ネパール:民族と宗教の境界線

ネパールのアクセサリーには、①仏教徒のモンゴロイド系のターコイズとシルバーとコーラル、②ヒンズー教徒のアーリア系のグリーンとレッドのビーズとゴールドがあると前回記事に書いた。

これが仏教系↓

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これがヒンズー教系↓

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でも多分、私の分類はあまりに雑すぎる。というのも、ネパールはネワール族、ブラーマン族、チェトリ族、グルン族、タルー族、チベット族、シェルパ族など民族が多くあり、民族によって言葉も習俗も違う。イスラム教徒もいる。日本の4割程度の山がちな国土に30以上の違う言葉を話す人たちが共存しているからだ。

外国人の私には、「インド人っぽい浅黒い人」、「日本人に似た平べったい顔の人」の2つの顔立ちしか区別が付かない。インドっぽい人はだいたいヒンズー教を信仰しているようだ。平べったい顔の人は数珠を持ってチベット仏教徒っぽい。前者が「インドアーリア語派」で、後者が「チベットビルマ語族」だ。

でもそうした区別は便宜上のものに過ぎない。平べったいモンゴロイド系でも朱を額に塗ってパンジャビスーツを着て道端のガネーシャやシバ神に祈っている人が沢山いた。インド人ぽい人も仏教寺院でマニ車を回していたり、家の中にダライラマ法王の写真を飾っていた。インド系とモンゴロイド系の中間みたいな顔でどちらにも分類できない人も多い。目に色が青い人もいる。ヒマラヤ地方の民族と宗教の境界線は私が思ったよりずっと複雑で重層的で、外に目に見えにくいものだった。

ヒンズー教の神様。シバ神と奥さんのパールバティ女神

ヒンズー教の神様。シバ神と奥さんのパールバティ女神

カトマンズ郊外の仏教の聖地ボディナートに行くと途端にチベットの民族衣装の人が多く見られるようになり、チベット文字の店、タンカや仏具を売る店が並んでいた。チベットサポーターで、チベット文化を知ることが旅の目的の1つだった私にとっては、「やった!やっとチベット文化圏に来た!」と嬉しくなった。が、早速、店に入って「タシデレ(チベット語でこんにちは)」と話しかけると、「ナマステ(ネパール語でこんにちは)」と応酬された。そのチベット家具店の若いイケメンの主人は「チベット族」ではなく「シェルパ族」だった。何もチベタン•グッズを作ったり売ったりしている店がチベット人によって経営されているわけではないのだ。

チベット仏教の聖地、ボディナート

チベット仏教の聖地、ボディナート

ネパールの山岳民族のシェルパは宗教も言語もチベットと似ているという。でも、そのシェルパ族の店主は「シェルパはチベット人と全然、違うよ」と明言した。あるいはアメリカ人から見たら同じように見える韓国人と日本人が本人たちから見たら別物であるくらいの違いがあるのかもしれない。

シェルパ人の店主は、「ボディナートに巡礼に来る人にはいろいろな人がいるよ。顔とか仕草で違いが分かるから、教えてあげる」と言って、道行くカラフルな民族衣装の人々を私と一緒に眺めながら、「あのおばあさんはグルン」「これは…多分、本土から来たチベット人」「あれはブータン人」と教えてくれた。私には違いがまるで分からなくて途方に暮れた。

アメリカなら、黒人、アジア系、白人系、ラテン系などの民族の違いは基本的に顔を見れば一目瞭然なのに。シンガポールでも、マレー系、中国系、インド系の違いは分かりやすい。スリランカですら、シンハリ人とタミール人の違いは文字の違いや女性のサリーの着方の違いなどから分かった。それに対してこのヒマラヤの小国の民族構成は実に複雑。微妙なグラデーションが重なり合い、徐々にズレていくような不思議な坩堝なのだ。違いが分かるようになるには、1年も腰を落ち着けて住み、土地の言葉を理解する必要がありそうだ。

「ネパールの人々は皆、仲良し。違う宗教や習俗を尊重する。他人を対立したり迫害したりしない」とタメル街のイスラム教徒の宝石店主は胸を張っていた。それは恐らく本当なのだろう。誰もが少しずつ違うが、誰もが少数民族で、似たような食物の禁忌の習慣を持ってダルバートやモモを食べている。誰もが信心深く、輪廻天生を信じ、沢山の神々が街角にいる。そして政治の無策のせいで、どの民族も大半の庶民が血縁で結ばれた中世そのままのような生活をしている。ここはまだ国民国家が生まれる前の世界なのだ。

むしろ違いは国と国の間の経済格差から生まれるのかもしれない。1959年のチベット動乱を逃れてネパールに亡命して住み着いたチベット二世の骨董店主は、「今や最大の顧客はチベット本土の裕福なチベット人。今、カトマンズの骨董を買うのは欧米の観光客じゃない。ネパールは人件費が安いから骨董品のコピーが安価に作られている。それを本土のチベット人が中国から買い付けにくるんだ。我々は恩恵を受けている」と言っていた。ネパールにとって中国の経済ブームの影響は極めて大きいようである。

ネパールに行って分かった収穫は、チベットとは私が日本で抽象的に捉えていた一枚岩の定義では括れないものだと分かったことだ。チベット仏教徒は必ずしもチベット人ではない。チベット人は必ずしもチベット語を話さない。その国籍はネパール人だったり、インド人だったり、中国人だったりする。金持ちなチベット人、貧しいチベット人、インテリのチベット人、無学なチベット人がいる。政治的に先鋭なチベット人もいれば、ノンポリなチベット人もいる。その多様さはユダヤ人にも似ている? 民族の境と国境がほぼ完全に一致する日本に住む私たちには想像しにくい多様さだ。

「チベット文化圏」を見たのは、今回、雲南省デチェンに次いで2度め。今回訪問したのはカトマンズだけ。ネパール第二の都市でチベット系住民が多いとされるポカラすら訪れなかった。

ネパールの他の地域、チベット本土、ブータン、バングラデシュ、北インド、南インド、西インド、東インド。まだまだ訪れたいところが沢山ある。多分、訪れれば訪れるほど、謎が深まり、また訪れたくなってしまうんだろう。

 

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