月別アーカイブ: 2014年2月

【書評】ハウスワイフ2.0

アメリカは幅の広い国。「女も企業で出世しよう!」と唱えるリーンインのような本が売れるかと思えば、こうした「会社に使われない生き方の方がイケてる!」という本も評判になる。
ハウスワイフ2.0

この本の原書のタイトルは、”Homeward Bound(早く家に帰りたい)”。邦題は「専業主婦に回帰する女たち」でも良かったのかもしれないが、より斬新なイメージを打ち出すために「ハウスワイフ2.0——ハーバード卒→新しい主婦」としたのだろう。 続きを読む

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ワーキングマザーとモチベーション

大企業がワーキングマザーがワークライフバランスを保ち、生き生きと輝くのは建前の姿だ。現実の姿は随分違う、と私は思う。

10年前、産休から復帰した私は所属していた外資系証券会社でリスク管理の部署に配属された。いわゆる「ミドルオフィス」だ。

ミドルオフィスの仕事はフロントオフィス(顧客担当部署)の経験と知識が役に立つが、稼いでなんぼのフロントオフィスほど数字へのプレッシャーもなく、収入のアップサイドが小さい分、就業時間や雇用が安定している。いわゆるワークライフ•バランスが取りやすい職種で、必然的に子持ちの高学歴中年女性が多い部署である。

リスク管理部署に新たに配属された36歳の私の隣に座っていた同じ職種の女性は40代の子持ち女性。帰国子女で英語はペラペラ。日本で一番難しい大学の経済学部を卒業し、大手邦銀を経て外資系銀行に転職したエリートのベテラン女性だった。 続きを読む

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比較の対象

物事のはいろいろな見方があるから美醜や善悪は相対的でしかない。

私は長いこと東京の景観が気に入らなかった。

商業地や住宅街に立つ電柱は一向に地中化されないし、隅田川の上にはどどーんと首都高の高架が架かっていて都心では川が見えない。日本橋も六本木も新宿も渋谷も醜い電車と道路の高架だらけ。江戸情緒の残る伝統的な建築や景観はほとんど残っていない。建築物にスタイルがない。

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そんな私の比較対象は20代を過ごしたパリや、訪れたロンドンやニューヨークなどの欧米の大都市。ロンドンやパリでテームズ川やセーヌ川の上に高架を走らせるなんてありえない。ヨーロッパの都市は19世紀に完成した街の外観がそのまま保たれていて、それでいて19世紀とは比較にならない快適な都市インフラも共存していた。アメリカの都市には伝統美はないが、それでも電柱は地中化されているし、ビルの高さは揃っているし、ケバケバしい看板や広告はないし、住宅地は緑豊かで家は大きい。帰国して東京の首都高の高架や安普請の新建材の戸建てやマンションを見るたびに、「東京って汚い…、貧しい…。役人のセンスが悪い。国民の民度が低い」と嘆いていた。

でも仮に私が20代を過ごした場所がパリではなくカトマンズだったらどうだったろうか。

カトマンズのダルバール広場は美しい。ヨーロッパのどんな広場にも負けていない。日本にはもう残っていない中世の景観だ。中世のカトマンズは恐らくアジア、いや世界で最も洗練された美しい都市の一つだったのだろう。

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だが、現代生活の快適さという観点で見ると今日のカトマンズは最悪だ。老朽化した建物と中世の隘路がそのままの街には上下水道、電気、道路といった現代生活に不可欠の都市インフラが絶望的に欠けている。狭い道に車が入れないから、未だに物流は人力に頼る状態が続き、オートバイが無秩序に走って道は慢性的に渋滞。クラクションが絶えず響き、空気は常に排気ガスと土ぼこりで煙っている。そんな喧噪の中で人々は道端の祠に祈りを捧げたり、水場で洗濯したり、窓からゴミを投げ捨てたり。近代的なオフィスや大きな工場は殆どなさそう。カトマンズの庶民の生活はまるで中世からタイムスリップしたようだ。

