月別アーカイブ: 2017年9月

【書評】チャーズ―中国革命戦をくぐり抜けた日本人少女

敦煌を旅行中、ガイドのメリーと一緒に、敦煌名物、ロバ肉入り麺のランチをしているときだった。

敦煌名物ロバ肉入りの麺

メリーはフェイクのグッチのリュックを背負い、伊達メガネをかけている。小柄で肉付きが良く、ちょっと稲田朋美に似ている。東京のセブンイレブンでレジ打ちをしていても全く違和感のない中年女性だ。

私はメリーに、「どうして敦煌に住んでいるの?」と聞いてみた。

メリーはこともなげに言った。「父が湖南省から甘粛省に移住してきて、母と敦煌で知り合って結婚したの。でも、父は結局、ここで餓死したのよ」と。

「ガシ」という言葉が刺さった。

メリーが生まれてから、食べ物がなくてお父さんが死んだということは、大躍進か?

敦煌は僻地だから、もしかしたら、大躍進が長引いて物流の麻痺や凶作の影響が長く続いたのだろうか?

好奇心はあったものの、メリーのプライバシーにそれ以上立ち入るのは止めた。政治的なことは話せないかもしれないし。

その代わりに、帰国後に「チャーズ」を読んだ。

「チャーズ」という本の存在は中国に行く前から知っていた。名作との評判が高かった。だが、あえて読む気は起きなかった。

飢餓、暴力、悲惨を描いたノンフィクションは読んでいて辛い。ましてや、それが実話、本人の体験談なら。私にはホラー映画や戦争映画の趣味はないし、もう小学生ではないから、「戦争は怖くて嫌だと思いました」と言うような作文を書く必要もない。

だが、メリーの一言から生まれた好奇心が私を本書に向かわせた。

もちろんメリーの父の死とチャーズの悲劇は別物だ。だが、両方とも中国の大地で起きた悲劇という点で共通点はある。

チャーズは中国建国前後の内戦時の長春で、戦前に満州に渡った作者の遠藤誉さんとその家族が実際に経験したことを、成人後の再構築したノンフィクションのドキュメンタリーだ。

当時、長春の街は国民党軍が支配していたが、その街が共産党軍に包囲された。外からの兵糧攻めに逢った街の人々は、どんどん痩せ、雑草や犬まで食べ、とうとう、人肉市場開設の噂が立つ。街からの脱出を図った日本人家族が街の内外の境界地域であるチャーズで見たものは。。。

緊迫感を持って最後まで一気に読了した。

兄弟が餓死すること、餓死者の上で眠ること、死んだと思っていた人の手が動くこと。。。。やはり描写はリアルで、とんでもなく怖かった。

肉体的苦痛を想像して戦慄したら、あとは自動的に「平和で豊かな日本で生まれ育ったことに感謝」の思考モードになってしまう。

特攻隊、戦艦大和、原爆、アウシュビッツ、東京大空襲、ベトナム戦争。7時のニュースで流れるひどい殺人、事故、災害などの悲劇。

全部、そうだ。

私たちはそれらを見聞きして、「怖い。。。」と思い、そういう恐怖がない「今の日本の自由で平和な日常」をありがたいと思う。そして、悲劇の教訓を探し、悪の根源を探し、それを憎むことで小市民的な精神の安定を得ようとする。

だが、本書の一番の怖さは、「そんな小市民的な感慨は無駄だ!」と読者を突き放すところだ。

「現実は、そんなもんじゃないんだよ」、と遠藤さんは言う。「それは、日本の侵略が悪い。。。」とか、「中国共産党の独裁が悪い。。」というようなものではなく、「戦争が起きないようにするには。。。」「家族の死を無駄にしないためには。。。」と考えること自体がそもそも間違っている、と言う。

チャーズは完全に国民党軍と共産党軍の馴れ合いによって起きた人災であり、数十万の人々の非業の最期には意味がなく、そこから教訓も引き出せない、と言う。自分たち家族や多くの人の肉体的苦痛が無意味で不条理だったと遠藤さんは言う。

