比較の対象

物事のはいろいろな見方があるから美醜や善悪は相対的でしかない。

私は長いこと東京の景観が気に入らなかった。

商業地や住宅街に立つ電柱は一向に地中化されないし、隅田川の上にはどどーんと首都高の高架が架かっていて都心では川が見えない。日本橋も六本木も新宿も渋谷も醜い電車と道路の高架だらけ。江戸情緒の残る伝統的な建築や景観はほとんど残っていない。建築物にスタイルがない。

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そんな私の比較対象は20代を過ごしたパリや、訪れたロンドンやニューヨークなどの欧米の大都市。ロンドンやパリでテームズ川やセーヌ川の上に高架を走らせるなんてありえない。ヨーロッパの都市は19世紀に完成した街の外観がそのまま保たれていて、それでいて19世紀とは比較にならない快適な都市インフラも共存していた。アメリカの都市には伝統美はないが、それでも電柱は地中化されているし、ビルの高さは揃っているし、ケバケバしい看板や広告はないし、住宅地は緑豊かで家は大きい。帰国して東京の首都高の高架や安普請の新建材の戸建てやマンションを見るたびに、「東京って汚い…、貧しい…。役人のセンスが悪い。国民の民度が低い」と嘆いていた。

でも仮に私が20代を過ごした場所がパリではなくカトマンズだったらどうだったろうか。

カトマンズのダルバール広場は美しい。ヨーロッパのどんな広場にも負けていない。日本にはもう残っていない中世の景観だ。中世のカトマンズは恐らくアジア、いや世界で最も洗練された美しい都市の一つだったのだろう。

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だが、現代生活の快適さという観点で見ると今日のカトマンズは最悪だ。老朽化した建物と中世の隘路がそのままの街には上下水道、電気、道路といった現代生活に不可欠の都市インフラが絶望的に欠けている。狭い道に車が入れないから、未だに物流は人力に頼る状態が続き、オートバイが無秩序に走って道は慢性的に渋滞。クラクションが絶えず響き、空気は常に排気ガスと土ぼこりで煙っている。そんな喧噪の中で人々は道端の祠に祈りを捧げたり、水場で洗濯したり、窓からゴミを投げ捨てたり。近代的なオフィスや大きな工場は殆どなさそう。カトマンズの庶民の生活はまるで中世からタイムスリップしたようだ。

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「この国に必要なのはフェアトレードや持てる者の憐れみ、善意ではない!国家権力による強力な都市計画だ。まず必要なのは舗装された2車線の道路と信号!そして地震が起きたらひとたまりもないボロボロの建築の建て直しが必要だ」——それが私のカトマンズの感想だ。

高度成長期の日本はそれをやった。景観や伝統を犠牲にして経済発展を優先させた。伝統家屋を壊し、建材や建築法を変え、道を拡幅してアスファルトを敷き詰め、美しい河川を醜いコンクリートで固め、自動車や電車が通るための高架を架けまくった。

その結果、今日の東京はロンドンやパリのように美しい都市ではない。江戸時代の江戸はずっと美しい都市だったはずだ。でも、もしあの醜い首都高が作られないまま21世紀に突入したら東京はカトマンズと同じ問題に直面していたかもしれない。ひどい渋滞に悩まされ、ヒトとモノの流れが非効率的であれば、時間に正確な宅配便のサービスも、収益性が高く輸出競争力のある中小企業も存在せず、サラリーマンの通勤も難しかっただろう。大気汚染もより深刻な問題になっていただろう。私たち東京の住民、そして日本人が今日のような高い生活水準を享受しているのは、何より資本を集中投下して役人が国民にしのごの言わさずに作ったパワフルで効率的な公共インフラのおかげなのだ。あるいはパリやロンドンのように、伝統や景観を守りつつ、ゆっくり都市を発展させることも出来たかもしれない。だがそれにはお金も時間もかかったはずだし、そうしていたら日本の発展はもっと遅れていただろう。良くも悪くも、戦後日本は伝統や景観ではなく経済発展を優先させたのだ。

物事は視点と比較の対象によっていくらでも異なって見えてくるもの。

ネパールには申し訳ないが、カトマンズの極めて困難な現状を見ると日本の選択は正しかったように感じられる。醜い首都高のおかげで東京の綺麗な空気とスムーズな物流がある。思わず「お役人さん、ありがとう」とつぶやいてしまった。

 

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