和のむずかしさ

40歳を過ぎたら着物で生活を、と思っていたのは、35歳くらいの時のこと。着物の方が洋服より体型の崩れを隠すし、シワや白髪などの老いのアラも隠すからだ。でも、それから10年以上が過ぎて、もうすぐ50歳の坂が見えてきた今も、日常の着物生活は実現しておらず、なんとかお正月に年1度着るのが精一杯の現状だ。着方をかろうじて覚えているから、他人に頼まずに一人で着られるからましとはいえ、着るのは晴れ着ばかり。昔、自分で買った普段着の会津木綿の合わせも、紬の単衣も、いまや完全に箪笥の肥やしだ。

着物を着ない理由は極めて明快。着物では会社に行けないし、自転車に乗れないからだ。億劫になるもう1つの理由はヘアスタイルと半襟。ショートカット以外の髪型はアップにしないと着物は着られないが、5分ではまともなまとめ髪は作れない。そして、針と糸でチクチクと半襟を付け直すのには最低、30分はかかる。今の私の日常では衣服を身に着けるだけに、とてもこれだけの時間は費やせない。あるいは費やせる日はもう一生来ないような気がする。

そんな私の事情は恐らく、現代を生きる99%の日本人女性と同じだ。結局、着物を日常的に着る日常を送れる女性は、旅館の女将、水商売、着付けやお茶の先生など、着物と仕事が一体化した人たちだけだ。大半の女性にとって着物は非日常、あるは博物館の世界のものだ。

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同じことが日本家屋にも言える。

若い頃、将来は祖父母が住んでいたような縁側のついた純日本家屋に住みたいと思っていた。

だが、東京でそうした家を見つける難しさ、価格、維持する手間は完全に現在の私の手の届く範囲を超えている。この夢も実現しないで終わりそうだ。なにしろ昔のままで維持されている美しい日本家屋といえば、寺社と旅館だけなのだから。

料理も純日本風は難しすぎる。

昔、大人になったら、おせち料理を手作りできる女性になると思っていた。だが、きんとん用の蒸かし芋の裏ごしの手間だけで、私の野心は挫折した。こんにゃくを煮る前に包丁で叩く手間。異なる素材を別々に煮る手間。田作り用にごまめの頭を取る手間。そうした手間、時間と出来上がりのおせち料理の美味しさを秤に掛ければ、あまりに時間と手間が掛かりすぎる。

日本に住む日本人なのに、敷居の高さのせいで、日本伝統の衣食住を日常生活で実践できない状況は不条理そのものなのだが、その一因は私の母の世代、つまり戦後から高度成長期の日本で、「専業主婦による、専業主婦のための『和』」が確立してしまったせいかもしれないと思う。

和が当たり前に日常だった戦前までの庶民は、外出ごとに着物の半襟を付け替えたり、おせちの煮物を具材ごとに別々に煮たりはしていなかったはずだ。農作業や商売に忙しい女性はそんな暇はなかった。そういう手間をかけることが出来たのは、上流階級の有閑女性やプロの料亭だけだった。

だが、戦後の高度成長とともにサラリーマンと専業主婦の組み合わせが生まれ、都市の中産階級の女性は夫の稼ぎだけで生活できるようになり、家庭外の経済活動から解放されて、家庭内の生活の追求に全力を注げるようになった。上流階級だけのモノだった白い半襟のついた着物で茶道や華道に勤しんだり、料亭で作るような洗練された日本料理を習得していることが「ちゃんとした」女性の条件となり、中の上以上の女性たちは花嫁修業の一環として出汁のとり方やおせち料理の作り方、着物の着方をプロから学ぶようになった。それが数十年続いた結果、現代日本の「和の衣食住」は、改まった、やたらと手間とお金のかかる非日常に変質し、時代のカジュアル化とは正反対の方向に突き進んでいった。今日、私たちが「和楽」や「婦人画報」を通して知る和の世界だ。そして、そうした和の「朱鷺化」に抗して、和のエッセンスをカジュアルな現代生活に生かそうとする方向性(たとえばカジュアル着物、和のテーブルマット、漆のグラスなど)もあるものの、必ずしも大きな成功を収めているとは言いがたい。

所詮、人生の時間もお金も限られている。背伸びせず、無理せず、日常生活の小さな和を愛して大切にしよう。たまに着物を着る、ひじきの煮物や金平ごぼうを作る、和の匂い袋や素敵な焼き物の小皿を買う、風呂敷を愛用する、そして佃煮を食べ、膨らみ始めたマンションの梅の蕾や近所の住吉神社の社の美しさを愛でる。そのくらいで十分だと満足しよう。

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