チャーズの真因は、中国の厳しい原野の気候風土と「大地の法則」にある。それが本書の結論だ。人命をあまりに滑稽に弄び、個人の人生の価値を無意味化してしまう中国の大地の法則そのものを畏怖している。

それは法則なのだから、チャーズは不条理でなく条理だったのかもしれない、とすら言う。

さらに、遠藤さんは「もう嫌!たくさん!忘れたい!」と言いつつ、そういう中国の大地が同時に持つ、暖かい包容力、寛容さ、命を育む力に魅せられて、その後も中国と関わりを続けることを選んでいるのである。

個人に降りかかれば、一生に一度、驚天動地の悲劇であるチャーズも、鳥瞰的に見れば、それは繰り返されている。中国では似たような悲劇、人災が繰り返されてきた。チャーズの前には様々な内乱、その後にも、大躍進、文化大革命。。。。

もしそれが不可避な「大地の法則」なら、今後も、それは起きる可能性はあるし、法則なら起きるのが必然ということになる。

やれやれ。

メアリーは父の餓死の話の後、「息子がウィーチャットにハマっている件」をひとしきり話した。周囲を見回せば、上海や広州から来た裕福な観光客が嬌声をあげながらスマホで自撮りしている。

もしかしたら、満ち足りた様子の観光客の親兄弟は、もしかしたら、拷問死したり餓死したりしているのかもしれない。

いや、観光客自身が10年後にはチャーズの生き地獄を体験するのかもしれない。

食べきれないほどのご馳走を食べた私たちに、「食事は足りた?満足だった?満足だったらアンケートに、『満足だった』って書いてね」、とメアリーは笑って優しく言った。

世の中はシュールでグロテスクだ。

 

 

 

 

 

 

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中国旅行(4) 敦煌のソリ運び男

敦煌という町

砂漠のオアシス都市、敦煌はシルクロード河西四郡の最西端の都市だ。

新疆ウィグル自治区はすぐ隣だが、漢民族が人口の99%を占めている。一帯一路構想の戦略的立地にあり、観光で潤っている町は小さいながら、なかなか綺麗なところだ。

スイカ売りの三輪車。1個5元

敦煌のシンボルは飛天

昨年のシルクロード国際文化博覧会の会場となった劇場。度肝を抜くスケール

シルクロードの歴史よりも美術よりも、敦煌で心に残ったのは観光地で働く動物とヒトだった。

ラクダの隊列と観光ガイド

砂の砂漠をラクダの隊列が行く鳴沙山月牙泉。実にインスタ映えするスポット。

ラクダに乗っているのは全員、観光客

直射日光がギラギラと照りつけている。観光客は日焼け止めクリームをベタベタと塗った後で、布を体に巻きつけて完全武装して、にわかベドウィンになる。

生まれて初めて見るラクダの隊列。ラクダは意外と小さい。

「ラクダ、可愛いね!

「ラクダも大変よ。なにせ朝5時から働いてるんだからね」——中国人ガイドのメリーが低い声で言った。

メリーは自分が寝不足で辛いから、そう言ったのだ。

観光地のラクダ同様、ガイドの仕事は過酷だ。私たちの飛行機が遅延したせいで、一昨晩、彼女は夜中の2時まで私たちの到着を空港で待っていた。もし飛行機の到着が朝になったら空港で徹夜をしていただろう。それでも翌日の観光は8時から始まる。

観光は無数の黒子のおかげで成り立っている。ガイドのほかに、ホテルでシーツを替え、部屋を掃除する客室係。レストランの調理人やウェイトレス。運転手、切符切り、マッサージ師など。。。

