リークアンユーの北京官語を話そう!

30年前、私は「北京官語を話そう(スピークマンダリン)キャンペーン」を始めました(1979年、当時首相だったリークアンユーはシンガポールの中華系国民に北京官語を話すよう奨励し、「北京官語促進委員会」を発足させた)。シンガポールの中国系の学生は学校で北京官語を学ぶものの、残念なことに、当時は友人同士や家庭では出身地方の方言が話されていました。1960年代や70年代のシンガポールの中国語のテレビ番組のインタビューに登場する学生や労働者の北京官語はいかにもたどたどしく聞こえました。あまり使わない言葉だったからです。中華系シンガポール人にとって、北京官語は出身地方を問わない共通語であるべきでした。もし国民が話す言葉を政府が放置していたら、今も中華系シンガポール人は、福建語と潮州語が混ざったおかしな言葉を話し続けていたに違いありません。

 

北京官語を有効に広めるため、シンガポール政府は1979年にテレビとラジオの全ての方言番組を打ち切らせました。私自身、なるべく多くの中国系の有権者に通じる言葉で話したいと思い、1960年代と70年代は福健語でスピーチをしていたのですが、これは悪い前例になってしまいました。今から30年前の1979年、私は福建語を話すのを止めて北京官語に切り替えました。もしそうしていなかったら今頃、中華系シンガポール人のコミュニケーション言語は北京官語でなく福建語と潮州語になっていたと思います。

 

言葉の価値は、国内にとどまらず、より広い世界レベルで見たときに便利かどうかで決まります。福建語、あるいは広東語を話せば、福建省と台湾に住む6,000万人、あるいは広東省と香港に住む1億人と話ができるかもしれません。でも、北京官語を話せば中国全土の13億人の中国人と話が出来るようになります。今や、華僑、そして外国人は中国の方言でなく北京官語を学ぶようになっています。中国は、500校の孔子学院を世界中に設立し、そこで北京官語を教えています。

 

母語である方言に愛着があるのは分かります。でも世の趨勢は明らかです。北京官語が私たちの母語となるのです。

 

シンガポール人にとって英語は経済活動の鍵となる言葉です。英語は、それを母国語としない全ての人にとって第一外国語です。多国籍企業の共通語は英語です。インターネットの情報も多くが英語です。中華人民共和国も英語教育に注力しています。中国にとって北京官語を話すのは13億人で十分なのです。英語を話せば、英語圏の社会や先進国にアクセスしやすくなります。こうしたなか、シンガポール人は中国に付加価値をもたらす能力があります。 もしリム・サウフン(シンガポールの広告デザイナー。2008年の北京オリンピックでコンサルタントを務めた)さんが北京官語を上手に操るだけだったら、中国で付加価値をもたらす仕事はできなかったでしょう。北京官語と英語の両方を自在に読み書きできたからこそ広告業界で大活躍できたのです。2008年夏の北京オリンピックで、リムさんは、ツァン・イーモウ(張芸謀)のチームの一員として開会式をドラマチックに盛り上げるのに貴重な貢献をしました。それができたのは、言葉のおかげなのです。

 

言葉をいつでも使えるようにしておくためには、頻繁に読み書きしなければなりません。特定の言葉を使えば使うほど、それ以外の言語を使う機会はなくなります。だから、習得する言葉数が多ければ多いほど、全ての言葉の力を高く保つには苦労が伴います。私はこれまで、英語、マレー語、ラテン語、日本語、北京官語、福建語の6つの言葉を学び、使ってきました。英語が私の第一言語です。福建語は錆び付いてしまい、北京語は上達しました。日本語とラテン語は完全に忘れてしまいました。マレー語では事前に準備しないと流暢なスピーチは出来なくなりました。これが、「言語喪失」と呼ばれるものです。

 

新しくできた国には、さまざまな人が住んでおり、多様な言語や方言が話されているものです。それを一つのまとまった国にしようと思えば国民のための共通語が必要で、それで初めて、国民と政府がやり取りしたり、国民同士で話し合ったりできるようになります。インドネシアは17,000の島々で数百の言語と方言が話されています。1949年に独立したインドネシアでは、「バハサ・インドネシア」が共通語として学校で教えられ、話されるようになりました。中学、高校、そして大学では地域言語や方言は使われず、バハサだけで授業が行われます。今日、バハサはインドネシア全域の官庁、ビジネスの共通語となっています。

 

