他人を幸せにする人

今朝の日経新聞の文化欄に、故神谷美恵子さんとハンセン病患者との関りについて載っていた。筆者の回想では、神谷さんは「一緒に話していると幸せな気分になる人だった」という。

http://tairyudo.com/tukan6cul/tukan6498.htm

一緒に話していて幸せになる人--というのは最高の褒め言葉だと思う。

人間は不思議だ。話をしていてなんとも楽しい気分になる人と、逆に話をするとなぜか気分が悪くなって、ぐったり疲れる人がいる。それは、関係の親しさ、国籍、性別、年齢を問わない。世の中には、エネルギーを与える人と、エネルギーを吸い取る人が確かにいるのだと思う。

一般に、赤ちゃんや無邪気な子ども、溌剌とした若々しい男女が発する清新なエネルギーは周囲を明るくし、死にそうな病人や体調が悪い人からは暗い気が漂う。加齢とともに意地悪に、暗く、弱々しくなる人もいる。だが逆に徐々に人格を磨き上げて、世の一隅を照らす神様のような美しい老人に転じる人がいることもまた事実である。

エネルギッシュで笑顔に溢れていれば、人に幸せな気分を与えるかというと必ずしもそうとは限らない。殆ど話をせず、地味に人の話を聞く一方の人。なのに、なぜか奥ゆかしい魅力に溢れていて、ぜひ、もう一度会いたいと思うような人。

そうした素晴らしい人は意外なところにいるものだ。例えば、私が2年前、検診で初めて行った広尾の診療所の受付の女性。そのあまりに優しく人間的な魅力に、その初対面の人とずっと話していたいと思った。彼女の顔と声を2年後の今も覚えている。

その反面、できれば二度と会いたくないと思うような人もいる。木で鼻をくくったような話し方をする人。他人を見下し、相手を貶める言葉を平気で吐いて傷つける人。退屈な人、ネガティブな人、冷たい人、自我の強い人、相手を不安な気持ちにする人。

「一緒にいて楽しい人」としてすぐ思い浮かぶのは、ダライ・ラマ法王だ。お話しの内容はさることながら、全身から漂うほがらかで安らかなオーラのおかげで同じ空間にいるだけで不安が吹き飛ぶ感じがする。おそらく、神谷美恵子さんにもそうしたオーラが漂っていたのだろう。

ダライ・ラマ法王と神谷美恵子さんに共通するのは、2人とも大変な学識者でありインテリであると同時に、「人格が陶冶された良い人」だということだ。仏教の門外漢に話をするとき以外のダライ・ラマ法王のお話は極めて難解だ。そして、神谷美恵子さんはマルクス・アウレリウスの「自省録」をラテン語から日本語に翻訳した人で、その日記からも分かるように彼女は若い頃から哲学的なテーマについて思い悩んでいる。あんなに小難しいことを悩んでいた人が、『他人を幸せにする人だった』と回想されるのは意外でもある。ダライ・ラマ法王も彼女も知行合一。学問を通じて学んだことを確実に血肉にして、それを良い人格に転化させることに使ったのである。

現代社会では、学識や教養、哲学の追求とブラッシュアップされた人格は必ずしも一致しない。というかむしろその真逆が多い。高学歴者、そして学識を積んだ大学教授や僧侶、研究者や芸術家の中には、その学識は認められながらも、人格には問題が多く、他人を幸せにしない人が多い。逆に、教養など全くない無学な人や貧しい人の中に、神様のように良い人がいたりする。

まあ、他人を幸せにすることを目指すのは、さすがにおこがましすぎるかもしれない。周囲の明るいオーラの人々の薫陶を受けながら、せめて一緒にいる人をイヤな気分にさせない、イライラや自尊心の肥大をコントロールする、もう少しだけ丸い人格になる。。。くらいが今の私には相応しい目標かも。

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