観光に関わる仕事の多くは合理化が難しく、したがって生産性が低く、低賃金で非正規の労働が多い。そういう黒子たちの苦労のおかげで、快適で楽しい旅行ができる。

砂漠の滑り台

ここを滑る

鳴沙山はその名の通り、「砂が轟々と鳴る」ことで有名なスポットだ。風の侵食により砂に空いた天然の微細な孔のせいで、晴れた日に風が吹くと、砂同士の摩擦により、管弦や兵馬が打ち鳴らす太鼓や銅鑼の音のように聞こえる、という。そして、その音は、砂の上を人が滑ることでも聞こえるらしい。音を聞きたい多くの観光客のために、砂滑りコーナーがあった。

下で待っていて、砂滑りが終わったソリを回収する

快適に砂の上を滑るため、観光客には砂滑り用の木製のスノコのようなソリが貸し出される。砂山の頂上で、一台10元(160円)を払って業者からソリを借りて、ズズーっと滑るのだ。そして、滑りきった先で待っている業者にソリを返す。業者の男たちは返されたソリが7台集まるのを待ち、集まると、それらを背負って再び山のてっぺんまで運んでいく。

ひたすらソリを下から上に運んでは観光客に滑らせる、というシンプルなビジネス。

砂漠の体感温度は50度。朝5時から夜9時半までカンカン照りだ。そんななか、7台のソリを担いだ男たちは腰を曲げて、喘ぎながら、砂を踏みしめて険しい山を登っていく。一回の山登りにかかる時間は30分くらいだろうか。

男たちは汗を滴らせ、顔を歪ませ、「ウー」とか「ウォー」とか、雄叫びをあげながら、登る。登るすぐ、下りる。そしてソリを集めてまた登る。それを延々と1日中、繰り返す。男たちは砂漠の炎天下に1日中、肌を焼かれながら、ソリを運び続ける。

日焼けや熱中症どころの話ではない。そんな仕事は皮膚にも体にも良いはずがない。1台160円のソリを1回7台担いで、約1,000円。一日に何回、往復できるのだろうか。胴元のマージン、ショバ代、ソリの減価償却を入れれば、このソリ運び男たちの1日の稼ぎは2,000〜3,000円くらいだろう。

 

身体を資本にした肉体労働は人間の仕事の基本だ。全身の力を使って休みなく働き、それでもやっと食べいけるかいけないかのカツカツの生活。産業革命が起きるまで、世界の大半の人がそのように生きていた。私の祖先も、そうやって命を繋いできた。

21世紀の今も、世界にそういう人はたくさんいる。シンガポールの道路工夫。デリーの人力車引き。マニラのスカベンジャー(ゴミ漁り)。

AIもシンギュラリティも、全く関係ない世界。。。

観光客はキャーキャーと無邪気に歓声をあげて楽しんでいる。その横でソリ運び男は黙々と運び続ける。

 

マスツーリズムのど真ん中の中世

システム化されたマスツーリズムの底辺に、まるで中世そのままの仕事があった。

鳴沙山のラクダやソリ運びの男たちのリアルな汗と苦しみを見たら、シルクロードの歴史や美術はもう、どうでもよくなってしまった。

人余りの国に行くと、少子化も悪いことばかりではない、と思う。労働力の供給過剰なら、労働者を守る規制など生まれない。どんなに辛い仕事でも、それで現金が得られるならいくらでもやりたい人がいる。

だが、人が余っていれば、人の労働の値段も命の値段も安いままだ。

私の触れ合う人たちは、どのような人たちで、その人たちのもらっているお金はどれくらいで、どんな風に暮らしているのか?

人件費が高い国では、こんな仕事は成り立たない。アメリカでも日本でも、こんな仕事は機械がやる。

ここでも機械が導入されたら、過酷な労働はなくなる!

だが問題は、そうしたら人々が食べていける仕事そのものもなくなってしまう!

そうしたら、男たちはどうやって生きていく?

なら、どんなに辛い仕事でも、やはり、ないよりあった方がいいのか?

