チベット人が教えてくれた3つのこと

チベットの友人が教えてくれたチベットのシンプルな日常の知恵。

1 過去の行いを後悔しない

2 物事を常に1つのアングルではなく、さまざまアングルから見るようにする

3 AとBを選ぶとき迷わない

実にシンプル。この1つ1つを確実に実践し、実践を積み上げれば、確実に人生の質は向上しそうだ。私なりにこの3つの知恵の意味を考えてみた。

1 後悔してはいけない理由 過去はすでに過ぎ去ったものである以上、絶対にやり直しがきかないから。私たちが状況に影響を及ぼせるのは現在と未来だけだから、過去をクヨクヨしても仕方ない。過去に心理的に囚われることの欠点は、それによって目の前にある貴重な時間という資源を十全に生きられなくなってしまうことだ。たとえば、職場の飲み会で意に反して深酒をして人前で恥ずかしい振る舞いをしてしまったとする。その場合、「恥ずかしい」というトラウマにとらわれ続けるのではなく、「私にはその時、深酒しなければならなかったそれなりの理由があった」、「バランスを崩すこともバランスの一部だ!」と開き直るべきだ。開き直り、その事実を受け入れた上で、それを繰り返さない方策を真摯に理性的に考えるべきなのである。それでも心を苛むことを止めない痛烈な悔恨は、ひたすら忘却の訪れを待つしかない。

2 複眼的思考が必要な理由 物事をさまざまな角度で見るということは仏教の本質的教えの1つである。苫米地英人さんが言う「抽象的思考」と近いし、「人間万事塞翁が馬」ということわざにも通じる。特定の価値観や情動に囚われないよう心を訓練することで初めて融通無碍の境地に至るのだと思う。もともと、どんな物事も、さまざまな側面を持ったものなのだが、心の訓練をしていない私たちは、自分の利害や感情、植付けられた価値観によって、「良い」「悪い」「綺麗」「汚い」「上」「下」などのステレオタイプの二元的な判断を下し、そした判断に基づいて優越感に浸ったり、他人を見下したり、嫌悪感や怒りの感情に囚われる。だが、ありのままの現実には様々な側面がある。汚いと思えることもそれほど汚くはないし、良いと思われることも、それほど良いことではない。綺麗と汚いはコインの裏表だったり、物事には隠れた因果関係があたりする。心の覆いを外すと見える景色はまるで違ってくるのである。「でも、そんなことばっかり言っていたら、相対主義に陥って、優柔不断で決断できない人間になっちゃうんじゃないの?」と私が質問すると、チベット人の友人はなんと、「いや何かを決めるときには、逆に深く考えないですぱっと決めちゃえばいいんだよ」と言う。ええっ。。。。

3 何かを決めるとき迷うことが無意味な理由 理由は簡単。将来に係わる選択を過度に逡巡することは、過去を後悔するのと同じで本質的に無意味だからだ。AかBかを選ぶ瞬間、私たちは、所詮その選択がもたらす長期的帰結を明確に見通すことができない。だから、必要以上に深く考えても仕方ない。まず選択して、その後でそれが失敗なら、その時点でより良いと思われる選択をすればいいのだ。

仏教哲学の伝統のせいか、風土と歴史がはぐくんだチベット人の特性なのか? その思考法は意外なほど合理的でドライ。そこには、「過去への悔恨、他人への恨み」といった演歌の世界は存在の余地がなく、「夢は必ず叶う」的な、将来に対する根拠のない楽天主義もない。あるのは、一人一人の人間は自分の心の機能の仕方を意識して、今の目の前にある個人の現実を可能な限り賢明に生きることしかできないという超リアリスティックな認識だ。恐らく、慈悲、思いやり、許し。。。などの倫理は、全て上記の思考トレーニングができてから効力を発する。

先ず隗より始めよ。とりあえず、飲みすぎの二日酔いを後悔しないことと、ランチのメニューを前にして注文を迷わないことから始めよう。

 

 

 

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