可処分空間

昨日の記事で、「可処分所得と同じくらい人生の可処分時間は大切」と書いた。

もう1つ、大切なもの。それは可処分空間。足を伸ばして、深呼吸できて、くつろぐことの出来るスペース。

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モノがスペースを席巻する過密な東京で、それは、意外なほど得難いものだ。

わが家には炊飯器もエスプレッソマシーンも、乾燥機も食洗機、ファックスもない。ご飯は土鍋で炊く。コーヒーはチタンフィルターをポットに載せて、手動で入れる。洗濯物は外に干し、お皿は手で洗う。ファックスを出す必要があれば、コンビニに行く。

別に電化製品が嫌いなわけではない。買うお金がないわけでもない。だが、炊飯器、エスプレッソマシーン、食洗機、乾燥機を置くだけのスペースが家の中にないから買えないのだ!

お金と時間同様、物と空間はトレードオフの関係にある。物を買えば、スペースがなくなる。スペースを確保するには物を捨てるしかない。すでに冷蔵庫、電子レンジ、ミキサーが鎮座している台所にエスプレッソマシーンを置けば、野菜を切ったり、小麦粉の重さを量ったりする作業のスペースがなくなる。居間のサイドボードの上に花を飾れば、ファックスのための場所はもうどこにもない。

都心のマンション住まいで少しでも気持ちよくして、快適な空間を作ろうと思えば、出来るだけ物は買わないという以外の選択はない。

というわけで、お気に入りのインテリアや什器、服やアクセサリーを買い揃えていくという私の人生最大の楽しみは数年前に完全に頭打ち。もはや新しい物のためのスペースは家のどこにもない。お皿一枚、本一冊、コート一着でさえ、1つ捨てて、1つ買うという生活だ。

日常生活は無秩序に増え続ける物との格闘だ。景品、パンフレット、書類、新聞、雑誌、プラスチックスプーン、紙袋の類は即、ごみ箱へ。靴、洋服や本も要らないと思えば即、捨てる。フリーマーケットにも出品する。だが、東京在住の男女はほぼ誰もが、有り余る物と可処分空間の限界の間で呻吟している中、他人の使ったモノに喜んで金を払う人は稀だ。ひとたび買って、梱包を解いて使用した大半の物に金銭的価値はない。「勿体ない」という理由だけで使わない物に希少なスペースを占拠させておく意味はない。

ただし、時間とお金のトレードオフと比べると、物と空間のトレードオフはそこまで絶対的ではない。ひとたび床面積の大きい家に引っ越せば、スペース不足という問題は途端に解決する。なにも大豪邸である必要はない。恐らく、今より2割くらい大きな家に住めばファックスとエスプレッソマシーンの空間などあっという間に捻出できるのだ。だが、それが簡単なことではないのが、悲しい東京の住事情。

知り合いの実業家のシンガポール人は、「日本人の住環境がもう少しマシになれば、日本経済は上向く」、と言った。その通り。だって、家が狭いからモノを買えないんだもの。我が家が2割大きくなれば、私は即、エスプレッソマシーンと炊飯器と食洗機と乾燥機を買うだろう。そして、倍の大きさになれば、飾るための絵と絨毯と美術品を探しにモロッコにでも旅行に行くかもしれない。

だが、残念ながら住環境の改善はすぐには進みそうにない。可処分空間の限界がすぐ頭の上にある状態では、縮み志向でモノを買わない生活を続けるより仕方ない。

 

 

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