月別アーカイブ: 2017年12月

今年もありがとうございました

予想外のトランプ相場。気がつけば、日経平均はバブル以来の最高値をつけ、AIやらブロックチェーンが世の中のキーワードとなり。世間は変わらないようでは、変わらないようで変わっていきますね。

ご近所、新川界隈のレストランは、留学バイト生が里帰りするせいか、今年の年末年始、長く休むところが多いです。不況から一転、人手不足は今後、ますます深刻化しそうです。

問題は、不足しているのは安い労働力ばかりというところなのでしょうが。。。。

さて、私の2017年。振り返ってみれば、何もなかったようで、いろいろなことがありました。

2016年4月に買ったいすみの古民家

昨年は毎週のように通いましたが、今年はほぼ2週間に一度のペースにスローダウンしました。春までに外便所を納屋にした以外、人の手を借りるような大きな修復はせず、もっぱら、庭仕事に勤しみました。買った当時は「早く人を呼べるような素敵な場所にしなければ」と焦っていましたが、「別にこのままでも住める。人に見せる必要はない。綺麗になればそれに越したことはないが、そのままでも悪くない」と思えるようになりました。ようやく、新しい工務店とのプロジェクトが来年から稼働する予定です。まずは裏庭の整地からです。

いすみに通う頻度が少し下がったのは、思いのほか、本拠地東京の生活が忙しかったから。前は50代に入ったらスローダウン。。。と思ってましたが、むしろ、その反対。気持ち的にも物理的にも、ますます毎日のTo do listに追われるようになり、あっという間に一日が終わってしまいます。

まあ、忙しいのは自業自得です。

今年は、フィリピン、韓国、中国(チベット)と、近くの三つの国を旅行しました。フィリピンはひとり旅、韓国と中国は家族旅行です。

フィリピン旅行は忘れがたいものでした。帰ってきてから、たくさん、本を読みました。新しい視点、座標軸をもらいました。リンク

GWの韓国旅行はわずか3日でしたが、戦争記念館を訪れたり、カロスキルでコーヒーを飲んだり、お隣の国の今を体感できました。リンク

8月の中国旅行では北京と甘粛省(敦煌、ラプラン寺など)を訪れました。初めて訪れた北京は想像を超えて、すげー場所でした。中国、すごい。チベットのアムド地方の遊牧民の現実はショックでした。一緒に旅行した息子がチベットに関心を持つようになりました。帰りの飛行機の欠航のハプニングも家族にとって良い思い出になりました。→リンク1

リンク2

リンク3

リンク4

東京にいるあいだは、ひたすら自宅でMacに向かってる時間が長かった。

「作りたい」の一念で、8月にLINE STAMPを自作しました(チベット男)。使ったのはGIMPSという無料ソフト。なかなか売れませんが、作る作業はすごく楽しかったです。

あと、集広舎の川端社長との出会いのおかげで11月に2冊目の本を出すことができました。これまで10年間のチベットボランティアの経験が結実した本です。書いているあいだは、ずっとダライ・ラマの声が私の中で響いていました。自分のために書いたようなものです。

本書の制作過程では、翻訳のほかに、デザインやイラスト、タイポグラフィーなどに関心が高まりました。新しいことをインプットする一番有効な手段はアウトプットすることですね。

9月には、以前から学びたかったTM瞑想を学びました。直接的な生産性につながらない12万円を捻出することも、毎日、1日40分の時間を瞑想に充てる決心をすることも、決して簡単ではなかったのですが、難しい、難しい、と言っていたら、人生、終わってしまう。とにかく、できるときにできることを始めよう、と思って。→リンク

始めて3ヶ月。とてもいいです。

11月から年末にかけては、モーショングラフィックスの学校に通いました。→リンク

TM瞑想同様、残りの人生、どのような形で社会と関わっていくのか、どのように時間を使いたいのかを考えた上での投資でした。

なぜ、モーショングラフィックスなのかって。。。。

転機のきっかけは、いつも偶然。人生、いつどこで何が起きるか、わからない。

モーショングラフィックスに興味を持った直接のきっかけは、上述の中国旅行の際に、旅行代理店から一つの動画を紹介されたことでした。こんな動画を私も作れたら、と強く思いました。「そんなの、この年になって今更できない。。。」と怖気付きましたが、「やりたい」という思いが勝りました。

伏線にあったのは、夏に作ったLINE STAMPの「とても楽しかった感」です。

また、本を作る過程で、世の中が文字から絵、静止したものから動くものにどんどん、変化している実感がありました。

結果的には、学校に行って、本当に良かったです!

