辞められるとき、辞められないとき

世の中には生きている限り、一度選んだら、衝動的に途中で止めることが許されないことがある。

例えば、子供の養育や住宅ローンの返済。小学生の子供には学校がイヤだからといって退学する自由はない。一度、船に乗ったら、どんなに船酔いしていても岸に着くまでは降りるという選択はない。

イヤでも、苦しくても、今が過ぎ去るのを待ち、岸に着くまでは耐えるしかない!

現代日本を生きる私たちには債務の履行と子供の養育以外、自己責任と引き換えに多くの自由が与えられている。住む場所も、結婚相手も、職業も自由だ。それでも、自由を行使するのはよほどの覚悟が必要になることがある。

たとえば会社を辞める決断だ。

辞めたい理由が明らかに外部(=今以外のやるべきこと)にある場合、決断するのはわりと簡単だ。問題は、辞めたい理由が中(=今やっていること)にある場合だ。

今日のような明日が続くことに耐えられない。今の職場に明るい未来や希望が描けない。脱出したい。このように人生を浪費したくない。だから、辞めたい。

現在に明らかに不満で、現在の延長線上に続く未来に耐えられないにもかかわらず、より良い具体的な「出口」が見つからない状態は辛い。

出口が見つからないのに、「イヤだ」という気持ちだけが募っていく。

そうした「イヤだ」という気持ちがこれ以上、降り積もらないように、とにかく逃げ出すべき?

それとも、出口が見つかるまでは、我慢してやり過ごすべきだろうか?

「~がイヤだ」、「~が不満だ」という現在の客観環境で心が一杯になってしまったときは、少しでもそのことを考えることを辞めて、「(社外で)何がやりたいのか」という将来の想定環境に心をフォーカスさせるべきだんだと思う。

外にフォーカスさせつつ、ジッと踏みとどまる。ジッと踏みとどまりつつ、やり過ごしながら、心を羽ばたかせる。

例えば、飛行機からパラシュートで飛び降りるときには、下が海じゃなくて、ちゃんと平らな陸地であることを確認する必要がある。下が海の時は、どんなに飛び降りたくても飛び降りちゃいけない。それは自殺行為だ。

下が陸地であることが確認できた途端、人は勇気を奮って飛び降りるのだ。

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そう、いつかはきっと飛び降りる。飛び降りられる。飛び降りられることを信じて、そのことを考えながら今を生きよう。
 

 

 

 

 

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