チクチク手編みは、多分、高校生の時以来。
下田直子さんの本の素敵なデザインを見ているうちに矢もたても堪らず、アブリルの毛糸を通販で購入して、チクチクを開始した。案の定、楽しくて時間が過ぎるのを忘れる。
実は私はオフィスの仕事でも孤独で単調な手作業が好きなのだ(→ブログでも書いてます)。
目や耳からの刺激を防ぎ、独りになってひたすら手の感覚に集中することで、心から不安が遠ざかって、精神が整う感じがする。一種の瞑想なのだと思う。デジタルの情報処理に疲れた身体が無意識のうちにこうした手作業を求めているようで、和裁、ビーズ細工に刺し子刺繍からカーテン作りまで、20代の時も30代の時も、ふとした拍子に手作りに嵌ってきた。
社会が高度化すると、単調な手作業はどんどん経済活動から追い出されていく。生産性が低いからだ。手作りは人件費と物価が安い地域の人だけにしか残らない。
私が大好きな財務数値の打ち込み作業は、遠いインドの労働者に代替されつつある。
私が作った不細工な手編みのセーターをオークションかフリマで売ったら、時給は100円以下か、あるいは毛糸の原価さえ捻出できないかもしれない。なにしろユニクロでは、はるかに精緻な模様が入ってデザインも優れた商品が3000円足らずで売っているのだ。
消費者としては有難いユニクロ製品も、生産者の立場で見ると、その圧倒的な流通力、開発力と価格競争力に心を挫かれる思いがする。
私がアナリストとしてオフィスで得られる時給をそのまま私のセーター代にチャージしたら、セーターは恐らく30万円くらいになるだろう。
そんなセーター、誰も買わない。
だから先進国では、手作りの品は女子供の片手間の趣味にしかならない。
生産者の立場で、何かを手作りして売って生計を立てて、東京のマンションの家賃を払ったり、子供を大学に入れることは、ほぼ不可能だ。一方、消費者の立場でも、ユニクロのセーターではなく、手作りのセーターを買うことは、贅沢なことになる。
バリやスリランカのように経済が遅れていて貨幣経済が浸透していない社会で当たり前にある「用の美」や、手作り品を作って売る喜びは、日本のような社会では普通の人の手に入りにくい贅沢だ。
自分の編んだ編み物を売って、子供に自転車を買ってやることができたら、私の生活はもっと豊かになるだろうな。。。そんなことを考えながら、秋の夜長をチクチクしている。
立て続けにスミマセン。
編み物はほんとにやり出すと集中してしまいますね。
私も若いころにやってからずっとやめていたのに、数年前に猛烈に編み物をやっていて、そのときは文字通り寝食を忘れて編んでいました。
目がクタクタになりますけど。
若いころとちがうポイントは、高い糸を買うことですかね。
若いころは質より量で、安い糸をお得だと思って買っていたけど、今は少々値の張る糸を買ったほうが、気合いも入るし、できたあとの満足感が高いと思いませんか。
完成写真も見たいです〜。
立て続けにコメントありがとう。
そう、私が使っているのもアブリルの糸なんですが、糸だけで1万円近くしました。
でも、多分、編みあがりのものを1万円で買ってくれる人はいないだろうな~(泣)
完成写真もアップしますね。