預言カフェと信じる力

先日、友人に誘われて「預言カフェ」に行った。

高田馬場と赤坂にあるが、新しくできた赤坂の方が空いているとのことで、赤坂を訪問。

珈琲専門店 預言CAFEのホームページへようこそ

席に着いて、コーヒーを注文して待つこと20分。席にウェイター兼預言者の中年男性(主催者の吉田万代さんのご主人で、牧師・学校長・声楽家の吉田浩さんだということが後で判明)がやってきて、スマホのボイスメモをオンにするよう求められた。スマホの録音機能などとんと使ったことがなく、手間取っている私を手慣れた調子で手伝ってくれる。

預言は3分。聞いた内容はすぐ忘れてしまうから、録音して後で聞き直し、紙に書き写すことを薦められる。

預言は「愛する娘よ、主はあなたを祝福します」から始まり、その後、次々に言葉が紡がれた。

文化的にキリスト教にはなじみ深い環境で育ったにも関わらず、私は結局キリスト教徒にはなれなかった。つまり異教徒だ。預言カフェの運営はアライズ東京キリスト教会というれっきとした教会で、主催者は吉田万代さんという女性牧師さんだ。そして、預言=prophecyとは神の言葉に他ならない。

突然、「愛する娘」と思いっきりバタ臭いキリスト教的な呼びかけをされ、当惑がなかったかといえば嘘になる。

でも3分間の預言が終わった私は、落ち着いていて、とても嬉しい気持ちで満たされていた。

なぜって3分間の預言の言葉全体が、「今のままのあなたを祝福します」「信じてください」「自信を持って」「もっと大胆でありなさい」「独りだとは思わないでください」という励ましそのものだったから。預言には、「〜すべき」「〜ねばならない」という語尾が一切なく、私の今の言行やあり方への批判もなかった。

預言は何の相談もせずに与えられるから、占いと違って具体的な悩みに役立つ有用なアドバイスがあるわけではない。なされた預言に対して質問もできない。預言者は預言が終わるとさっさと行ってしまう。800円のコーヒー代だけの預言では、引き止めて詳しく説明を求めることもできない。

一種、おみくじや信託のようなものか。

でも、もし本当に神がいるなら、この牧師さんの言葉通り、神が本当に私を祝福し、後押し、もっとすばらしくなる私の人生をご存知なのだとしたら、それはなんてすばらしいんだろう。

私たちを取り巻く人間関係は、対立や緊張や義務や権利の主張で満ちている。

日常生活の中で、誰も私にこうした口調で話しかけて、励ましてくれる人はいない。私だって、この預言のような口調で誰かに話しかけて励ますことはない。

心の中でネガティブな言葉で自分に話しかける自分がいる——「××のためには、〜ねばらなない」「××のためには、〜しちゃいけない」「ごめんなさい」「バカみたい」「あーあ」。

自分に対してと同様、他人に対しても、「バカじゃない」「なんで××しないんだろう」「もっと頑張るべきだ」と批判的だったり、冷笑的だったり、意地悪な自分がいる。

おそらく、現代を生きる多くの人の心の中の状態が私の心のようにカサカサになっているのかもしれない。「無条件の優しさ」に飢えているからこそ、預言カフェにこれだけ多くの人が癒しを求めて殺到するのだろう。

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの預言と預言者の持つ深い意味合いの理解は到底、私の能力を超えている。それでも、常人にはなしえない偉業を成し遂げた人の多くが、預言=神の声を信じ、それを完全に内面化した人たち、信仰を持った人たちだということを私は知っている。

預言カフェを作り、自らがカフェで預言をしている吉田万代さんそのものが、預言に導かれた人生を送っている。お嬢さんが生まれた時に受けた「この子は神のために踊る子になる」との預言を信じてその子をバレエ学校に入れ、見事、その子は長じてバレリーナになったのだという。

精神的支柱の乏しい現代日本のスピリチュアルブームの中で、預言カフェは時代のあだ花なのかもしれない。預言はイカサマかもしれない。

でも、もしかしたら預言カフェの預言は真実の天啓なのかもしれない。

もしイカサマと真実の確率が半分半分で、それが不可知なのであれば、それを天啓として受取り、信じて、内面化してする人にこそ祝福がもたらされるのかもしれない。

そう考えて、ボイスメモに残された預言、シコシコ書き出してみる。

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