イエス。 あった方がいいのだろう。

だが。。。。人身売買や、少女売春や、児童労働は禁止されている。なら、あまりに過酷な低賃金の肉体労働はどうか?なら、動物の酷使はどうか?

結局、ラクダやソリ滑りはしなかった。10元が惜しかったからではなく、ラクダやソリ運び男がかわいそうすぎて、できなかった。

敦煌のソリ運び男に幸あれ。

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中国旅行(3) フライト遅延、キャンセル

教訓:

  1. 中国ではマスツーリズムが爆発中。旅行人口の急激な拡大のせいで、インフラが追いついていない
  2. 中国の国内便の運行は不安定。移動に飛行機を使うことは大きなリスクがあることを認識すべき。ましてやいくら安くても第三国へのトランジットに中国の空港を使うことは絶対避けるべし
  3. 中国の航空会社(私のケースはエアチャイナ)はトラブル発生時にルールに基づく対応がされない。非常時には「早く情報を得たもの」「ごねた者」が得をする。

 

今回の9日間の中国旅行は、飛行機の遅延、キャンセルのせいで、帰国が一日遅れた。北京、敦煌、夏河と、飛行機と鉄道を組み合わせて順調に楽しく移動しつつ迎えた8日目。あとは北京1泊して早朝に羽田便に乗り継ぐだけ、となったところでトラブルは起きた。

夏河からの飛行機が到着した西安の空港ターミナル。出発ボードの中国国際航空西安-北京便に”delayed”の文字。これがケチのつき始めだった。はじめは、「北京到着が遅れれば、ホテルに着くのも遅れて睡眠時間が短くなっちゃう」くらいに思っていた。

ところが甘かった。ボード上の予定出発時間はどんどん、遅くなる。夜10時まで待って、とうとう表示は突然、”flight cancel”に変わった。

飛行機の遅れやキャンセルは、どの国でもある。ただ、普通は天候や機材の整備などの「飛べない理由」が示される。トランスファーなどの問題があれば、代替案も示される。

ところが今回は違った。西安空港のアナウンスはひたすら、「(北京)空港が混んでいる。。。」というだけ。飛行機が飛ぶ可能性は?飛ばなかったらホテルは提供される?フライトキャンセルのせいで、乗り継ぎ便に乗り遅れたらチケット代は補償される?新しい乗り継ぎ便を、どのタイミングで、どう予約しなおせばいい? これらの疑問は最後まで晴らされなかった。

頼みの情報源のスマホも、中国国内の規制のせいでウェブ環境が悪い。旅行をコーディネートしてくれた中国の旅行代理店の担当者の携帯にも電話したが、何せ、夜の10時。彼女もお手上げのようだ。

抗議する私たちに、搭乗口の係員は「航空会社は欠航の責任は取らない」の一点張り。なぜか中国人の乗客は割と落ち着いていて、潮が引くように搭乗口から消えていった。「絶対、明朝、北京に着かなきゃならないんだ!明日の飛行機をどうやって予約すればいいんだ!」と係員に叫び続けるのは外国人、つまり私の夫とスペイン人の夫婦だけだった。

なぜ、中国人は抗議しないのか?不思議なのは、北京行きだけではなく、出発ボードの表示が「フライト・キャンセル」だらけなことだった。西安だけではない。蘭州でも敦煌もそうだった。一体、中国人はいつもこんな不安定な運行に慣れているんだろうか?

