古民家のお手入れ

古民家と東京のマンションを行ったり来たりし始めて3か月。外房線の茂原駅を下りて、レンタカーで南下すると、どんどん緑が濃くなり、空気がひんやり冷えてくる。住んでみるまで知らなかったが、夏場、いすみ市はだいたい東京より1〜4度気温が低い。

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いすみの家の土間に入るとひんやり感はさらに強くなる。土と木の匂い。常に流れ続ける空気。薄暗い空間。どれも都会にはないものだし、外国に行っても経験できない。この匂いと空気が懐かしくて、恋しくて、いすみの家を買った。

家に入り、まず、雨戸を開ける。北側、南側、西側に縁側が張り巡らされているから三面に雨戸があるわけだ。がらがらがら。慣れてきたとはいえ、開けるだけで10分、閉めるのにも10分かかる。

雨戸を開け放つと、今度は箒で床掃除。しっかり戸締まりがしてあっても、いつも訪れると床の上には砂やら葉っぱやらがうっすら積もっている。空気窓やら、外欄間やら、あちこちに隙間がある上、天井板の細い隙間から屋根裏の茅もチラチラと落ちてくるからだ。

雨戸の開け閉めと掃除だけで30分はかかる。まあ、「週末の家」だからそれも到着の儀式として楽しいのだが、毎日となると大変だろう。窓をサッシにして気密性を高めれば、雨戸は必要なくなるかもしれない。外欄間を塞ぎ、土間の土はモルタルで固めてしまえば、室内にゴミが入らなくなって掃除も楽になるのだろう。でも、そうしたら、土間のひんやり感はなくなってしまうし、外欄間の綺麗な透かし絵も見られない。風が通らなくなれば、家中が湿っぽくなり、柱の耐久性に響いてくるだろう。

いすみの家に住み始めて分ったのは、古民家を近視眼的にリフォームすることには危険が伴うということだ。

古民家には古民家なりの建築思想があり、柱も窓も屋根も床も全て特有の思想と合理性に基づいて出来ていて、部分同士は有機的につながって全体を構成している。だから、一部分に現代的な考えで快適さを求めて古いものを新しくすると、今度はその変更が他の部分の問題につながったり、古民家の良さが失われてしまうことがあるのだ。

それは、エイジングが進んだ女性に美容整形やボトックスなどを施すことと少し似ている。気になる一カ所だけお直しすると、有機的につながっていた他の場所とのバランスが崩れてしまうのだ。所詮は朽ち果ていく肉体なのだと悟り、せいぜい白髪を染めたり、毎日、化粧水を付けたり美容パックをするくらいのお手入れに留めておくのが、知恵ある女性のやることだろう。古民家も然り。古さや不便さは長所の裏返し。かといって何もしなければ単なるボロ家であり、どこまで何を手入れするのか、しないのかの判断は難しい。

とりあえず、女性にとっての「化粧水をつける」に匹敵する、最低限の古民家のお手入れは、「障子の張り替え」だ。4月にこの家を買ったとき、家中の障子はビリビリ破れていたから、まず障子を張り替えることにした。一昔なら障子の張り替えくらい、どんな主婦もやっていた。自分たちでできるお手入れだからコストもかからないし、障子の張り替えなら失敗もない。ホームセンターでお徳用障子紙と障子貼りセットを購入して障子貼りDIYに着手。

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いすみの家の開口部はほぼ全て障子か襖が入っている。まず、すべての障子を開口部から取り外すことから始める。障子も襖も驚くほど軽くて、女子供でもラクラク。桟にほんの少し引っかかっているだけだから、取り外しは簡単だ。部屋と部屋を分けていた仕切りを取り外すと、古民家全体が大ホールのようになる。障子や襖で作られた仕切りは、ヨーロッパの重いカーテンやドアと比べるとまるで子供騙しのようだ。障子や襖だけではない。ガラス戸だって雨戸だって、日本のものは、ヨーロッパの窓や鎧戸と比べると、冗談のように薄っぺらく、弱々しい。それに、昔の人の布団は薄いし、枕は小さい。

人間と同じだ、と思った。そう、日本人は白人や黒人と比べると、薄っぺらく、小さい。モンゴル人やチベット人と比べても華奢だ。昔、パリに住んでいたとき、日本から来た母の姿を空港で久しぶりに見て、その小ささ、華奢さ、儚さに息を飲んだ(母は日本人としては普通の身長、体重なのだが)。

華奢な身体、華奢な食器、華奢な寝具に、華奢な家。子供でもたやすく壊せる細い木の枠にペラペラの薄い紙を貼っただけの障子や襖。額装もされていない薄紙一枚の浮世絵や長屋のチャチな壁。防犯や高気密なんて思想、ない。江戸時代や明治時代に来た外国人はそんな日本人と日本の暮らしぶりに、さぞカルチャーショックだっただろう。

そうした「華奢」な日本文化のミニマリズムの伝統は今も続く。たとえば、日本のオフィスで使われるプリンター用紙や名刺。欧米基準からすると圧倒的に薄っぺらい。日本のサンドイッチは欧米のサンドイッチよりずっと細くて中身が少ない。一見、欧米と同じように見える日本のメーカー製のキッチンや洗面台、家電はどことなく華奢だ。日本のマンションの壁は薄く、天井は低い。ギャップと比べるとユニクロのTシャツは平面的だ。コンランショップの雑貨と比べると無印良品の雑貨は一回り小さくて軽い。

そんな華奢な日本文化の原点を感じつつ、せっせと障子を貼る。木の枠に米糊をベタベタ塗って、そこにぴったりと紙を貼っていく作業は、思った以上に気遣いが求められる辛気臭い作業で、10枚も貼ったら、クタクタになってしまった。力仕事ではない。力を入れ過ぎたらいけない。綺麗に仕上げるコツは、「さっさ!」「てきぱき!」という段取りと気合い、気遣い。幸田文になったつもりで、「さっさ!」「てきぱき!」。

障子貼りをしながら、ふと着物の長襦袢の半襟付けを思った。着物を着る前には、半襟を長襦袢に縫い付ける必要がある。半襟付けもまた、決して難しくはないが、気遣いが求められる辛気くさい作業だ。半襟付けや洗い張りなど、着物のメンテに気合いが要る。着ることも気合いが要るが。日本で1,000年以上も続いた伝統的な着物の習慣がこの100年足らずですっかり廃れてしまったのは、この面倒臭さのせいだろう。昔ながらの面倒臭さと現代の教育や仕事や社会構造って相容れないものがある。だからこそ、廃れてしまい、だからこそ、懐かしいんだろう。

それにしても、障子貼りや半襟付けのような日常の面倒臭い作業って、日本特有なんだろうか、それとも他の非欧米諸国にもあるんだろうか。

そんな埒も空かないことをつらつら考えながら、週末いすみ生活は続く。

 

 

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