私たちの間の違い

高校の友人の結婚披露パーティーに行ってきた。40代も後半になると結婚式に呼ばれる機会も減り、友人の結婚なんて何年ぶりか。

会場で、1985年に同じ女子高を卒業した同窓生、15人あまりに再会した。中高一貫の女子高だったから全員、46~47歳の女性だ。

雇用均等法世代の私たちは、学校卒業後、社会で働かずに専業主婦になるのが主流だった母親の世代と、共働きが普通と見なされる世代のちょうど中間に属する。大学を卒業した私たちのあいだには、まず、「総合職」対「一般職」の分け目ができ、20代後半になると徐々に、「独身、子なし組」対「結婚、出産組」の分け目ができた。30代後半からは、今までずっと企業で働いてきた同窓生の結婚、出産の知らせが目立つようになった。こうした晩婚、高齢出産組の女性は出産後も仕事を続ける人が多かった。私たちのあいだの分け目は、「専業主婦」対「兼業主婦」対「独身キャリア組」になった。

別に分け目に沿って対立したり、いがみ合っていたわけではない。だが生活スタイルの違いは、目先の関心事、金銭感覚、価値観の違いを生んだ。専業主婦の関心事は、「お受験」、兼業主婦の関心事は、「仕事と家事の両立」、独身組の関心事は、「キャリアアップや趣味」。違うステージの人が会っても話が弾まない状況が生まれ、違う生活スタイルの人同士が互いに疎遠になっていったことは事実である。

それがどうだろう。

40代後半で再会してみると、私たちの間の「違い」は、徐々に収斂してきているように見えた。

違いそのものがなくなっているわけではない。

逆に、時間とともに共に個人の間の違いがどんどん大きくなってきている。だからこそ生き方を類型的に分類することに意味がなくなってきているのだ。

フルタイムの仕事を大学卒業後、続けている人も、それぞれの置かれた状況はすごく違う。新卒で入った大企業でずっと働いている人、業界を超えて職場を渡り歩いている人。研究職の人、営業職の人。出世している人、そうでない人。

一方、20代で家庭に入り、一生、専業主婦を送ると思われた人たちは、40代になって子育てが一段落し、再び企業で働き始めたり、家業を手伝ったりしていることを知った。フリーランスで働く人も、契約社員で働く人も、頻繫に海外出張している人もいた。

子育てが一段落した女性と、子無しの女性の生活スタイルは次第に似通ってくるのだ。主婦の孤独を克服するために働く人、お金のために働く人、自己実現のために働く人。「元」専業主婦の人々の働く動機もさまざまだ。

親との関係は、既婚、未婚、子あり、子なしを問わず多様だ。親の介護をしている人もいれば、親に子育てを手伝ってもらっている人もいる。とっくの昔に親が逝った人もいる。

さらに配偶者との関係もさまざまだということが容易に想像できる。独身で恋人がいる人、いない人。堅実な結婚生活を続けてる人、続けていない人。再婚した人、しない人。夫と冷め切っている人、冷め切っていない人。

今時、現代日本の女性の生き方は実に多様で、私たちは単純なカテゴリーに分類できる存在から、複層的なマトリックスで構成された複雑な存在になったのだ。そして、マトリックスそのものが時間とともにどんどん変化していく。

「あちら側」の人だったはずの人が、いつの間にか「こちら側」になっていて、「こちら側」だったはずの人が、「あちら側」になる。だから誰かを自分より上に祀り上げて羨ましがる必要もなければ、自分より下だと見下して自己確認するのも愚かしい。

20代の頃、幸せな結婚している(ように見えた)友人が羨ましかったり、仕事で成功している(ように見えた)友人が羨ましかったことがある。でも、それはとても愚かだったと思う。今でも、表面的の違いに惑われて他人と自分を比較して、分断して、不安や孤独に陥ることがあるが、それって意味がない。ダライ・ラマの言われる「every human being is the same」の境地に達するのはまだまだ難しいが、他人とハッピーな人間関係を築くために、自分の意識にこびりついた下らないこだわりや分断をどんどん捨てていけたらいい。

 

 

 

 

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