モノとヒト

20代の時には、40代になったら上質の暮らしがしたいと思った。有元葉子さんや門倉タニアさんや桐島かれんさんが提案するような暮らし。たとえば、古材を使った家具、エストニアのリネンや、ふかふかのホテル仕様のタオル。柳宗理さんのキッチンアイテムや、ル・クルーゼとストウブや、北欧のデザイナー家具に囲まれた生活。バスルームはホテル仕様。洋服はマーガレットハウエルでまとめて。そんなイメージを抱きながら徐々にお気に入りのアイテムや雑誌の切り抜きを集めてきた。

こんなイメージの生活

こんなイメージの生活

だが、なかなか私の暮らしは上質にならない。

なぜか。

なぜなら、狭いマンション暮らしなのに、昔、間に合わせで買ったり、もらったりしたジャンクな品々予想外に長持ちだから!

学生時代に親からもらった中元の柄物のタオル。昔の結婚式でもらった引き出物。町内会のてぬぐい。マラソン大会でもらったTシャツ。シンガポールのダイソーで買った100円のプラスチックの収納道具。イケアの歯ブラシ入れ。みんな、みんな、なんて丈夫なのだろう。使い捨てだと思ったユニクロの下着ですら、なかなか捨てられるほどには使い尽くせない。

多分、有元葉子さんや桐島かれんさんだったら、こうした二級なモノたちは、迷いなく、バザーやゴミ箱行きなんだろう。さすがの私も、銀行でもらうカレンダーなどは即ゴミ箱だ。

でも、ライフスタイルで生計を立てているわけでもない私は、さすがに実直に機能を果たし続けているモノを、素材やデザインや色が気に入らないからというだけでは処分できない。かくして、ちょっと疎ましいけど捨てられない腐れ縁のモノたちに囲まれた生活が続く。

とうに人生の折り返し地点を過ぎた今、ここらで全取替して美しいモノだけに囲まれる生活に切り替えたい。そういうリセット願望がすごく強くなったこともある。

ところが最近、風向きが変わってきた。残りの人生30年、モノに関しては、ありあわせのつぎはぎでいいんじゃないかという気分になってきたのだ。

そんな気分になったのは、この半年、家探しでいろいろな中古物件を見てきたせいだ。

私の好みは「味のある古屋付きの土地」。イメージは、映画「ツィゴイネルワイゼン」に出てくるような戦前の日本家屋だ。

しっとりした昔の鎌倉の風情。

しっとりした昔の鎌倉の風情に憧れ。

だが、実際に不動産屋に古屋といって紹介された物件の多くは築30〜50年の住宅だった。高度成長やバブルの時代の家だ。そもそも戦前の日本家屋などもはや首都圏にはほとんどない。今どきの日本では1970年代の家でも十分に「レトロ」なのだった。

それらの「古屋」は、70代から80代の人々の手による、高度成長期とバブル期の個性とこだわりに溢れる注文住宅だった。玄関の吹き抜けや、モダンリビング。二層式のシンク。竹天井の茶室、応接間の出窓、檜の風呂。住む人を失ったそれらのモノは、埃をかぶって打ち捨てられていた。

これらの家の「こだわり」の大半は、2016年を生きる私の目にはイケてなく感じられた。日本人の生活様式が急速に欧米化し、流行の工法や素材がどんどん変わった過渡期の時代の家だからだろうか。めまぐるしく変わる供給者側が仕掛ける流行に振り回されて、普遍性や様式を踏まえないで作られた家だからだろうか。それらの家から受ける感覚は、70年代や80年代のファッション誌や料理本を見て感じる、どうしようもない古臭さの感覚に似ていた。

もちろん、これらの家はまだ十分に住める。ユニクロや100円ショップの品々と同じで、今どきのモノは何でも丈夫なのだ。

なのに、これらの住宅はどれも壊される運命だった。断熱が悪く、水回りは古く、核家族用に小さな部屋に仕切られた高度成長時代の家に住みたいという人は少ない。

モノは、朽ち果てて、使えなくなって価値が失われるのではない。ヒトの好みが変わることで価値がなくなるのだ、と思った。モノは変わらないのに、変わるのはヒトの心。モノの価値を破壊し、資源の無駄遣いをしているのは、たかが30年程度でがらりと変わってしまう私たちの生活、感覚や嗜好、価値観や美意識そのものなのだった。

住宅のストック化を目指すべく、ハウスメーカーは100年住宅を作ろうとしている。でも、今の感覚で作った家は、たとえ100年後にしゃんとしていても、無価値になることは1970年代や80年代の家を見れば明らかだ。とりわけ、人々の嗜好がものすごい勢いで変わり、町並みや建築様式がいつまでも確立されない日本のような国では。。。。

エストニアのリネン、ル・クルーゼ、アイランド・キッチン。私が今、「お洒落」と感じているものは、恐らく20年後にはお洒落ではない。私のモノへのこだわりは、私が死んでしまえば、誰も関心を払わないし、誰の人生にも影響を及ぼさない。だとすれば、そんな儚い美意識や個性にこだわることにどれほどの意味があるのだろうか。壊される運命の中古物件を見ながら、つくづくそう思った。

さすがにもう100円ショップで食器を買うのは止めよう。多分、今買ったら死ぬまで朽ちないだろうから。でも、自分の美意識を過信して、今まだ使えるものを捨ててまで生活をリセットするのは止めよう。断捨離すべきはモノではなくて、今ここにはない「上質」や「自分らしさ」を求めてさまよう不安定な心なのだから。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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