東京とマニラ

一週間のフィリピン旅行から帰ってきて、二週間。まだ興奮がまだ冷めません。

途上国を訪れたのは初めてではありません。スリランカ、チュニジア、ネパール、インド、インドネシアなどを訪れたことがあります。アメリカのグランドキャニオンでネイティブインディアンの悲惨な生活を目撃し、マレーシアのキャメロンハイランドに行く途中では、山岳民族原住民のスラムにも遭遇しました。

それでも、マニラは訪れたどんな他の場所とも違いました。マニラでは、他の場所では感じることのできなかった「辛さ」を感じました。

辛かったのは、「貧しさ」そのものではありませんでした。訪れたマニラとフィリピン第四の都市イロイロシティではショッピングモールが乱立し、そこは商品に溢れて、華やかな催事が行われ、ショッピング客で溢れていました。もっとも、モールの入り口には、貧しい人が入ってこないようにマシンガンを持った警備員が立っていましたが。

マニラで感じた辛さは、社会と経済が『ちぐはぐ』な感じでした。民間のお金で豊かに整備された場所と、荒れ果ててボロボロで汚い場所。道を不法占拠して住む人たち。ハイヒールを履いて運転手がいる生活をしているお金持ちと、ボロボロのジプニーに乗って何時間もかけてピカピカのボニファシオグローバルシティのコールセンターに通うTシャツ姿のオフィスワーカー。そして、スラムに溢れる裸足の子供達。それらの人たちが、お互いがお互いを存在しないかのように無視し、決して交わらない。深刻な格差、大都会の非常さ、根深い歴史の悲劇でした。

マニラの喧騒から比べると東京はとても静かです。隅田川の水は澄んでいます。道は几帳面に補修され、街路樹は手入れされ、人々は整然と規則を守ってゴミを捨てています。

長いこと、ニューヨークやロンドンやパリと比べると、東京の街並みは汚く、街宣車や駅の自動アナウンスが騒々しいと感じていました。古いものが大切にされないと思ってきました。でも、全ては相対的でした。私は上ばかり見ていました。東京は、私が20歳から50歳になるまでのこの30年でインフラの整備が進み、公共空間の環境がジワジワと改善したことに気づきました。そもそも、今私が住む湾岸に人が住めるようになったのは、川と海が綺麗になったからです。今や、都下に張り巡らされた地下鉄網のおかげで、どこに出かけるのも便利です。小学生が一人で電車に乗れるし、エスカレーターやエレベーターのおかげで老人にも快適です。駅のトイレにウォッシュレットが付いています。道路がバリアーフリーだから自転車でどこまででもいける。図書館でほとんどの本が借りられる。

そして、そんな快適さは一部の人のものではなく、みんなのものです。

都市環境の改善は、バブルの崩壊後もゆっくりゆっくり進みました。個人の所得は上がらず、私たちは相変わらず狭い家に住んでいますが、公共環境はジワジワと良くなりました。

バブルの頃と比べると日本人は心も成熟しました。長いデフレのせいで、服装はカジュアルに、質素になり、若者は堅実になり、中高年の趣味や人生観は多様化しました。そんな社会を作ったのは、私ではありません。政府が、企業が、自治体が、一人一人の日本人が様々な相互作用の中で合意を作り出し、ゆっくりとバランスの良い成熟した社会を作り上げていったのだと思います(あるいはその一番の功労者は、ヤマト運輸、佐川急便、セブンイレブンかもしれません)。

ですが、それを「ありがたいとしみじみ思うことは、マニラを訪れるまではありませんでした。東京はあまりに馴染みすぎた街だから。

個人が幸せな生活を送るには、個人の自助努力、気持ちの持ちようといったものもあるでしょうが、おおもとにあるのは、どんな社会のどんな時代に生きるかということが大きい。世の中には気持ちの持ちようだけではどうしようもないことがたくさん、あります。

出会ったフィリピン人の若者に、”Oh, You are a lucky person”と言われました。昔なら「そんなことないよ!」と反発したかもしれません。でも、今はその通りだと思います。彼女のいう通りです。50歳の私がこうして健康で文化的な生活し、旅行ができるのは、幸運以外の何物でもありません。

 

そのことをフィリピンが教えてくれました。

 

 

 

 

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