【書評】パックスモンゴリカ--チンギス・ハンが作った新世界

本には、テーマに関心があって手に取る本と、作者が好きで手に取る本がある。私は最近は、「テーマ買い」がもっぱらで、「作者買い」は少ない。その作家の本なら迷わず買い、ほぼ全ての著作を読破しているほどに好きだったのは、中学校時代の星新一、大学時代の村上春樹くらいか。年を取るほどに、テーマ買いが中心になり、フィクションよりはノンフィクションを読むようになった。最近は、どんなに好きな作家でも、なんとしても全作読みたいと思うほどハマルことは少ない。

だが、この本の著者ジャック・ウェザーフォードは数少ない例外だ。彼の本は完全に作者買いだ。もし、この人が今後新しい本を出したら間違いなく買うだろうと思う。それくらい、この人の本はどれも面白く、その視点は清冽だ。アメリカの人類学の大学の先生なのだが、物語の構成と文章の運びがすごく上手い。歴史を壮大な叙事詩として描く能力は並の作家をはるかに超えている。同書は、これまでアメリカ先住民の貢献The History of Moneyと読み次いで来て3作目。作者の代表作と言われる作品だ。

パックス・モンゴリカ―チンギス・ハンがつくった新世界

抽象的で大きなテーマと具体的な面白いエピソード(「フレー、フレー」はモンゴル語)が見事に絡み合い、「モンゴル帝国は何だったのか?」という問いに対し、通り一遍でない重層的な答えが示されている。

モンゴル帝国とチンギス・ハンの光と影がくっきり描かれている。さまざまな場所で唖然とするほど凶暴で残虐な強奪を繰り返し好戦的なモンゴル人。中央アジアの草原、イスラム世界、ヨーロッパで繰り広げられる戦いは信じられないほど陰惨で残虐だ。チンギス・ハンとその子孫たちの「世界征服」とは、要するに、定住民の住む都市を襲い、支配階級と抵抗者を根こそぎ殺し、蓄積された富を略奪することと同義だ。モンゴルの膨張に大義やイデオロギー性は薄い。遊牧民族のモンゴル人は戦闘能力と移動能力に秀でており、荷物を持たず、馬の血をすすり、鞍の下に置いて挽いた生肉(タルタルステーキ)を食べながら、身軽に数千キロの距離を寝ずに移動して戦闘状態を維持できた。こうした生来、戦闘能力が高い草原の民を束ねて組織化することに成功したのがチンギス・ハンだった。戦いが一番、苛烈を極めたのはロシアだそうで、数百万の人々が殺され、いくつかの都市が完膚なきまでに破壊された。自分でモノ作りをしないモンゴル人の生活は略奪の上に成立していたから、モンゴルの支配機構が膨張すればするほど、彼らは戦いと略奪を続けなければ均衡を維持できない悪循環の中に置かれた。そうした循環が止まってほどなく帝国は崩壊した。

「残酷な社会で生き残るための戦い」はモンゴル帝国が生まれるはるか以前からの悠久の草原の掟そのものでもあった。草原の遊牧民たちは、モノだけでなく女も略奪し合うのだ。チンギスカン自身の母親がそもそも父親に略奪された女性。そしてテムジン自身が今度は父親を他部族に毒殺され、動物同然の極貧の生活で荒野に放り出された。その後、自分の母親と結婚しようと目論む腹違いの兄を殺したり、自分の妻を略奪されたりもした。狩猟遊牧民の生活は、「万人のための万人の戦い」を地で行くハードボイルドそのものだ。

法の支配する平和な文明世界に住み、襲ったり襲われたりという経験を持たない私たちにとって、草原の民のモンゴル人の思考回路や行動様式は異質だ。反面、モンゴル人にとっても、不潔な場所に密集し、地面に這いつくばってチマチマ暮らす定住農耕民の生活様式や思考回路は理解不能だったようだ。そうした農耕民と家畜の間に共通点を見出した彼らは、農耕を営む異民族をまるで家畜のように扱ったという。

