リークアンユーのアンチエイジング

2010年のリークアンユーのスピーチです(以下原文)。リークアンユーは言わずと知れたシンガポールの建国の父。このスピーチのとき、87歳。そして、今年9月に元気に90歳を迎えました。感銘したので、訳してみました。

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老化について、そして高齢化社会について、何かお役に立てるお話しができればと思います。あるいは、皆さんは私より詳しいかもしれません。老化に関する情報は、マスメディアや、インターネットや本に溢れていますから。ですから今日は、個人的な経験をお話しし、自分の老化に対する私の対応方法をお伝えしたいと思います。

思い返せば、これまでに数多くの肉体的、精神的な転機がありました。若いときは健康は天からの授かりもので、自分はきっといつまでも健康だろうと考えていました。

1957年、34歳のとき、私は選挙戦を戦っていました。当時はタバコとビールが大好きでした。人民行動党が議会選挙で勝利したキャンペーンの後、ビクトリア・メモリアル・ホールで有権者に感謝のスピーチをしようとしていました。ところが声が出ませんでした。タバコを吸い過ぎたのです。吸い過ぎに気をつけて10本入りの小さな箱から吸っていたのですが、演壇の後ろに座って、スピーチの前に観衆のムードを掴んでおこうと様子を見ている間にあっという間に全部吸ってしまいました。

その晩、3本のスピーチをこなしました。一晩に3本のスピーチ、30本のタバコ。そしてスピーチ後に飲んだ大量のビールのせいで、完全に声が出なくなってしまいました。それなのに、スピーチの後に今度はサラワク州のクチンで裁判に出廷しなければなりませんでした(訳注:当時のリークアンユーの職業は弁護士)。クチン行きの飛行機に乗ったときはひどい気分でした。そのとき、もし政治家として、弁護士として、これからまともにやっていこうと思えば、声を大事にしなければならないし習慣を変える必要がある、と思い知りました。

それで、禁煙しました。ニコチン中毒になっていたから止めるのは辛かったです。朝はタバコの夢で目が覚め、夜には禁煙に失敗する悪夢を見ました。

しかし、タバコを続けたら仕事が出来なくなると考えてきっぱり止めました。当時は喉頭・食道・肺などのがんの知識はまだなく、タバコにはさまざまな害があることが明らかになってきたのはその後のことです。不思議なことに禁煙したら、今度はひどいタバコアレルギーになりました。大臣たちに閣僚室でタバコを吸わないようにと頼んだほどです。もし、皆さんの中にタバコを吸いたい方がおられたら、どうぞ外で吸って下さい。私、アレルギーですから(笑)。

ラジャラトラム副首相(訳注:シンガポールの著名な政治家。リークアンユーの右腕だった)の家でロンドン・タイムズなどの外国人特派員と話しているところを写真に撮られたことがあります。当時、私のお腹はこんなビール腹でした(と、両手をお腹の上に出す)。このままではいけない、と思いました。それで、ゴルフをもっと頻繁にやろうと思い、練習場で何百本とボールを打ちました。それでもお腹はへっこみませんでした。ビール腹を平らにする方法は一つだけ。食べる量を減らし、カロリー消費を増やさないといけません。

もう一つの転機は1976年の総選挙が終わったときでした。疲労困憊していた私は、首相官邸の芝生に寝転がって深呼吸していました。

当時、大学を卒業し、医者になりたてだった娘が「何をしてるの?」と尋ねました。「酸素を沢山、吸おうとしてるんだよ」と答えると、「ゴルフを止めなさい。走ったり、エアロビクスしなさい」と言われました。娘からアメリカでとても有名な話題の本を渡されました。そこには水泳、ジョギング、サイクリングなどの有酸素運動が解説されていました。

私は半信半疑で眺めていました。走ろうという気にはなりませんでした。ゴルフがしたかったのです。それで、「まあ、試してみるか」と、首相官邸の9ホールのゴルフ場で一人でプレーするとき、ショットとショットの間を早足で歩くようにしました。そのうち、早足ではなく、走るようにしました。すると体調が良くなったのです。しばらくして私は言いました――「よし、ゴルフが終わったら走ろう」。それから数年して、私はとうとうこう言うようになったのです――「ゴルフは時間を食いすぎる。走るのには15分しかかからない。ゴルフは止めて走ろう」。

加齢において大切になことは、自分の状態を知ることです。今は知ろうと思えば情報はいくらでもあります。でも、私が若い頃はそうした情報は巷にありませんでしたから、友人や医者に教えてもらうしかありませんでした。

ある日私は、最近、動作が鈍くなっているようだ、と主治医に言いました。そのとき医者がくれた情報は、これまで得たもののうち、一番役に立つものでした。彼は医学全書を私に見せて、「加齢」のページを開けました。それを読むといろいろなことが分かりました。難しい専門用語だらけでしたが、ざっと読めば概ね重要なところは理解できました。

