宇多田ヒカルのタメ口

川崎の郊外ベッドタウンで育った私。小学校低学年のときの作文の一節に「便所」と書いた。

作文を読んだ母は激怒。「便所なんて言葉!止めなさい!みっともない!」と私を叱った。

では何と書けば良かったのか。正解は「お手洗い」か、「おトイレ」だった。「便所」は田舎っぽい。まるで肥溜の匂いがする。母は私に都会的で上品な言葉遣いを望んだ。

中学生になってミッション系女子校に通うようになると、周りは山の手の教師や良家の子女だらけになり、私の中から「便所」的ボキャが消えた。

美しい日本語を話せることは、今も昔も日本社会のメインストリームで生きていく上でかなり重要だ。だからこそ、母は「便所」と言った幼い私を厳しく叱った。言葉遣いは文化資本や教養力を如実に示す。巧みな日本語表現は人間関係をスムーズにし、上品な言葉は世間を生きていきやすくする武器なのだ。

。。。。というわけで、日本人に生まれた私たちは美しく正しい日本語を学び、日々に子供に教え続ける。

「前略」で始まる手紙は「草々」で終わらせ、「拝啓」で始まれば「敬具」で終わらせる。「務める」と「努める」と「勤める」を区別し、「望む」と「臨む」を区別する。

オフィスで電話応対するときは、若干トーンを上げて、「上司はあいにく外出中しておりますが、差し支えなければご伝言、承りましょうか?」と淀みなく応答する。

私自身、さしたる疑問も持たず、そうしたことをエンエンと続けてきた。

だが。。。。

その中で失われるものもある、と今となっては思う。

昔、宇多田ヒカルがテレビで目上の人にタメ口で話すと批判されたとき、「敬語を使うと相手への親しみが伝わらないから」と言っていた。それは単に「帰国子女の生意気」では済まされないものがある。彼女の作る歌の、聞く人の心に水平にダイレクトに響く日本語の歌詞は、ソトに向けて丁寧に話すことが板についた私のような人間にはおそらく決してつむげない言葉だ。

心にササる歌詞ばかり。亡き母を「お母さん」ではなく、「彼女」「君」と呼ぶことで尊敬と親しみが混ざる心を表現する。

もちろん、社会に出て敬語を完璧に操る人だって、家族や友達などのウチの世界では自由に「ため口」で感情表現することができる。使い分けさえできれば、何の問題もないようにも見える。

だが、問題は簡単そうで、そんなに簡単ではない。ウチとソトの使い分けが上手になり、ソトの日本語が板に付くようになると。。。。いつしか、ミイラ取りがミイラになるように、その人の性格は内弁慶で二重人格で排他的になり、ソトに対して決してタメ口のスタンスが取れない(=自分の感情を自由に他人に伝えられない)人間になってしまうのだ。

言語構造によってウチとソトという異なる気圧の二つの世界が共存しているのが日本社会だ。

ソトでは仮面をつけて慇懃無礼に振る舞う。そんなつもりがなくても、敬語表現そのものが、自分の感情を殺して相手を祀り上げることにつながる。そして自分が仮面を外さない代わりに、相手にも決して仮面を外すスキを与えない。つまり、相手を尊重しているようでいて、実はあんまり尊重してない。

敬語と丁寧語ばかりのソトは、偽善的で堅苦しくて、生きにくい。ならば、本音でつきあう親しい人ばかりのウチは住みやすいかというと、こっちは濃密で、重過ぎる。

どうやら日本語はもともと、ウチとソトの言葉使いがまるで違う言語で、敬語表現は共同体のソトの対象だけに使われるものだったらしい。徹底的にウチとソトが分かれた日本の社会では「親しみながら尊敬する」ということが両立しにくい。

この本には日本語のウチとソトの仕組みが分りやすく説明されていて目からウロコ。

なるほど丁重に作り込んだ日本語からは温かさや親しみの感情がなくなっていく。不気味なバイト敬語や役人が作った空虚な国会答弁原稿がそのなれの果てだが、自分の文章にも十分、覚えがある。

「検討させていただきます」「なにとぞよろしくお願いします」「御礼申し上げます」などの虚礼だらけの意味不明メール。。。。

アラフィフになった今、そろそろ周囲は目上より目下が多くなってきた。

ビジネスのメールや電話でも、そして、初対面の人と話ときも、できればメタボな敬語は7割減くらいにして、すっきりした「ほぼタメ口」スタイルを心がけたい。目に見える言葉より目に見えない心が大事。口先だけの敬意じゃなく、他者に心からの敬意、親しみ、思いやりが大事。

そのためには言葉はなるべく少なくシンプルな方がいい。

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