それ以外にも、7月には義父の逝去、9月には息子の来年の米国交換留学が決まるなど、身辺の変化がありました。

合間にはいろんな本も読みました。→コクリコのアマゾン書評

色々、やりすぎた報いか五十肩になり、年末には整骨院に行くハメに。昨年も年末には目の充血が取れないトラブルに見舞われましたが、今年は肩。やはり、この年齢になれば色々あるもんです。PCの前にずっと座りっぱなしのお地蔵さん生活が続いた報いで10年間で10キロ太ってしまい、夏以降には一年発起。ダイエットでなんとか4キロ落としました。→リンク

本当に色々あった一年でした。なかなか前に進まない時もありますが、今年は全体として前に進めた年でした。

これからも一瞬一瞬を大切に。そして、未来のめぐりあいの中で、過去の様々なdotをつなげていく作業ができたら、と思っています。楽観的に、誠実に。

あとは、あと6キロ痩せられたら、と!

更新が遅いブログですが、読んでいただき、ありがとうございます。

来年も引き続き、よろしくお願いします。

下山明子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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楽観主義と不随筋

ダライ・ラマは、「楽観主義でいきましょう」と言われた。その言葉が響いたから、でクローズアップしたのに、本音では、まだまだ咀嚼しきれてない自分がいる。

「コップに水が入っている。『もうこれしかない』という人もいれば、『まだこんなにある』という人もいる。同じモノを見ても、それをどう受け止めるかはヒトによって違う」。

それは30年前に親しかった人の口癖でもあった。

まだxx歳(楽観主義)なのか、もうxx歳(悲観主義)なのか。

100万円しかない、なのか、それとも100万円もある、のか?

こんな仕事しかできない、なのか、こんな仕事もできる、なのか?

客観的事実にどう意味づけするかは自分次第。

22歳の私は、「『全ては心の持ちよう』なんて、くだらん精神論だ。客観的な事実に対する自分の感じ方を自分で決めることは難しい」と思っていた。「●●さんみたいに美人でお金持ちで、恋人もいれば、幸せになれる。でもそうじゃない私は幸せじゃなくて当然」と思っていた。

いや、美人でお金持ちでなくても幸せにはなれる人はいるだろう。だが、そのために、美人でお金持ちでなくてもいい、と自然に思い切れないといけない。

残念ながら、心は不随筋なのだ。世の中にはもともと将来に対して楽観的な性向の人と、悲観的性向の人がいる。悲観的な親に育てられれば、悲観的になりやすいし、楽観的な親に育てられれば、楽観的になる。誰かを好きになるのに理由はないように、楽観的になるのも悲観的になるのも理由はない。株式市場にも楽観的なときも悲観的なときもある。そりゃ、いつも楽観的であるに越したことはないが、それを意思でコントロールするのは難しいし、不自然だ。

正直、その気持ちは50歳になった今もあまり変わってはいない。悩んでいる人に明るく楽観的な言葉をかけることできる。悲しくても、人前では努めて笑顔を作る、とか、将来を悲観しがちな自分を「頑張れ!」と励ますことはできる。でも、心の底から、自然に、心を望ましい方向に持っていくのは難しい。「楽観的に。。。」と自分で自分に言い聞かせるより早く、すでに悲観的な気分になってしまっている。一体、それを、どうすれば変えられるのだ!

ダライ・ラマの悲惨な半生に反比例するような屈託のない笑顔、将来に対する明るい見通しは、人間が困難の中でも楽観的でれることの例証ではある。ダライ・ラマだけでなく、客観的な状況にかかわらず楽観的な人を私はたくさん見てきた。そういう人は、生まれつき脳内のエンドルフィンが出やすい構造なのだろうか?それとも単に、現実認識能力が弱いだけなのか?

信仰や瞑想が楽観主義の一つの鍵であることは確かだろう。チベット仏教や禅を実践する人の中には本当に澄み切った顔をしている人がいる。ヤマト運輸の小倉昌男さんのように現実を変えて偉業を遂げる起業家には信仰心があることが多い。ダライ・ラマの楽観主義も、生来の性質というよりは、長年の瞑想で心をコントロールする術を学んだ結果だろう。仏教には心のインナーマッスルを鍛えるメソッドがある。

では、信仰もなく瞑想時間も乏しい凡夫はどうすれば良いのだろう?

どうせ不随筋は動かせないと諦めて、せめて動かせる筋肉だけでも動かすということか。

「笑う門には福きたる」のことわざを信じて、嘘でも笑う。心で悲観的になっても、絶対、それを言葉にしない。なるべく、悲観的な人との交わりを減らす、悲観的になりそうな情報は取り込まない。楽観的な人のオーラに近づく。そうやって、プチプチ、悲観のタネを潰す。

恋多き女だった作家の宇野千代さんは、生前、「私、(辛い思い出は)忘れてしまうんです」と言っていた。忘却もまた、楽観的に生きるための知恵だろう。

そもそも、コップにどれだけ水が入っているか(=過去の体験で自分が作り上げたベンチマーク)を忘れてしまえば、過去を比較して、まだこんなにあると喜ぶことはない代わりに、これしかないと悲しみ、恨むこともなくなるのだから。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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