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「この国に必要なのはフェアトレードや持てる者の憐れみ、善意ではない!国家権力による強力な都市計画だ。まず必要なのは舗装された2車線の道路と信号!そして地震が起きたらひとたまりもないボロボロの建築の建て直しが必要だ」——それが私のカトマンズの感想だ。

高度成長期の日本はそれをやった。景観や伝統を犠牲にして経済発展を優先させた。伝統家屋を壊し、建材や建築法を変え、道を拡幅してアスファルトを敷き詰め、美しい河川を醜いコンクリートで固め、自動車や電車が通るための高架を架けまくった。

その結果、今日の東京はロンドンやパリのように美しい都市ではない。江戸時代の江戸はずっと美しい都市だったはずだ。でも、もしあの醜い首都高が作られないまま21世紀に突入したら東京はカトマンズと同じ問題に直面していたかもしれない。ひどい渋滞に悩まされ、ヒトとモノの流れが非効率的であれば、時間に正確な宅配便のサービスも、収益性が高く輸出競争力のある中小企業も存在せず、サラリーマンの通勤も難しかっただろう。大気汚染もより深刻な問題になっていただろう。私たち東京の住民、そして日本人が今日のような高い生活水準を享受しているのは、何より資本を集中投下して役人が国民にしのごの言わさずに作ったパワフルで効率的な公共インフラのおかげなのだ。あるいはパリやロンドンのように、伝統や景観を守りつつ、ゆっくり都市を発展させることも出来たかもしれない。だがそれにはお金も時間もかかったはずだし、そうしていたら日本の発展はもっと遅れていただろう。良くも悪くも、戦後日本は伝統や景観ではなく経済発展を優先させたのだ。

物事は視点と比較の対象によっていくらでも異なって見えてくるもの。

ネパールには申し訳ないが、カトマンズの極めて困難な現状を見ると日本の選択は正しかったように感じられる。醜い首都高のおかげで東京の綺麗な空気とスムーズな物流がある。思わず「お役人さん、ありがとう」とつぶやいてしまった。

 

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貧しさと大気汚染

隘路の先に突然、現れるカトマンズの中心街のダルバール広場の美しさには息を飲んだ。

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建物はどれも高層かつ壮麗で細部まで細工が施され、シルエットも色もエレガントで美しい。広場は実にひろびろとしていて、人々がくつろいだり、モノを売ったり、おしゃべりするスペースが至ところにある。

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カトマンズの都市の造形はアジア的というよりヨーロッパ的。フィレンツェやパリとも似ている。

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カトマンズは昔からインド、ネパール、中国の重要な交易路だった。このような広場が作られた15〜16世紀のカトマンズはどんなに洗練され繁栄した都市だったのだろう。

ああ、それなのに…

観光写真に映らないのは、ひっききりなしのオートバイのクラクションの音と、人や動物の往来が生む混乱。粉塵で満ちた大気。ごみの腐臭。

道行くカトマンズの市民の大半はマスク姿。世界中で最も大気汚染が深刻な都市は北京かデリーと聞いていたが、本当はカトマンズではないかと思うほど。これより悪い空気はちょっと想像できない。

カトマンズの大気汚染の主因は、舗装されていない道路の粉塵、ディーゼル規制の欠如、郊外の建築ラッシュだそうだ。そして悪さをするのが盆地地形。ヒマラヤの山々に囲まれているせいで風邪が流れず、盆地全体が絶えず排ガスにすっぽり覆われた状態だそうだ。

これまで公害や空気の悪さは産業の発達や人々の生活水準の向上と関係があると聞いてきた。

だから、高度成長が続いて自動車が増えている中国の首都、北京の空気が悪いのは理解できる。

でも、なぜカトマンズ?

