幸せ7:幸せの対極にあるのが嫉妬–映画アマデウスより

ちょっと古い映画ですが…1984年、ミロシュフォアマン監督の作品です。古いってなんと、もう33年前の映画です。

テーマは嫉妬心。

人間の持つ嫉妬心という普遍的な感情が神話的に描かれた映画だからこそ、多くの人の心を打ち続けているのでしょう。

時代は18世紀末のヨーロッパ、ウィーン。

サリエリの頭の中はモーツァルトでいっぱい。なぜ、あんな奴があんな作品を作れるのか?サリエリは煩悩と嫉妬の塊。完全にモーツァルトに取り憑かれている。「なんで俺じゃなくて、あいつなのか!」といつも心で叫んでいる。 

でも、モーツァルトにとってサリエリはただの業界の偉いオジサン。神童モーツァルトには世間にいい作品を発表して認められないという野心もない。彼にとって音楽は努力ではなく天から降ってくるもの。

そこがまたサリエリにはムカつく! なぜ、俺は努力してるのに、あいつは努力しない?なぜ、努力しない奴がしてる奴に勝つ? なぜ、俺はあいつのことばかり考えてる?

サリエリがモーツァルトとは無関係な自分の価値を認めることができていたら、異様な執着は消えていただろう。

世界中には、何百万、何千万の不幸なサリエリがいる。運動神経、頭脳、美貌、名声、才能、権力。社会でそれらは一部の人にしか与えられない。万人に与えられていないからこそ、社会は類い稀な才能を愛するる。だから必然的に格差は生まれる。

一番、不幸なのは美貌、名声、権力、才能から遠い人たちではない。それを求め、努力した結果、上位5%につけているが、絶対上位1%には入れない人たち。上位1%を絶えず意識している立ち位置の人たち。いつだって羨望の対象を意識しているのに、羨望の対象の方からは一顧だにされない人たち。

そんな人々の肥大した自我と嫉妬心から多くの混乱と悲劇が生まれる。

嫉妬する人は嫉妬の対象を愛してもいる。サリエリはモーツァルトを誰よりも理解し、愛している。愛しているからこそ、自分が惨めだ。非対称性を解消したい、嫉妬する対象と自分を同一化したい。だから、モーツァルトをストーキングし、殺し、最後は自殺する。

痛〜い、かわいそうな、あまりに人間的なストーカー、サリエリ。感情移入させてくれて、ありがとう。

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