【映画評】めぐり逢わせのお弁当——The Lunchbox

7月のマダム•イン•ニューヨークに続いて、シネスイッチ銀座で2本目のインド映画を鑑賞。どちらの映画も金曜日のレディースデーは立ち見が出るほどの盛況。

マダム•イン•ニューヨークも、めぐり逢わせのお弁当も、インド西部の大都市ムンバイを舞台にした映画。マダム•イン•ニューヨークのヒロインはアッパーミドルの専業主婦なのに対し、めぐり逢わせのお弁当のヒロインはローワーミドルの専業主婦。階層が違えば、主人公のマインドセッティングもストーリー展開も変わってくる。

アッパーミドルの専業主婦で英語が出来ないシュリデビは、旅先のニューヨークで英語をマスターして自分に自信を持った人間に生まれ変わる。

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これに対し、ローワーミドルの専業主婦のニムラト•カウルは、変われない。変わりたいのに、希望の持てない環境を抜け出したいのに、抜け出せない。全てを捨てても、思いを遂げたいという衝動に駆られるのに、叶わない。

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変われないのは相手役のイルファーン•カーンも同じ。男やもめで退職間際の草臥れた損害保険会社の査定員。35年間、満員電車に揺られ、大組織の末端で没個性で砂を咬むような単調な書類仕事を黙々とこなしてきた。それが、退職の数週間前に弁当の誤配がきっかけで文通が始まったまだ見ぬ主婦、ニムラト•カウルとのやり取りに心をときめかせ、ついに、「君と一緒にブータンに行けたらな」と書いてしまう。それだけでなく、仕事の同僚に「恋人がいるんだ」と言ってしまう。なのに、土壇場では情熱に身を任せられない。

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男も女も冒険したいのに、できない。偶然に身を任せられない歯痒さ。急速な経済発展に伴う社会矛盾や日々の糧を得るための苦労(ヒロインの弟は試験に落ちて自殺、老親は貧困、夫はエコノミックアニマル。相手役の男もカツカツの生活。だから主人公たちは物価が安くて、人々が幸福に暮らせる国、ブータンに移り住むことを夢見る)。

The Lunchbox

ありえないお弁当の誤配で始まった都会の見知らぬ男女の文通というロマンチックな始まりからは想像がつかないほど、映画は暗いリアリズムに満ちている。「ああ、これが今のインド人の庶民の日常と現実なのね、どこか私の日常とも似ているけど、もっと救いがないかも。。。」。見る人はカタルシスを得られず、思わずため息をついてしまう。ある種、ラテン的な狂気や情熱を完全に抜き取ったフランス映画のようでもある。

というわけで映画のトーンそのものは決して私の好みではなかったのだが、この「庶民の運命に対するマイルドな諦念」こそがインド社会独特の気持ち良さなのかも。。。と思った。

暑い気候、宗教的な極彩色や金切り声の音楽、強烈なカレーなど、インドは激しい国と思われがちだ。でも実際のインド人には日本人よりはるかに恬淡とした性格の人が多いということを、私はさまざまな場所で知った。もちろん、口八丁手八丁、自己主張全開の強烈なキャラのインド人もいるが、それは実業家やビジネスマン、金持ちの奥さんなどに多い。カースト制や宗教のせいだろうか。あるいは多過ぎる人が社会で生きて行かなければならないせいだろうか。労働者や職人、運転手や美容師など、他人に使われる立場の庶民は、実に、節度正しく、おとなしく、辛抱強く、働き者で、優しく、他人をうらやんだり自分の運命を呪ったりしない人が多い。そうしたインド庶民のおとなしさは、この映画の主人公たちの性格そのものだ。

この映画の監督が描きたかったのは、そうしたインド庶民の愛すべき控えめキャラと諦観、そしてそうした庶民が住むボンベイという街の息づかいそのものなのだと思った。

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