可処分時間

私たちにとって時間とお金はトレードオフだ。

会社で働く  => 時間の自由<<<<<<お金の自由

会社で働かない => お金の自由<<<<<時間の自由

今どきの日本では、女性は結婚すると専業主婦になる選択、働き続ける選択が与えられることが多い。専業主婦にはゆっくり子育てしたり家事をする余裕が与えられるが、反面、共働きで得られる可能性のある収入増の機会は失われる。一方、結婚した女性が働くと家計は楽になる。だが女性にとって、ゆっくりした子育てや家事の余裕は失われる。

多くの人がトレードオフから抜けられない中、理想はお金も時間も余裕がある状態だ。

それで一昔前に「経済的自由の獲得」というのが流行った。これは単に金を稼ぐということではなく、賃料収入などの不労所得を増やすことで、お金と時間の両方の自由も得ることがテーマだった。ロバート・キヨサキのロングセラー「金持ち父さん貧乏父さん」では、ラットレースに巻きこまれて時間が不自由な公務員の実父は、(中の上の生活なのに)「貧乏父さん」と揶揄され、時間もお金も自由な投資家である義理の父、「金持ち父さん」の生き方が理想とされていた。

人間にとって時間はお金と同じかそれ以上に大切なのは確実だ。お金と違って時間は殖やしたり、貯めたり出来ず、死後に残すことも出来ない。時間の大切さは人生の後盤に入るとますます身に沁みてくる。1日1日があっという間に過ぎて、多くのことが時間切れになっていく。

お金に関しては、可処分所得という概念がある。個人所得から、税金や社会保険料などの義務的支出を除いた「自由になるお金」のことだが、時間に関しても、同じように可処分時間という概念があってもいいと思う。

チクセントミハイの名著「フロー」によれば、私たちは睡眠時間以外の1日の時間の8パーセントは食事に費やしており、同じく8パーセントを風呂、トイレ、服の着脱、グルーミングなどに費やしているという。睡眠時間を8時間とすると、意識がはたいている「可処分時間」は1日13時間程度。このうち、フルタイムで8時間働き、通勤に2時間を費やし、こうしたお金を稼ぐために費やされる時間を義務的時間と計算すると、1日3時間程度の「純可処分時間」が生まれる。土日は仕事がないから、純可処分時間は13時間に拡大し、一週間の純可処分時間は41時間、一ヵ月の純可処分時間は164時間、1年間の可処分時間は約2,000時間となる。

1日11時間働く人の純可処分時間はゼロとなるし、働きながら主婦をしている人の平日の純可処分時間は、実質的にほとんど家事と子育てに費やされることになる。もし、家事を義務的時間に換算すれば純可処分時間はゼロになる。

何を義務的時間と捉え、何を可処分時間と捉えるかは人によって違う。「家事は息抜き、料理は創造の時間」と捉えれば、それは義務的時間から可処分時間に変わるし、「ジムや美容院に行って、筋肉を作ったり、髪を切ったりして外見を整える時間」を義務的時間と捉えるか、可処分時間と捉えるかは微妙である。その微妙さは、確定申告で何を経費と捉えるかの微妙さとも似ている。

人生は可処分時間の量と質によってずいぶん変わってくる。できれば、可処分時間を増やし、その質を高めることが大切になってくるが、そのために一番、重要なことは人生の多くを占める仕事の時間を「義務的時間」から「可処分時間」に転換させることだろう。つまり、仕事を義務ではなく楽しみにすれば、人生の自由な時間は圧倒的に増えるが、仕事を義務にしてしまうと人生の自由な時間は圧倒的に減る。また、食事、家事、買い物、つきあい、子育て、グルーミングなど、義務と楽しみの中間のファジーな時間は少しでも、義務の要素を減らし、楽しい要素を増やす努力をすべきだ。そして、どんなに工夫しても楽しくならない時間(事務処理や雑用)は、出来るだけ効率的に最小限の努力で行う工夫をするべきだろう。

新しいことをやるか、やらないか。飲み会に行くか、行かないか。フェースブックを見るか、見ないか。旅行に行くか、行かないか。その本を読むか、読まないか。

お金よりも時間にプライオリティを置くと世界が変わって見えてくる。可処分時間をどう使うかは、その人の生き方そのもの。中年以降よりもフィナンシャル・プラニングと同じくらいタイム・プラニングを。

 

 

 

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