人間は成長し、2025歳を過ぎると肉体的には下り坂となります。精神的にも一定年齢までは上昇を続けられるものの、いつまでも上れるわけではありません。数学者に聞いてみると、最高のアウトプットが可能だったのは、精神エネルギーが旺盛で、ニューロンが大量の失われる前の20代と30代の時期だったと言います。

だから、加齢についての知識を得たら、持てるものを最大化できるよう、自分自身の予定表を作るというのは、もはや常識です。私は84歳とか85歳まで生きようと計画したことはありません!そうは考えませんでした。ただ、「たしか、母は74歳で死んで、死因は心臓麻痺だった父は94歳で死んだ」と考えました。

私は父の人生を見てきました。長い人生を存分に生きた人でした。長寿の家系だったということもあります。それに加えて、毎日泳いでいましたし、右へ左へと飛び回っていました。父は、(米石油会社の)シェルで給油施設の管理の仕事をしていました。

シェルを退職すると、父はセールスマンになりました。よく、「ねえ。君のお父さんはBPデシルバ(訳注:シンガポールの有名な宝石店)で時計を売っているよ」と人に言われたものです。当時父は私の家族と同居していましたが、いつも忙しく営業活動してました。彼は、人に会い、時計を売り、さまざまな半貴金属を売買して、古銭の流通にも関わっていました。退職後、ずっとそうやってきたのですが、87歳か88歳のとき、転んで寝室から食堂までの階段を落ち、腕を怪我して3ヶ月寝たきりになってしまいました。

それからは水泳ができなくなり、車椅子生活がはじまりました。車椅子だと、階段がある私の家での生活は難しくなり、医者だった弟の住む平屋に移ることになりました。父はそこで94歳まで生きました。最期の方は痴呆が徐々に進みました。

というわけで、計算してみれば、今、私は74歳と94歳の中間を生きていることになります。母が死んだ年と父が死んだ年のちょうど中間点あたりでしょうか?だが、ここまで生きられなかった可能性もありました。実は、1996年、73歳のとき、私は自転車に乗っている最中に首が締め付けられるような痛みを感じました。今日は止めておこうと思い自転車を降りました。翌日、また自転車に乗って5分くらいすると、さらに強い収縮感を首に感じました。それで、これはもしかしたら深刻かもしれない、頸動脈に問題がある、と思い、主治医に電話しました。医者が翌日来いと言うので行き、診察が終わると医者は、「明日、血管造影図を撮るから、もう一度来て欲しい」と言いました。

「何のことですか?」と聞くと、「血管に造影剤を入れて、頚動脈が詰まっていないかどうか検査するのです」と教えてくれました。病院を出て帰宅しようとすると、心臓外科医をしている顔見知りの議員にたまたま出食わしました。彼が事情を聞くので、自分の状況を説明しました。すると、彼はこう言ったのです――「帰らないですぐ入院してください。そうやって家に戻り、二度と帰ってこなかった患者が沢山います。入院しなさい。心臓モニターをつけて様子を見ましょう。もし緊急事態が起きたらすぐ、手術室に搬送します。家に帰ったらモニターがないから、もしかしたら二度と戻ってこられなくなるかもしれませんよ」。

それで、私は入院することにしました。造影剤を入れて調べると、たしかに左側の頚動脈が詰まっていました。致命的ではないものの、かなり大きな血栓でした。だから私は幸運だったのです。二週間後、散歩していると、再び、首が締まる感覚がありました。また始まった。血管が詰まったのです。すると、医者は今度は、「ステント(人体の血管、気管、食道などの狭窄部を内部から広げる管状の医療機器)を付けましょう」、と言いました。

当時、シンガポールではステント装着の技術が導入されたばかりでした。だから、私の手術は、当時あまり前例がないものでした。幸い、アメリカでステントを発明した人物が、サンノゼか、ラホーラかどこかからステントの売り込みのために来星していました。だから、私の主治医はその人物を捕まえて、手術を監督するようお願いしたのです。そのアメリカ人はステントを装着せよ、と言い、主治医は彼の目前で手術をしました。それで一丁上がりです。当時はまだ、ステントに免疫抑制剤や抗がん剤をコーティングすることで、それが詰まって再狭窄を起こさないようにする技術は開発されていませんでした。

このように、私はさまざま段階で己を知り、老化に関する知識を蓄積してきました。その結果、「ああ、これ以上やると危険だから止めとこう」と言えるようになりました。脂肪の摂取を減らし、食生活を変え、ボストンのマサチューセッツ総合病院の専門家に会いに行きました。「スタチンを摂るように」と医者が言うから、私はスタチンとは何かと尋ねますと、それはコレステロール値を下げる薬だと教えてくれました。だが、シンガポールの主治医たちは、あなたのコレステロール値は正常だからスタチンは必要ない、と言いました。2年後、血液検査でコレステロール値についてのより明確なデータが出てくると、今度は主治医たちも、スタチンを摂れ、と言うようになりました。

