大統領選挙と前頭葉と辺縁系

「いくら言っていることが正しくても、それを言っている人が嫌だから受け入れられない」、ということ、よくある。ヒラリーはそんな風に嫌われてしまったようで。。。あんなに頑張ったのに。

「一票の重み」などと言っても、実際には一介の有権者にとって投票は軽い。

投票用紙に誰かの名前を書くのには何の努力もいらない。秘密投票だから事前にも事後にも誰かに報告する義務はないし、投票理由を他人に明かすこともない。「Aがいい!」「Bがいい!」それだけ。

金はかからず、しかも判断が他人の目にさらされないという意味で、投票することは服を衝動買いしたり、facebookにコメントを書き込むよりさらに軽いかもしれない。服を買うなら少なくとも預金残高がその分減るから、すこし傷みがある。facebook にコメントを書くなら、少なくとも自分の言葉が不特定の人に読まれるから、すこし緊張感がある。

結果が自分にダイレクトに返ってくるなら、人は理性を働かせようとする。「何となく好き」という理由で株は買わない。なけなしの理性を使って「おそらく上がるだろう」と判断するのだ。夕食の献立選びだって、週末の過ごし方だって、ささやかでも何らかの結果が出るから、真剣に考え、より良い判断をしようと努力する。

でも投票ではそういう有権者個人の動機や判断力の結果が問われない。誰でも有権者になれるし投票できる。そして特定の人物に票を入れたことの社会的結果は、その人に投票した人も投票しなかった人もひとしく集団的に与えられるのだ。

候補者は名前と抽象的スローガンを何度も繰り返して人々の脳に刷り込みをはかる。I want America to be great again!

有権者はますます考えなくなる。候補者のヘアスタイルと顔つき、話し方、来ている服を見て、直感的に「あっちは嫌い」、「この人は私の味方」、「あの人は敵」、と感じる。好き嫌いを感じるのは、政策Aが政策Bより望ましいと判断したり、社会の長期的将来について深く考えるより簡単だ。

考える力がないわけではない。力があっても使う必要のない場所で力を使わないのだ。真剣に考えるときには前頭葉(=理性、知識)が登場する。でも軽いこと(=他人に説明する必要がなく、結果に責任を取らなくても良い判断)では前頭葉はお休み。辺縁系(=情動)が代わりに働く。

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もし投票が公開投票(=自分が誰に投票したか言わなければならない)で、しかも有権者は誰かに投票した理由を壇上で客観的に箇条書きにして他人に説明しなければならないとしたら。。。トランプは選ばれなかっただろう。

もっとも、そうした「理性」がより良い未来につながるという保証はどこにもないのだが。。。。

 

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