ウェザフォードが描く農耕民と遊牧民のコントラストは鮮やかだ。同書によれば、カイン(狩猟民)とアベル(農耕民)の時代から2つの相容れない思考様式と行動様式の人々は争いを繰り返してきたが、モンゴル帝国は世界最期の部族帝国だった。モンゴル帝国を最期に狩猟遊牧民は(たとえば白人に征服されたアメリカン・インディアンのように)農耕民との戦いに敗れ続け、生きるための土地を失い続けて現在に至る。

この本が面白いのは、そうした残虐で非文化的なモンゴルの遊牧民を同時に、極めて魅力的に描いている点だ。死屍累々の上に築かれたモンゴル帝国は、その「遊牧民的特性」ゆえに、そこに住む人々に空前の繫栄をもたらし、世界初のグローバル社会を現出させた。チンギスカンがおらず、モンゴル帝国がなければ間違いなく、世界は今の姿と違ったものになっていただろう。

モンゴルの人々は、他民族の宗教に寛容で自分達の生活スタイルを非征服民に押し付けたりせず、その帝国下ではどの宗教も弾圧されなかった。モンゴル人は服従しない者を殺したが、肉体の苦しみを無駄に増幅させるような拷問は行わず、血を見ることを嫌った。自然を崇拝し、自らの死骸は獣に食べさせ、土に返ることを望んだ。男女平等の文化を持ち、戦い男がいない間は女が統治を担った。職人、技術者など、自らが持たない技能を持つ他民族の人々を引き立て、征服した国の支配者の妻を自らの妻とし、子供を自らの子供とした。

モンゴル帝国の世界史上の最大の功績は、文化を「移動可能」なものにしたことだという。モンゴル帝国の成立によって、シルクロードは初めて1つの帝国内の道となり、整備が進み、治安が改善し、交易が盛んになった。元寇、ジャワ侵攻の失敗後は、海上航路での交易も盛んとなった。それにより世界で初めて地域間の相互作用に基づく「世界史」と「グローバル経済」が生まれた。モノとともにヒトの移動も盛んになった。元の首都の大都(北京)は大国際都市となり、マルコポーロが訪れた抗州や泉州は空前の海運都市として繫栄した。陶磁器、火薬、印刷などの中国の技術がイスラム社会やヨーロッパに伝来したのはモンゴル帝国の時代である。そして、もともと人数が少なく、文化面でも被支配民に圧倒されていたモンゴルの人々は各地で現地民に徐々に同化していき、経済的文化的繫栄はモンゴル人だけでなく、帝国に住む全ての人々のものとなったのである。

チンギス・ハンの孫のフビライが中国に築いた帝国、元の染付けは、他のどの時代の染付けより、覇気があって生き生きとして美しい。

Brooklyn Museum

Brooklyn Museum

モンゴル帝国の崩壊の原因が、自らが可能にした世界的規模でのモノとヒトの交流から生まれたペストの世界的流行だったというのは皮肉である。昔世界史の時間に習ったペストだが、ヨーロッパだけでなく中国でも人口が半減するほど猛威を奮い、皇帝が次々病に斃れたとは知らなかった。ペストの流行によって、世界の人口は減少し、いくつかの都市は壊滅状態となり、交易は滞り、帝国の信用は失墜し、発行した紙幣の価値は下落し、モンゴル人の下で初めて1つになった世界は再び分断され、各地域は内向していく。

結局、神風のおかげで元寇をかわせた辺境の国、われらが日本は、コスモポリタン文明の恩恵に浴することもなかった代わりにペストの流行からも免れたというわけだ。モンゴル帝国の傘下に入っていたら、日本の姿は今の姿とは全く違うものになっていたに違いない。

穀物より肉が好きで、ジメジメした暑さが嫌いで、住む場所を変えるのが好きな私はこの本を読んで、モンゴル人にとても親近感を抱いた。なんとしても生きている間にモンゴルを訪れて、蒼穹の大草原を見たい。

 

 

 

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