【書評】チベットの祈り、中国の揺らぎ

チベットハウスの翻訳ボランティアを始めてから5年。その間、政治、文化、宗教、環境問題。。。いろいろなトピックスについて勉強してきた。

。。。でも機会がなく、まだ一度もチベット本土もインドのダラムサラも訪問したことがない。

私は完全な耳年増。知っているようで何も知らない。もうこれ以上、現地を訪問する前に、活字の知識を増やしても。。。。と思っていたが、また一冊。でも、この本は読んでとても良かった。

チベットの祈り、中国の揺らぎ――世界が直面する「人道」と「経済」の衝突

英語の原題は、「深紅に染まった悲劇--ダライ・ラマはいかに世界を征服し、そして中国の戦いに負けたか(Tragedy in Crimson–How the Dalai Lama Conquered the World but Lost the Battle with China)」と言う。

日本人が書いたチベット関連の本は、「チベットが可哀相!中国ってひどい国!」というチベット人への同情が前面で出た本が多い。その理由は、いわゆるチベットサポーターの人たちは、(私を含め)中国語を話さず、中国の政治や社会の現実を知らず、ダライラマ法王の住むダラムサラの難民社会に目線も関心も集中しているせいだと思う。

一方、中国領土内のチベット本土に関する本は、チベットの雄大な自然や遊牧民の生活、風俗に関するものが多い。中国への気遣いからか、政治色や宗教色は抜け落ちたものが多い。

この本は、チベットを巡る複雑な状況を包括的に、偏りなく、複層的に解説する本があったら。。。。というニーズに応える数少ない本だと思う。著者はアメリカ人のジャーナリストなのだが、6年間、北京に駐在し、中国の政治経済を熟知した上で、この本を書くためにチベット本土を含む中国各地やアメリカを取材旅行している。直接取材した人は本書に実名で登場する有名人だけでも、ダライ・ラマをはじめ、カルマパツェリン・オーセルやパンチェン・ラマ10世の娘、チベット亡命政権の現主席大臣のロブサン・センゲ、ウィグルの母カラディア・カーディルなど。それ以外に、チベットを支援するアメリカの州議会の議員たち、青海省に住むチベット人の若者、モンゴルの人権運動家、在米チベット人など、さまざまな立場の人々が数限りなく本書に登場する。

世界中を回って書いた本だから、圧倒的に情報量が多い。英語圏のジャーナリストの行動力とテーマに賭ける情熱はすごいと思う。本書に出てくる「チベットのプリンセス(北京に住むパンチェン・ラマ10世の娘)」の存在や、「シュグデンとダライ・ラマの対立」の詳細などは、日本語情報では知ることができない。とても興味深かった。

筆者は基本的にチベット人に同情的でダライ・ラマ法王を擁護する立場だが、感傷的なチベットびいきではなく、嫌中には走らない。状況を冷静に、分かり易く、客観的に読者に伝えるジャーナリズムの精神に忠実な筆者のスタイルは、8割は押し付けがましくない客観事実の描写に徹して、残りの2割でさらっと感想を加えるというものだ。北京、ダラムサラ、青海省同仁、サクラメント、四川省色達県、福建省福州などの各地を取材旅行して得た情報と分析が、章毎のテーマに沿って展開される。アメリカから見た中国、中国から見たダラムサラ、ダラムサラから見たチベット本土。。。。鏡の国に迷い込んだような物語の展開に、まるで読者は良質のオムニバス映画を見ているような感覚に囚われる。

本書のメインテーマはチベットの命運なのだが、それを浮き彫りにするため全体の6割は中国の政治と社会と国際政治の現実の考察に充てられている。

「ダライ・ラマ法王によって有名になったものの、チベット人は国を持たない世界の多くの少数民族の1つに過ぎず」、「中国がチベット人に行っている文化の虐殺は、アメリカが19世紀までにインディアンにしたことと基本的に同じ」といいうのは筆者の言う通りだ。

アメリカ人や日本人が買うクリスマス・プレゼントはどれも殆ど中国製。「米ウォルマートは製品の約70パーセントを中国から輸入し、2008年の同社の中国からの輸入額は、インドやロシアの輸入額を上回る」という現状から見れば、結局、人々はダライ・ラマを尊敬するかもしれないがやはり働くなら稼げる仕事がいいし、買うなら安い中国製品がいいということになる。中国との関係を壊してまでチベットを支援しないというのが、国際社会の現実だ。本書の結論は、「必ず中国の体制は崩壊して、自由なチベットが実現する」でもなく、「中国と同化してチベットの文化は徐々に消滅に向かう」でもないが筆者のトーンはどちらかというと悲観的であり、それが本書の英語の原題につながっている。

自分の目で、いろいろ見てみたい感覚に襲われる本。多分、そうした日はいつか来るだろうから、その日のために準備を重ねよう。

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