溜まる一方(愚痴)

最近の1年はあっという間に過ぎ去るが、忙しさは年末にかけてさらに加速する。私事で恐縮だが、今年は3月で比較的大きい金融の仕事を止め、翻訳の仕事も相当、減らし、かなりまっさらな状態で新しいプロジェクトに取り組むはずだった。それなのに、フタを開けてみたら、いつもの年と同じように、いやそれ以上に雑用に忙殺された。

一体なぜ忙しさは年ごとに加速するの?

パーキンソンの法則やエントロピーの法則と同じ?

いつの間にか私の生活は「どうでもいいけどやらなければならないサブの仕事」がいつでも山積みの状態。気がつけば、20代、30代、40代と、そうした「サブ」の仕事が増える一方なのだ。

「サブ」の仕事って、こんな感じだ。

ー郵送物の開封と整理

ー地公体や学校、住居の管理組合などのアンケートや書類の処理

ー牛乳パックを洗って切り開いて再生ゴミにする

ー新聞紙や要らない書類の処理

ーアイロン、掃除、洗濯

ー風呂洗い

ー夕食の準備と片付け

ー季節ごとの衣替え

ー義父母や両親にご機嫌伺い電話

ー年賀状書き

ー塾などの子供関連のアドミなスケジュール管理

ーそして最低限のお金を稼ぐ仕事

ー最低限のソーシャル

ー最低限の自分ケア

一つ一つは実に取るに足らないこれらの作業。でもこれら全てをサブだからって「片手間」に行おうとすると、途端に一つ一つが肩に重くのしかかってくる。「私を忘れないで〜」って、後ろから肩を掴まれる感じ。

国際関係や哲学や、論理学や文学。今から30年前、学生のときは随分、世界について難しいことばかり学んだ。でも、結局のところ、大学卒業後に私が生きて来た日常は、まるっきりそれらとは無縁のこれらの小さなto do listの積み上げに他ならない。

何があってもご飯を食べたら、食器を洗う。新聞紙が溜まったら、ひもでしばってゴミ捨て場まで持って行く。ヤフーで買い物をしたら、ネットバンキングですぐ振込む。友人との待ち合わせは時間と場所をしっかり決める。スマホはきちんと充電する。

多分、世間を生きるというとは瑣事に追われることそのもので、多くの人は中年以降、瑣事に押しつぶされそうになりながら世の中を渡り、人生の時間を過ごす。そして、瑣事を「サブ」扱いして、時間があったら「メイン」に取りかかろうとしても、結局、「メイン」のための時間が生まれることはない。なぜなら、雑事は増えて行く一方なのだから。。。

ちょっと斜めな気持ちになったのは、雑用のto do listが溜まる一方だから。でも、何とか今週はギリギリブログを更新できて、すこしほっとしたかな。

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