それでも、もし北京官語を共通語にしていたなら、多様な民族で構成されたシンガポールの国民が一つにまとまることはなかったでしょう。そうしていたら、国民の25%を占める非中華系の人々が不利になり、シンガポールはスリランカのように紛争が絶えない国になっていたでしょう。スリランカでは多数派のシンハリ人の言葉のシンハリ語が公用語で、タミール語を話す人たちは隅に追いやられています。私たちが英語を国の共通語としたのは正しかったと思います。また、シンガポールでは、母語の教育も維持されました。1959年、人民行動党が政権の座に就いたとき、私も同僚も、中国が世界に開かれた経済大国となる日が来ることを予見していました。中国人の共通語は北京で話されている言葉であり、方言ではありませんでした。シンガポールが高い経済成長を遂げることができたのは英語を共通語としたおかげです。だから、中国経済が成長している今、学生も親も、中国語は難しい、漢字を覚えるのは大変だ、発音が大変だ、などと言わなくなりました。中国では全ての学校で北京官語が教えられていますから、昔、方言が使われていた地域でも北京官語が使われるようになってきています。北京官語が海外華僑の共通語となる日も近いでしょう。

 

中国がシンガポールと協力したいと思うのは、シンガポールが英語を通じ欧米社会とつながっているからです。英語が上手なだけでなく、中華人民共和国の人々とさまざまなトピックスを語り合えるくらいシンガポール人は北京官語も得意なのです。

 

「北京官語を話そうキャンペーン」と、二ヶ国語教育政策のおかげで、シンガポールの学校に通う若者は、徐々に仲間うちでも北京官語を使うようになり、英語でなく北京官語のテレビ番組を見るようになっています。

 

OレベルとかAレベル(訳注:Oレベルはシンガポールの中学5年生が全員受ける試験。Aレベルは大学などの高等教育への進学を目指す試験)に合格しただけのシンガポールの若者から、政府が北京官語を必修としたことに感謝するEメールを沢山送られてきます。シンガポールの教育で基礎を学び、中国で数ヶ月も過ごせば、語彙が増え、流暢に北京官語を話せるようになるのです。シンガポール・プレス・ホールディングスは、「我報(マイ・ペーパー)」という、英中二ヶ国語の無料の日刊誌を発行しています。この雑誌には、難しい英語や中国語の単語への解説がついています。 「我報」は25万部発行されており、50万人が読んでいます。帰宅途中に電車やバスに乗ってこれを読めば、漢字を思い出して知識をリフレッシュできます。

学校の試験では、昔のように摹写(暗記して書くこと)や、転写(ヒアリングして書くこと)ばかりやらせたりはしません。それらは実生活では役立たないからです。今はコンピューターがあるから、アルファベットでピンインを入力すれば漢字が出てきます。2007年からシンガポールでは国家試験にデジタル辞書の持ち込みを認めています。

北京官語を話すコミュニティを持ち、中国語の新聞、雑誌、本、テレビ番組があるシンガポールには、国としての優位性があります。シンガポールは、中国人と交渉できるだけの語学力と高度の文化理解力をもった大卒が毎年300人ほど必要です。中国からは移民が来星しており、シンガポールの永住権を取る人たちも増えています。こうした移民はシンガポール人の中国語能力の向上への助けとなるでしょう。

 

あらゆる分野で英語はシンガポールの主要言語です。シンガポールの学生の大半は、実務レベルの英語力をさしたる努力なしに獲得できるでしょう。だが、親が子供に家で英語で話しかけていたら、北京官語の習得が難しくなります。アメリカで生まれた華僑の研究によれば、 華僑二世が学校で中国語を学ぼうとしたとき、もし家で使う言葉が英語なら、中国語をマスターするのは、アメリカの白人が中国語をマスターするのと同じくらい難しいそうです。ところが両親二人とも北京官語を話していれば、習得はずっと容易になると言います。だから、出来れば両親は子供に北京官語で話しかけるのが良いでしょう。両親のどちらかが北京官語で話し、もう一方が英語で話しかけたとしたら、子供は大人になったとき、北京官語より英語で話すようになっているでしょう。

 

英語から中国語に、中国語から英語に翻訳してくれるだけでなく、発音も教えてくれる電子辞書のおかげで、私が1955年に32歳で習い始めたころと比べると、中国語の習得はずっと簡単で便利になっているのです。

 

2009年3月17日、シンガポール国立大学にて

スピーク・マンダリン・キャンペーン30周年記念スピーチ

 

 

 

 

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest