ダラムサラ旅行⑤——ライブラリーの仏教講座

決して仏教を学ぶことをメインに据えたわけではなかったのだが、ダラムサラが極めて仏教的な場所だったことから、結果的に今回の旅では仏教についての考察を深めることになった。

R0000320

これまでにも、随分と多くのお葬式でお坊さんの話を聞き、お寺で仏様に手を合わせお祈りもしてきた。ヴィパッサナー瞑想や禅の坐禅に挑戦したこともあれば、日本テラワーダ仏教協会の法話にも行ったことがある。大乗仏教と小乗仏教の違いや、仏教史も勉強してきた。それでも仏教に入信したわけではない。多くの日本人は「哲学」はOKでも「宗教」には何か危険なものを感じる。私もどちらかというと、心理学やモノの考え方としての仏教に親和感を抱いていた。

でも、ダラムサラで、心底から信心深いチベット人たちや、剃髪した欧米人僧侶の実践を身近に見ることで、やはり何といっても仏教とは単なる世俗の知識ではなく、知識と信仰のコンビネーションであり、救済を求める人々の信仰の対象という点では、まぎれもない宗教なのだ。。。と感じた。

ダラムサラでは、チベット亡命政権のライブラリーでゲシェラ(仏教博士)の仏教哲学の講座を聴講した。それは、これまで私が馴染んで来た、日本やフランスの大学やカルチャーセンターの講義とは随分違っていた。

まず、授業に参加する生徒は何より仏法僧に帰依していることが前提である。生徒は、授業は一段高いところに坐ったゲシェの話を地べたに坐って聴くわけだが、生徒は教室に入ると壇上の玉座と仏様のタンカに敬礼の五体倒地。そして、ゲシェラ(先生)が教室に入ってくるとまた一斉に立ち上がって五体倒地。

こうした儀式に違和感を覚える人は授業に参加しにくい。

ゲシェラが座に付かれると、生徒は一斉に文殊菩薩を讃える詩を唱え、仏陀、阿弥陀菩薩、無着、龍樹、文殊菩薩、提婆、月称、寂天、ダライ•ラマ法王が自らにインスピレーションを授けてくれるよう祈祷する。

こうした祈祷は節のついた歌になっているのだが、大人になっても皆で声を合わせて歌を歌う、というのは何となく楽しい。そして歌の形になると素直に(=批判精神を伴わず)仏法が心に入ってくる。

こうした歌が「気持ち悪い」と思う人も授業に参加しにくい。

その後、ゲシェラの講義が始まると、生徒は美しい布の袋からテキストを大切そうにおもむろに取り出す。ちなみに私が聴講した講座のテキストは龍樹の「行王正論」。このテキストの一つ一つの偈にゲシェラが注釈を加えていく。ゲシェラのチベット語の講義には英語の逐語通訳がつく。ちなみに、私が参加した初心者向けは、欧米人が6〜7割程度。その半分が(青目の)僧侶や尼僧であった。

授業中、テキストを床に置く人も、書き込みをする人もいない。仏法の記されたメディアは全て聖なる存在なのだ。その後、生徒はひたすら先生の言葉に耳を傾ける。中には瞑想をするように、ずっと足を組んで目を閉じている人もいる。

1時間弱の講義が終わり、質疑応答セッション。欧米人が中心であるせいか、生徒も恐縮しているばかりではなく積極的に質問する。ゲシェラも丁寧に回答する。15分程度の瞑想の時間があり、最後に教室を出るゲシェラにもう一度敬礼して、1時間半の授業、終わり。

講義の内容は難解(たとえば、matterとformの違いなど)で、正直、2割程度しか理解できなかった。だが不思議と講義が終わった後には、身も心もすっきりと浄化されたような感じを味わった。その気持ち良さを味わいたくて、結局、1週間毎日、聴講した。

心が浄化される感覚は、開始前の五体投地、詠唱、瞑想といった、身体の作用や、先生と生徒が一つとなって仏法を探求する場の雰囲気によって生まれたものだと思う。

講座のワンクールは3ヶ月。生徒の大半はダラムサラに長期滞在する欧米人である。ノーメーク、質素な服装に、質素な食べ物。ここでは金持ちであることは殆ど無意味である。そして教室の中では敬礼の対象だった若い僧侶のゲシェラも、教室を出れば実に明るく気さくな人。

雑音の少ないこのヒマラヤの街で、1年間でも規則正しく、こうした講義に出る生活をすれば、次第に世俗の垢も完全に落ちて、仏教の雰囲気に満たされ、私は別人のように正しく清らかな人間に生まれ変われるかもしれない。

仏教は、批判も含む自由な議論や自分の頭でモノを考えることを否定しない。否定するどころが、それが一番、大切だともダライ•ラマ法王も述べられている。ただし法王がそれを言うのは、盲目的な信仰に偏った人に対してだ。それとは逆に、仏法僧に帰依せず、戒律も守らず、自己啓発のために気に入った本を読み散らかし、ひけらかすための表面的な知識を消費しているばかりといったような人も、やはり本当の意味では仏法を学んでいることにはならないのである。

自らより優れた者の存在を畏敬し、自らを無にして教えを乞うという謙虚な態度。辛抱強い態度。他者への優しさ。ダラムサラの教室の雰囲気を思い出しつつ、せめてこれからは仏教の本を読むときは、ベッドに寝転がるのは止めようと思う。

 

ダラムサラで好きだったのが、ライブラリーの賄い飯。ベジタリアンで優しい味なのだが、栄養のバランスが良くて美味しい。一食120円。

ダラムサラで好きだったのが、ライブラリーの賄い飯。ベジタリアンで優しい味なのだが、栄養のバランスが良い。こういう食事のおかげで身体も浄化される。一食120円。

 

 

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です