ネパールは世界最貧国の一つだ。首都カトマンズの庶民の生活水準はとても低い。中世からあまり変わっていないように見える。街に水や空気を汚す重工業の工場は皆無だ。高速道路もなく、自動車も少ない。一日の3分の2が停電しているこの街にはエアコンも暖房もガス湯沸かし器もない。隘路にトラックが入れないから、物流の担い手は人力だ。庶民は葉っぱで作られた皿に載った野菜中心の簡素な食事をする。服も家も簡素だ。水洗い場で沐浴し、洗濯板で洗濯をする。プラスチック製品が少ない。すごくエコな生活だ。ネパール人の一人当たり二酸化炭素排出量は恐らく日本人の数パーセント程度だろう。

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そんな自然でエコで倹しい人々の住む街の空気が最悪なんてすごいパラドクスだ。

ヒマラヤ地方全体の環境は中長期的に劣化しており、その主因は人口爆発だそうだ(この本参照。ネパールの人口はこの20年間で2000万人から3000万人に増えた)。またカトマンズでは都市計画や規制が全くないか、あっても機能していないように見える。

世界一、石油を浪費する人工的なアメリカの都市はどこも整然として美しかった。ホノルルもサンフランシスコも大気汚染なんてない。ネバダ州のフーバーダムの建設は大変な自然破壊に違いないが、それによって深刻な副作用が生まれたとも聞かない。砂上の楼閣ラスベガスは今日も大量の石油を浪費し、ガンガン大量の無駄を生みながら、大繁栄を続けていて、神の罰が当ったとは聞かない。。

Back Camera

ヨーロッパや日本も、過去の問題のある時期を経て、今は国民の高い生活水準と衛生的な環境が再生産されている。空気が綺麗なことは当たり前のことだ。

贅沢で清浄で静寂で快適な環境を享受しながら、エコや自然を語る先進国の人たち。生活水準が向上しないまま身を守る術のないまま、汚染された環境に晒されて、健康を害してもその日その日をサバイバルするしかない貧しい国の人たち。

ギャップが大きすぎる…

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ネパール:民族と宗教の境界線

ネパールのアクセサリーには、①仏教徒のモンゴロイド系のターコイズとシルバーとコーラル、②ヒンズー教徒のアーリア系のグリーンとレッドのビーズとゴールドがあると前回記事に書いた。

これが仏教系↓

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これがヒンズー教系↓

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でも多分、私の分類はあまりに雑すぎる。というのも、ネパールはネワール族、ブラーマン族、チェトリ族、グルン族、タルー族、チベット族、シェルパ族など民族が多くあり、民族によって言葉も習俗も違う。イスラム教徒もいる。日本の4割程度の山がちな国土に30以上の違う言葉を話す人たちが共存しているからだ。

外国人の私には、「インド人っぽい浅黒い人」、「日本人に似た平べったい顔の人」の2つの顔立ちしか区別が付かない。インドっぽい人はだいたいヒンズー教を信仰しているようだ。平べったい顔の人は数珠を持ってチベット仏教徒っぽい。前者が「インドアーリア語派」で、後者が「チベットビルマ語族」だ。

でもそうした区別は便宜上のものに過ぎない。平べったいモンゴロイド系でも朱を額に塗ってパンジャビスーツを着て道端のガネーシャやシバ神に祈っている人が沢山いた。インド人ぽい人も仏教寺院でマニ車を回していたり、家の中にダライラマ法王の写真を飾っていた。インド系とモンゴロイド系の中間みたいな顔でどちらにも分類できない人も多い。目に色が青い人もいる。ヒマラヤ地方の民族と宗教の境界線は私が思ったよりずっと複雑で重層的で、外に目に見えにくいものだった。

ヒンズー教の神様。シバ神と奥さんのパールバティ女神

ヒンズー教の神様。シバ神と奥さんのパールバティ女神

カトマンズ郊外の仏教の聖地ボディナートに行くと途端にチベットの民族衣装の人が多く見られるようになり、チベット文字の店、タンカや仏具を売る店が並んでいた。チベットサポーターで、チベット文化を知ることが旅の目的の1つだった私にとっては、「やった!やっとチベット文化圏に来た!」と嬉しくなった。が、早速、店に入って「タシデレ(チベット語でこんにちは)」と話しかけると、「ナマステ(ネパール語でこんにちは)」と応酬された。そのチベット家具店の若いイケメンの主人は「チベット族」ではなく「シェルパ族」だった。何もチベタン•グッズを作ったり売ったりしている店がチベット人によって経営されているわけではないのだ。

