る音、ディオールの香水の匂いを思いだす。22歳だった私は47歳になってまだ生きている。恐らく59歳の彼女もどこかで生きているはずだ。でも、あの素敵な34歳の女性の輝きと、彼女に強い憧れをもった若い私は、もうどこにも存在しない。あの1989年の革命記念日のパリの夜の輝きも永遠に、二度と戻ってこない。

すべてはこんな風に通り過ぎて、モノも気持ちもなくなっていく。

ふと思い出した、25年前のことを書いてみました。

読んでくださってありがとうございます。

 

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