もし、当時、ステント技術がなくて、自転車を漕いでおかしいと感じたときも放置していたとしたら、私は母と同じように74歳で逝っていたかもしれません。だから、最初のハードルは越えました。次のハードルは、父が転んだ年、87歳です。私は、自分が急に後ろを振り返るとバランスを崩して倒れそうになることに気が付いてから、急に動かないよう、用心するようになりました。神経学者である娘は私を国立神経科学研究所に連れて行き、体中に電極を装着して神経伝導速度検査を受けさせました。

すると、足と脳のあいだのメッセージの伝達速度が遅くなっていることが分かりました。だから、私は健康維持のために、泳いだり、自転車に乗ったり、出来る限りのことをしています。それでも、神経の伝達が悪くなり、だんだん鈍くなっていくのを止めることはできません。だから、何でもゆっくりやるようにしています。

階段を上るのは大丈夫ですが、降りるときは万一を考えて手すりか何かにつかまるようにしています。進行する老化に常に対応していく必要があるのです。

だが、私が人生で学んだ教訓のうち、一番大切なものを挙げるとすれば、人と会わなくてはダメだ、というものです。社会的な動物である人間には刺激が必要です。人に会って世の中のことを知ろうとしなければなりません。

私は旅行があまり好きではありませんが、時差ぼけにもめげず頻繁に旅行しています。旅行をすると、とても面白い人々に会えますし、シンガポール投資公社の会長としての仕事にも役立ちます。私は複数の銀行の社外取締役をしていますし、金融機関、石油会社などの国際諮問委員もしています。旅先の人たちと会うことで、今、世界で何が起きているのかを知ることができ、世界は1ヶ月前、あるいは1年前と何がどう違うのかを理解できるのです。

私はインドや中国に出かけます。こうした刺激のおかげで私は今日の世界に生きることができます。2030年前、現役で今より忙しかったとき、私はグローバルなスケールで生きてはいませんでした。だから、私は妻に言うのです。寝坊をしている彼女に「構わないよ、12時まで寝ておいで、先に行くから」と。

私が読んだ医学大全の最終章は気が滅入るものでした――年を取ると、出不精になり、さまざまな物事から退却し、終いには、馴染みの寝室と、昔の写真と家具だけが持ち物となり、自分の世界となる、というものでした。病院に入院しなければならなくなったあなたに、病室という異次元の世界で途方に暮れないよう、病室を自分の寝室のように感じられるよう、馴染みの写真を何枚か持っていらっしゃい、と医者はアドバイスするようになります。

私は、出来るだけ長きにわたり、自分の生きる世界がこのような狭い空間に閉ざされることのないよう、全力を尽くすつもりです。刺激があり、世界中の人々と絶えず交渉を持つからこそ、この世に何が起きているかを知り、変容する世界に適応するために自分には何ができるのかを考え続けられるのです。

言葉を変えれば、人生への好奇心を失ってはなりません。55歳で引退し、あとは本を読み、ゴルフをして、ワインを飲めばいい、と考えるあなたは終わっています。引退して単調な隠居生活を行う人や囚人は、おしなべて早死にすると統計も示しています。

今は、さまざまな医学の発見、新しい治療法、新薬などが社会問題となる時代です。多くの人が長い人生を生きることになるでしょう。

私に言わせれば、62歳になり退職年齢になったら、もう老いぼれていて働けない、働く必要もないから、どこにも行かず人生をゆっくり楽しもう、などと考えているあなたは人生最大の過ちを犯しています。世間から身を引き1ヶ月たち、2ヶ月たち、旅行に行ってもやることはなく、人生に目的もなくなったら、人間の成長は終わり、劣化がはじまります。

人間には挑戦が必要です。好奇心をもち続け、挑戦しなさい。それが、シンガポール人に、そして世界の人々に対する私のアドバイスです。もし、世界に対する関心を失い、世界の方からも関心を持たれなくなったら、あなたは、あらゆる刺激から切り離された真っ暗な地下牢に永遠に幽閉されることになるのです。それは何よりも辛い罰であり、それに勝る拷問はありません。

だから、シンガポール人は62歳を引退に相応しい年齢と考えていると知った私はこう言いたくなります。「あなたは早死にしたいのですか?明日の朝焼けや夕焼けが見たいのなら、理由を見つけなくちゃいけない。生き続けるためには刺激が必要だ….」。皆さん、目的に導かれる人生を行き、良い最期を迎えようではありませんか。

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