チベット仏教の聖地、ボディナート

チベット仏教の聖地、ボディナート

ネパールの山岳民族のシェルパは宗教も言語もチベットと似ているという。でも、そのシェルパ族の店主は「シェルパはチベット人と全然、違うよ」と明言した。あるいはアメリカ人から見たら同じように見える韓国人と日本人が本人たちから見たら別物であるくらいの違いがあるのかもしれない。

シェルパ人の店主は、「ボディナートに巡礼に来る人にはいろいろな人がいるよ。顔とか仕草で違いが分かるから、教えてあげる」と言って、道行くカラフルな民族衣装の人々を私と一緒に眺めながら、「あのおばあさんはグルン」「これは…多分、本土から来たチベット人」「あれはブータン人」と教えてくれた。私には違いがまるで分からなくて途方に暮れた。

アメリカなら、黒人、アジア系、白人系、ラテン系などの民族の違いは基本的に顔を見れば一目瞭然なのに。シンガポールでも、マレー系、中国系、インド系の違いは分かりやすい。スリランカですら、シンハリ人とタミール人の違いは文字の違いや女性のサリーの着方の違いなどから分かった。それに対してこのヒマラヤの小国の民族構成は実に複雑。微妙なグラデーションが重なり合い、徐々にズレていくような不思議な坩堝なのだ。違いが分かるようになるには、1年も腰を落ち着けて住み、土地の言葉を理解する必要がありそうだ。

「ネパールの人々は皆、仲良し。違う宗教や習俗を尊重する。他人を対立したり迫害したりしない」とタメル街のイスラム教徒の宝石店主は胸を張っていた。それは恐らく本当なのだろう。誰もが少しずつ違うが、誰もが少数民族で、似たような食物の禁忌の習慣を持ってダルバートやモモを食べている。誰もが信心深く、輪廻天生を信じ、沢山の神々が街角にいる。そして政治の無策のせいで、どの民族も大半の庶民が血縁で結ばれた中世そのままのような生活をしている。ここはまだ国民国家が生まれる前の世界なのだ。

むしろ違いは国と国の間の経済格差から生まれるのかもしれない。1959年のチベット動乱を逃れてネパールに亡命して住み着いたチベット二世の骨董店主は、「今や最大の顧客はチベット本土の裕福なチベット人。今、カトマンズの骨董を買うのは欧米の観光客じゃない。ネパールは人件費が安いから骨董品のコピーが安価に作られている。それを本土のチベット人が中国から買い付けにくるんだ。我々は恩恵を受けている」と言っていた。ネパールにとって中国の経済ブームの影響は極めて大きいようである。

ネパールに行って分かった収穫は、チベットとは私が日本で抽象的に捉えていた一枚岩の定義では括れないものだと分かったことだ。チベット仏教徒は必ずしもチベット人ではない。チベット人は必ずしもチベット語を話さない。その国籍はネパール人だったり、インド人だったり、中国人だったりする。金持ちなチベット人、貧しいチベット人、インテリのチベット人、無学なチベット人がいる。政治的に先鋭なチベット人もいれば、ノンポリなチベット人もいる。その多様さはユダヤ人にも似ている? 民族の境と国境がほぼ完全に一致する日本に住む私たちには想像しにくい多様さだ。

「チベット文化圏」を見たのは、今回、雲南省デチェンに次いで2度め。今回訪問したのはカトマンズだけ。ネパール第二の都市でチベット系住民が多いとされるポカラすら訪れなかった。

ネパールの他の地域、チベット本土、ブータン、バングラデシュ、北インド、南インド、西インド、東インド。まだまだ訪れたいところが沢山ある。多分、訪れれば訪れるほど、謎が深まり、また訪れたくなってしまうんだろう。

 

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