時代はカジュアル

2年前にブログで「茅場町界隈にフレンチが減って、イタリアンが増殖中!」と書いた(→こちら)。

その後、イタリアン・レストラン全盛の流れはさらに加速している。東京の飲食街は今やどこもイタリアン国旗だらけ。あと、スペイン風バールも健闘している。これに対し、ドイツ料理、フランス料理などは新規開店する店を見たことがない。

イタリアもスペインなど南欧は日本と緯度が同じくらいで、食材が日本でも入手しやすい。肉よりも炭水化物が多くて価格がリーゾナブル、バターではなくてオリーブオイルを使っているからヘルシーといったことが人気の理由だろう。そうしたお店では、お箸が出てくることが多いし、本場のヨーロッパの食べ方のルールなんて全く無視だ。

フレンチでもうまく行っているのは、オバカナルプティ・トノーのようなパリのビストロを日本にそのまま持ってきたようなカジュアルで値段がリーゾナブルな店が多い。すでに名声を確立したspecial occasion用の名店以外は、気取って格式ばったフレンチの店の人気が復活することはないように思える。

食のカジュアル化はアメリカ発の動きではあります

衣や食のカジュアル化はアメリカが発信地

料理だけでない。気がつけば、物心ついてから2013年の現在まで、日本の衣食住はひたすらカジュアル化に向けて走り続けている。

サラリーマンは夏でなくてもノーネクタイが当たり前になりつつある。冬はフォーマルな膝丈のステンカラーコートよりピーコートが主流になりつつある。

一方、女性も夏はストッキングを履かないで素足でいることがNGでなくなって久しい。オフィス服の世界でも、アイロンが必要な綿シャツや手洗いが出来ないシルクのブラウスはワードローブから徐々に消え、洗濯機で洗えるカットソーやキャミソールをジャケットの下に着るのが普通になった。昔は紺やグレーのメンズ・スーツに近い生地のスーツが堅い業界の総合職や営業の女性の定番だった。でも今じゃデパートに行ってもそんなスーツはリクルート用以外、絶滅しているし、管理職の女性だって、カーディガンにフレアスカートだったりする。今どき、テーラード・スーツなんて一着も持っていない女性は多いんじゃないだろうか?

私自身、服やアクセサリーにかけるお金や、毎年買う服の数は徐々に減っている。いくらデザインや柄の凝った高価な服を着ていても、体型が崩れていて、髪の毛がボサボサなら意味がない。年を取るごとに、服そのものより、ワークアウトや爪や肌のケア、髪の毛のトリートメントなどにより多くのお金をかけるようになっている。

その髪の毛も、母の世代のようにヘアカーラーで巻いたり、私の大学時代のように朝シャン→デンマン・ブラシでブローというメンテ方法は絶滅。今や、時間をかけないでドライヤーや自然乾燥でまとまるヘアスタイルが主流。

べったり厚塗りファンデーション、ボックス型のハンドバッグ、コテコテにブローしたヘアスタイルに、かっちりしたスーツは昭和の遺物だ。

家もカジュアル化している。昔の家は台所があって、ダイニングがあって、応接間があった。今、ダイニングと応接間の区別がある間取りは減ってきている。昔は、最も「ケ」と見なされ、隠されるべき部分だったキッチンがどんどん発展し、アイランドキッチンのように、調理しながら談笑し、食べることの出来る空間が家の中心に移行している。多くの家で「お客さんのための気取った部屋」は必要なくなっている。

衣食住だけでない。日本語もカジュアル化している。会社で働き始めた頃学んだ「手紙の書き方=時候の挨拶」は、メール全盛の今、絶滅寸前だ。戦前の小説だけでなく、1960年代や70年代の小説やエッセーなどを読んでも、表現が持って回っていてくどくどしいような感覚を覚える。日本語はどんどん簡潔になり、友人に話す言葉をそのまま文章にするブログ的文体が主流になりつつある。

衣食住のカジュアル化は、IT革命や女性の生活の多忙化、エコ、自然への認識の高まりといった動きとシンクロした、20世紀後半から21世紀にかけての構造的で不可逆的な流れなのだろう。

いつか着る機会もあるかと思い捨てられないグレーのメンズ仕様のスーツや綿シャツ。もう似合わないし、明らかに時代遅れだ。思い切って捨ててしまいましょう。

 

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