時間泥棒と40代

毎日の食事の準備と片付け、掃除、洗濯のフローをスムーズにこなし続けることは、働く主婦には意外に重い。家事は決して精神的にも肉体的にも負荷は重くなく、買い物や料理などには楽しい面もあるのだが、それには時間と心が費やされるのは事実だ。狭いマンションに核家族で住み、恐らく例外的にズボラな主婦である私でさえ、最低、一日3時間は家の仕事に費やしている。頭のどこかで夕飯を何にしようか、子どもの塾の月謝はもう払ったか考えているし、気がつけば家の中のゴミを拾い歩いている。

http://www.emin.jp/people/117.html

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純粋な家事以外で生活で比重が大きいのは、学校、行政、保険、証券、銀行、トランクルーム、公共料金、家、駐車場、子どもの塾、ネット周りの契約、決済関係の雑用や連絡だ。毎日、何かしらの用事で郵便局に行ったり、ネットで振り込んだり、書類に判子を押したり、予定変更の電話やメールを書いている。また、宅配の後で生じるダンボールなどの梱包物の処理や、郵送物の処理、宅配物の配送の物理的な受け渡しにも意外な時間がかかる。日本は春夏秋冬があるから季節の変わり目には衣替えの手間もある。

親戚、知人付き合い、年賀状書きや中元、歳暮のやり取りにもそれなりの時間と手間がかかる。我が家は決して付き合いが多い方ではないし、商売をしているわけではないから面倒な関係はない。それでも40代になると欠くことが難しい義理やお世話になった人、気遣うべき関係を持った人々が増えてくる。

日々の生活では電球は切れるし、切手はなくなるし、ボタンは取れるし、アクセサリーは壊れるし、PCは故障する。子どもは定期券をなくすし、夫は飛行機に乗り遅れる。

その結果、「年初の志」や「新しい目標」を掲げても、雑用で構成された日々の「to do list」に押し流されて1年が過ぎていくのだ。小さな無数の雑用、全て円滑にこなさないと日常生活が維持できない。日常生活を維持することが人生の唯一の目的となり、「とにかく、無事で健康に過ごせてよかった」で終わる。青年の大志、いずこへ。

主婦で企業の管理職に就いている大学の友人の女性に、昼休みのランチを誘ったら、「ごめん、忙しくて無理なの」と言われた。昔だったら少し傷ついたかもしれない。だが、今は彼女の言葉の意味が分かる。本当に忙しくて、旧友と単なる与太話をする時間がないのだ。上記のような家庭のゴチャゴチャに加えて企業での責任ある仕事が加われば、無数の小さな義務をこなして一日を回すだけで24時間が足りず、時間ののり代が足りないだろう。私とランチをすることはできるかもしれない。だがそうすると他の用事が全て後ズレし、雪だるま式に溜まってしまう。賢明な彼女は、人生の優先事項を秤にかけて交友を諦めたのだ。

男性も同じ。20代、30代のときには飲み友達だった男たちも、40~50代になると自然に遠ざかっている人が多いことに気付く。彼らもメチャクチャ忙しいのだ。別に誰もが大出世して日本を動かすような仕事をしているわけではない。だが組織の中で一定の責任を持って一線で仕事をしている40代は、こなすべき義務をこなすだけでアップアップ。時間のノリシロが少ないのだ。

中年の日常と時間の制約が、こういうものだということは20代のころにはあまり想像できなかった。まとわり付いて来る雑用の効率処理を意識的に心がけないと、何かを深く考えたり、新たな行動のための時間は全くなくなり、そうしている間に刻々と心身は老いていく。まさに時間泥棒に人生を食われ尽くされる感覚だ。

時間泥棒からのせめてもの防衛策は、可能な限り生活をシンプル化することだろう。

押売り電話は一言も言わずに切る。ビラやDM、アンケートは読まずに捨てる。もらい物も捨てる。取引銀行や証券会社は一本化する。保険は買わない。物を買う時は過剰包装の品は回避する(ゴミ出しの手間を省く)。メールはなるべく短く。このへんのシンプル化は副作用なく罪悪感なく実践できる。

外見に遣わないことも生活のシンプル化につながる。シンプル化しすぎるのも問題かもしれないが、割り切ることは出来る。私は電車に乗らないときは化粧しない。磨かなくてはならない靴とアイロンをかけなくてならない服は非日常の機会以外は身に着けない。

だが結局のところ、中年になって雑用に忙殺される最大の理由は、人間関係が蓄積して複雑化すること。だから時間節約に最大限、有効なのは交際の断捨離ということになる。

facebookも無視。年賀状も書かず、飲まず、お茶にいかず、ランチもしない。親戚とも会わず、同窓会にも行かない、取引先に挨拶しない。新しい人と知り合いになることも諦める。そこまでやれば、相当自分の時間が捻出できるだろう。だが比例して失うものも大きくなることを覚悟しないといけない。こと人間関係に関しては、一度自分から捨ててしまったものを取り返すのが難しいからだ。どの辺りのトレードオフが最適かは人によって違うし、人生のフェーズによっても変わってくる。多分、40代で捨てるべき人間関係と50代、60代、70代で維持すべき、あるいは捨てるべき人間関係は違うのだろう。また、今、自分でわざわざ捨てなくても、時間が来れば自然に消滅する関係もあるだろう。

見極めが難しいし、シンプル化にも限界があるのは事実。でも、東京に住んでいる限り、雑用のエントロピーに抗する努力は確実に必要。あるいは、住む場所を変えるのがエントロピーに抗する最大の処方箋なのだろうが、すぐには実現しそうもない。それまでは時間泥棒との戦いが続く。

 

 

 

 

 

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