ポテパサール

カトマンズのインドラチョークのビーズのお店を見に行くのが旅の目的だった。ビーズのお店 をネパール語で「ポテパサール」、と言う。

カトマンズの街は、これまで見たどの街とも違った。

「中世の町並みがそのまま残っている」ということは、この本で予習していたけれど、「人々の生活も中世のまま」という点が、フィレンツェなどのヨーロッパの都市と違った。

狭く、舗装されていない道路から土ぼこりが舞っている。建物の窓には板ガラスが入っておらず、肉屋の店先には殺されたばかりの皮を剥がれたヤギが丸ごと転がっており、地べたで女たちが野菜を売っていて。ゴミだらけで、騒音だらけで、そしてお香と排気ガスの匂いが立ちこめていて。

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まるでインディジョーンズになった気分だ。

インドラチョークはタメルのホテルから市の中心のダルバール広場に行く途中の長い商店街。野菜売りの女たちが並ぶエリア、金物屋が並ぶエリア、仕立て屋が並ぶエリア…数十メートル歩くごとに商材エリアが変わる。人の流れと前後左右から突進してくるオートバイに挟まれて、立ち止まることすら難しい!アメ横の喧噪を10倍にした感じだ。

ポテパサールは、ダルバール広場近くの少し奥まった小さな一角にあった。

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こうした小さな店が10件程度、軒を並べている。店の主人は男ばかり。皆、イスラム教徒である模様。

商品はグリーンとレッドのシードビーズが圧倒的に多く、イエローとゴールドがそれに次ぐ。地元のヒンズー教徒の女性の好みの色だ。

地元の人たちは、ここでビーズを買って、すぐ隣で仕事をしているビーズ職人に自分好みのアクセサリーを作ってもらう。ペンダントヘッド、クラスプなどの部品は近所の他の店で調達する。

路上であぐらをかいて、足の指に紐をはさんでネックレス作りをする男たちはいくら見ていても飽きなかった。使う道具は木綿の糸とワイヤー、糸を切るためのライターくらい。つぶし玉も、まるカンも、ペンチも使わず、ひたすら糸をパーツに結びつけ、余った糸をライターで焼いて切り、という作業を繰り返す。

依頼主は職人の隣に座って出来上がるまでじっと作業を見守っている。私も隣で作業を見守っていたのだが、物見高い観光客の目線に依頼主も職人もまるで無関心だ。

作業を一通り見終わった私は、不透明のアイボリー、黒、オレンジなど、自分の好きな色のビーズを選んで買った。特大サイズのストランドが6本で250円。価格は日本の5分の1くらいだろうか。

きっと中国やインドで生産された安いビーズだろうと思って「これはどこのビーズですか?」と尋ねたら、「チェコ」と店主は答えた。貧しい国のこんな路上のささやかな店に先進国のチェコビーズが売っているなんて、と半信半疑だったが、店内に積んであった段ボールには本当に送り主にCzech Republicと書いてあった。

地元女性は、日本の女の子が手芸で作る華奢なビーズとは異質な大振りなビーズネックレスを付ける。幾重ものビーズ•ストランドがそのままネックレスになる。

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カトマンズの500万人の人口の多くを占めるヒンズー教徒の女性が皆、儀式用にこうしたネックレスをオーダーメイドするとしたら、おそらくネパールのビーズの消費量は膨大だ。丸小の小さなビーズは粒が揃っていて、あるいはTOHOやMiyukiといった日本のビーズかもしれない。そう、ネパールは知られざるビーズ輸入大国なのだ!

グリーンとレッドのシードビーズにゴールドのアクセサリーを合わせて身にまとうのはアーリア系のヒンズー教徒たち。その後、ボディナートで沢山見たモンゴロイド系の仏教徒たちは、ターコイズ+コーラル+シルバーのネックレスをしていた。

こんなに貧しい国でアクセサリー文化が栄えているのは不思議な気がする。だが、近代化が遅れている国ほど、美しいもの、カラフルなものが多いというのも事実だ。ヒマラヤ地方の人々にとって、昔から宝石やアクセサリーは蓄積された富の貯蔵手段でもあり、悪しき運命から身を守るためのお守りでもあったのだ。

ポテパサールのような場所は世界にいくつもないだろうし、ここカトマンズでも、恐らく徐々に滅び行く運命にあるのだろう。もっともっと長く人々の様子を見ていたかった。

 

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