フロー体験:書く悦び

前から読みたかったチクセントミハイの「フロー」を年末から短い地下鉄通勤の時間を活用して読み進めている。人間が体験する「フロー=気持ちのいい、幸せな経験」についてあらゆる角度から分析した本なのだが、この秀逸な本のページを毎日、少しずつ捲って読むことそのものが私のフロー体験だ。

Flow (P.S.)

チクセントミハイは、フロー体験を、「エントロピーが増大し、無秩序に陥り易い意識に秩序を与える体験」と定義する。適度の規則性と明確なゴールを持ち、チャレンジ精神を誘う複雑性を持つゲームは心理エネルギーが一定の方向にスムーズに流れ、時間を忘れる幸福な状態に人間を誘う。

そうしたフローにつながる行為としてチクセントミハイが挙げているのは、チェス、スポーツ、セックス、ダンス、宗教儀式、ヨーガ、武術、瞑想、グルメ、音楽鑑賞。そして純粋思考やクロスワードのような言葉遊びだ。フローが余暇のものではなく、生活の糧を得るための仕事そのものがフロー体験なら人生の質は確実に高いものになる。

チクセントミハイは「書く」という行為もまた、単なる情報伝達の手段ではなく、フローにつながる行為だという。書くことによって、ランダムな日常体験に意味を与え、意識に秩序のパターンを与える。こうしたことが心地の良いからこそ、人は日記を書き、歌を詠む。だから、プロの作家やジャーナリストでない人が書く悦びを追求し、自己表現できるブログは素晴らしいツールといえる。

一般に作家や詩人、劇作家という人は鬱症状の強い人やそれ以外の精神の不調を持つ人が多い。これは書くことが精神の不調を誘うせいでない。逆に、もともと、普通の人以上に意識のエントロピーが高い人がフルタイムの物書きになることでかろうじて混乱する心に秩序を与え、世界を創造することで問題ばかりの現実の人生から心を自由に飛躍させることが出来ているといえる。

村上春樹は、よく「僕が思っていた以上にこれは書かれたがっていた物語だったのだ」というような表現をする。その言葉とおり、彼の長編小説には、閉じ込められていた巨大なエネルギーが奔流としてほとばしるようなパワーがあり、読む人の心的エネルギーの流れも良くするような効果がある。

村上春樹のように心的エネルギーの高い人がたとえば、保険会社の大部屋で経理事務や証券営業のような実務的な仕事をしていたら、エントロピーが高まりすぎて発狂していたかもしれない。

かく言う私にとっても、書くという行為は、他人への伝達手段というよりは、日々の生活の中で乱れがちな意識を整理するための貴重なツールだ。

いろいろなことを思い切って書いてみようと思ったのは、昨年、本を出版してからだ。

昨年、上梓した拙著は「初心者に金融英語を分かり易く、金融の概念を網羅的に」というのが出版社の依頼だった。だが、そうした実用書の本旨に沿ってずっとモヤモヤしていたコンセプトを自分自身の言葉を使って秩序を与え、きっちり定義しなおしてアウトプットすることは、予想外に「気持ちいい~」作業だったのだった。あんな真面目で辛気臭い本で信じられない。。。と言う人もいるかもしれない。だが書いている間、私は少なくとも3回くらいは過ぎる時間を完全に忘れるエクスタシーに近い体験をしたのだ。そうした時間を過ごせただけで、私にとってそれは価値のある体験だったといえる。

翻訳をしていても、稀に原文と一体化して「気持ちいい~」に入り込むことがある。だが、気持ち良くなるには書かれた内容が自分の関心の対象であり、学習の悦びがあることが絶対前提だ。そうでなければ翻訳はやはり自分自身の言葉を紡ぐ快感と自由さには叶わず、忍耐のわりには報われない作業になることも多い。

ブログを再開し、経済活動とは無関係に、かなりのエネルギーを注ぐ決心をしたのは、「書いてまとめる悦び」を素直に自分自身のために追求していこうと思ったからだ。それが単なる独りよがりではなく、読者にとっても「読む悦び」につながると良いのだが。。。。

今日も読んでくださってありがとうございます。

千葉の芝山公園の埴輪たち

千葉の芝山公園の埴輪たち

 

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