小野田寛郎さん(2)

小野田寛郎さんは、21歳から51歳までの期間をルバング島の任務遂行に費やした後の羽田空港での記者会見で、「人生の最も貴重な時期である30年間をジャングルで過ごされたわけですが….」との質問に対して、「若い、一番意気盛んな時期を、全身で打ち込んでやれたことは幸福だったと思う」と答えた。

21歳から51歳までの時間の空白は想像を絶している。今、47歳の私が21歳の時からずっとジャングルでゲリラ戦を強いられ、その生活をあと4年も続けると想像してみる。お金、仕事、家族….今の私を取り巻くほぼ全てのものを私は持たないで51歳を迎える。そして、価値観が180度変わってしまった社会に浦島太郎のように放り出される。「自分は幸せだったと思う」はそらぞらしい建前のやせ我慢のように感じる。

だが、小野田さんはその後、猛烈に自分らしい個性的な人生を構築していくことで、前半生を無駄にせず、このやせ我慢の言葉があながち嘘ではないことを世間に証明していくのだ。30年間、貨幣や商売と無縁に生きてきた小野田さんはその後、ブラジルに土地を買い、知り合った女性と結婚し、馬を買って牧場経営を始めた。それが軌道に乗ると日本の子供たちに生きる力を身につけさせるため自然塾を開き、自ら理事長となって2万人の子供を育てた。晩年のドキュメンタリーには80歳を超えた小野田さんが瀟洒なマンションの自室でノートパソコンを打つ姿が登場する。

小野田さんの後半生の前向きで生産的な生き方は、ジャングルでの首尾一貫した全身全霊の生き方のおかげと思わざるを得ない。小野田さんは、遭難して無人島に独りで残されて家族と故郷を思って救援を待ちながら30年間、受け身に待ち続けていたのではない。全身全霊で一つの目的に向かっていたのである。目的は、一切の物質的支援を断たれたところで、積極的に、能動的に、規律を持ってアテのないゲリラ戦を展開し続け、決して投降しないという極めてチャレンジングな任務を遂行することだった。食糧を調達する、病気に掛らず、怪我をしないようにする。身体を鍛錬する。情報を分析する。襲撃の機会を伺う。雨を避けるために、ヤシの葉を編み、針を作って服を修理する、洗濯する。武器の手入れをする。一つ一つが集中力を要する、命がけの作業だ。ギリギリの環境で任務遂行に向かい続けるなかで、精神が緩む暇はなく、故郷や家族が懐かしいというような感傷に陥ったことは一度もないという。家族が捜索に来て呼びかけても、日本の民謡が流れても、それがオトリである可能性を恐れて逆に身を隠した。日本の敗戦の事実を知っても、上官の命令があるまで投降しなかった。

そんな筋を通した小野田さんに対して、戦前の価値観を捨てた人々は英雄視するどころか「軍国主義の犠牲になって人生を無駄にした可哀想な小野田さん」「ババを引いて犠牲者になった小野田さん」と同情した。小野田さんは、「やめろ、俺を可哀想がるな!」と思っただろう。同情と憐憫の視線を跳ね返し、自分の前半生が決して無駄なものではないこと、自分は犠牲者ではないことを同時代人に静かに証明することが小野田さんの後半生の原動力になったのではないか?

若い時の苦労は買ってでもしろ、と言われる。さすがに小野田さんほどの困難なチャレンジを受けて立つのは常人には難しいかもしれない。でも、前半生は困難が少ないよりは多い方が良く、その中でひたすら筋を通すことが重要で、そのために損をするならむしろ損をした方がよいのかもしれない。筋を通す。決して神を頼らない。自分を憐れまない。そして、筋を通すことが損ではないこと、自分は幸福であることを証明する。

成功への強い意志と苦境を乗り越える自分の力への信頼によって100%の力を発揮し、マイナスをプラスに転じる。おそらくそれは最も幸せで美しい人生のパターンである。小野田さんの人生の物語は本当に見事だ。

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