冬は夏にあこがれて

2008年以降、フルタイムでオフィスに行く生活を止めて、今は週3回だけ麹町で働いて、週4日は家で仕事をしている。

「朝、出社して席に着いてコーヒーを飲みながら日経新聞を読む時間が好き。家事と育児にまみれた日常がリセットされるから」--昔、外資系銀行で働いていた頃、知り合いのワーキングマザーのクレジットアナリストの女性が言っていた。

「ヤマザキのパンじゃなくて、メゾンカイザーのパンを買いたい。それくらいの贅沢が出来る生活がしたい。子供にも良い教育を与えるにはお金がかかるし。だから会社は辞めたくないの」--もう1人のワーキングマザーはそう言っていた。

大きな仕事をしているオフィスには独特の華やぎがあり、そこに身を置くことはそのこと自体が魅力的である。

特に外資系金融はそうだった。

メタリックな高層ビルの広々としたエントランス、スタバやタリーズのコーヒーの香り、白いシャツのさまざまな国籍の男たち。ロングヘアにタイトスカート、ハイヒールを履いた若いセクシーな女性たち。コンピューター画面から流れる世界中の情報とスピーディーな意思決定。お金の匂い。

そこには泣き叫ぶ子供も、呆けた老人もいないし、捨てるべき生ゴミも、洗濯物の山も、洗わなくてはならない風呂場もない。

オフィスの無機質な大人の空間には相応しい装いがある。

薄いファンデーションと口紅。高級で仕立ての良いスーツ、手入れの行き届いたネール、薄い高級ストッキングにピンヒール。

装いを改めれば、快い緊張感が身を包む。スタバで買ってオフィスの机で飲むラテの味は、家で入れるコーヒーとは違う味がする。

ところが、そうした魅力は見事に180度、暗転することもある。

寝不足の疲れた顔にファンデーションを塗り、肩の凝るスーツを着て、通勤電車に乗る。読みたくもない日経新聞を読んで、無機質なオフィス空間で、四季の変化が感じられない生活を送る。顧客にかけたくもない電話をかけ、書きたくもないレポートを書き続ける生活。会社から押し付けられた役割を演じて、それが、ずっと、ずっと続く。

だとしたら、もし選択肢があるとしたら、自分で時間の使い方を決めて、自分のペースで生活したい。

家でゆっくり夕食の仕込みをしたい。子供の勉強の面倒を見てやりたい。金木犀の匂いを嗅ぎながら洗濯物を干したい。出来れば洋裁の材料を問屋街に買いにいって、手作りのカーテンを作りたい。図書館で借りた好きな本を思いっきり読みたい。新しい語学に挑戦したい。

そのためにはつましい生活でいいし、ハイヒールを一生、はかなくてもいい。スタバのコーヒーが飲めなくてもいい。

欲望とは不思議なものだ。夏は冬にあこがれて、冬は夏に帰りたくなる。どちらかを選べば、捨てた方の生活の魅力は必ず、いっそう、大きく感じられるのだ。

優先順位はその時々で変わり、その優先順位すら、「本当にそれが優先なのか?」と心に問い詰めれば、それが本当にそうなのか、分からなくなってくる。

分かっていることは、人生の時間は有限で、全てを得ることは出来ないということだ。決めかねて考えているうちに、おのずと時間は過ぎ、選択しないことそのものが一種の選択になっていく。そして、あったはずの選択肢はいつかなくなり、選んでしまった方が自分の人生そのものとなっていく。

「日経新聞を読んでスタバのコーヒーを飲む」のが好きだった女性はリストラされたと聞いた。彼女はその後も金融の仕事を続けているだろうか?

さまざまな女性の、さまざまな選択を知り、それについて互いに語り合いたい気がする。

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です