後で聞いたところ、嘘か本当か、中国の国内便は、単に乗客数が少なく採算が取れないとわかった段階でキャンセルされるらしい。乗客はホテルと代替便を提供されて、翌日出発する、というだけ。客は金さえ損しなければ、多少の時間の損には目を瞑るというわけだ。

国内便は遅延、欠航だらけ

深夜の西安空港の中国国際航空のカウンターで、私たちは気を取り直して翌日の北京行きフライトを予約した。私たちの悲壮な顔に係員の言葉はミステリアスだった——

「なるべく、キャンセルになりにくい便がいいわよね。じゃあ、出発時間は少し遅いけど、これじゃなくて、あれにしましょ」。

そう。どうやら、中国にはキャンセルされやすい便と、されにくい便があるらしい。

もう、どう頑張ってももう、翌朝の北京-羽田便には間に合わない。私たちは西安空港の地下のホテルにチェックインした。もちろん、自弁だ。携帯を充電し、中国国際航空に電話して、翌日の北京-羽田便を早朝便から午後便に変更した。「本当に午後便でいいんですね?明日の便にしときなさいよ。また乗り遅れても知りませんからね」と、電話の向こうのオペレーターは言った。

案の定、翌朝の西安-北京便も出発が遅れた。電話でのオペレーターの懸念通り、”delayed”の表示のまま、とうとう、午後便も乗り遅れる時刻になってしまった。私たちはもう、かれこれ、24時間も西安空港に閉じ込められている。なぜ飛ばないのか、理由がわからないままに。ようやく飛行機が飛んだのは夜6時も回った頃だった。

夜遅く、到着した北京空港のカウンターは、チケットの再予約、補償、ホテルの手当てなどを求めるあらゆる国籍の乗客でごった返していた。

私たちはカウンターで手を挙げ、叫び、係員にねじ込んで、なんとか、翌日の北京-羽田便への再振替(を証明する小さなメモ)を勝ち取った。

今晩もホテルは自弁かと覚悟していたら、「一人200元(3200円)の補償があるらしいです。それで各自、近くのホテルを予約するらしい」とそばにいた日本人が教えてくれた。

それで、その「200元補償」の長蛇の列に並んでいると、今度は突然、「エアチャイナからホテルが提供されるよー。こっちこっち!早く!」と、日本語を喋る中国人の男が私たちを呼び寄せる声が響いた。

ガセか。。。と思いつつ、私たちはその男のいる方に吸い寄せられ、列を離れた。補償の列のうち、半分はホテルを選び、残りは200元の補償の列に残っていたようだった。

人生の選択は常に非対称だ。人は自分の選択したものの価値がまだわからないうちに選ばなければならない。

不安な気持ちでバスに揺られて30分弱。暗闇に出現した巨大な高級ホテルに到着した。一部屋2万円くらいだろう。一人200元の補償よりずっとお得感があった。男の情報のおかげだ。

普段は航空会社のスタッフが使っているのだろうか?こんな立派なホテルが丸々、乗客の補償用に空っぽな状態にあるに驚く。だが、さすがい全ての補償客を収容できる規模ではないのかもしれない。

夕飯は中国2,3品の平凡なバイキングだったが、お金を払ってビールも飲めた。シャワーですっきりし、ふかふかの快適なベッドで就寝した。

翌朝4時半に起床、5時にはバスで再び空港へ。この時間からすでに北京空港の出発フロアは大混雑だった。

案の定、羽田行きの便にはまたもや”delayed”のマークが付いた。この48時間の経験のせいで、遅れくらいでは驚かなくなっていたが。

空港に居合わせた日本人の何人かから話を聞いた。

その多くが私たちと同じか、それを上回る苦労をしていた。新疆ウィグル自治区を回るはずが、欠航のせいで行きたい所に行けず、帰国する二人組。北京経由の格安航空券で、カナダで夏休みを計画していたのに、やっとハンクーバー便が飛ぶころには、もう夏休みが終わりかけだという女性。。。。私たちは旅行の最終盤でトラブルに見舞われたのがせめてもの救いだったと言える。もし、旅行の最初にこうなっていたら、と思うと、せめての幸いだ。

結局、若干の遅れで北京-羽田便は無事、離陸した。やっと、帰れる。ほっぺたをつねりたい気分だ。

島国日本人の想像を絶する無秩序、大雑把、小さな個人の権利。中国という国の荒々しい姿を体感できた貴重な旅だった。

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