ダラムサラ旅行①——貨幣価値について

40歳を過ぎてからアジア各地を旅行するようになった。ヨーロッパやアメリカ旅行と比べたときのアジア旅行の魅力は、なんと言っても「お財布に優しい=日本より貨幣価値が低いこと」だ。

美味しいチキンライスがたった200円。1時間のマッサージが1000円。数年前のシンガポール生活で感じたお財布への優しさの実感は、マレーシアやタイ、スリランカ旅行で、さらに強くなった。

お財布への優しさは確実にその国の好印象につながる。

(当時の)シンガポールで概ね日本の8割、東南アジア諸国で概ね、日本の半分程度の物価。それがインドの田舎やネパールになるとほぼ10分の1に下がる。もちろん、インドでもネパールでも国際資本の豪華ホテルに泊まり、ガイドを雇ってトヨタ車で観光し、欧米スタンダードの食事を食べれば、たちまち先進国並みの出費となるわけだが、たとえば、インドのダラムサラのような田舎になると、もはや、そうした先進国スタンダードはお金を出しても手に入らない。どんなに豪華に食べても朝食が500円を超えることはないし、ホテルが一泊数千円を超えることもない。そもそも浴槽の付いたホテルを見つけることすら難しい。華やかなリゾートドレスを着る場所も意味もないし、高価なお土産もサービスもない。

それでいて、欧米パックパッカーが昔から徘徊するこの街は、wifiが完備していてカフェラテやらピザやら、キャロットケーキやらが小洒落たカフェで安価に食べられる。英語も通じるし、治安も悪くない。ダライラマ法王という世界的な精神的指導者が住んでいて、空気は美味しい。世界中の人々が集い、仏教講座やイベントなど、様々な知的刺激がある。

だから当然というべきか。先進国から来た、多くの旅行者がこの街に超長期滞在している。数ヶ月、あるいは数年、あるいは数十年、あるいは、一生。

10日滞在した私なんて、超短い。

先進国で1ヶ月の生活費がここでは1年分か2年分の生活費になる。本国で中流のフツーの欧米人や日本人は、インドの銀行に預金を全部移せば、金利収入で食べていくか、あるいは一生、貯金を取り崩しながら生活できるらしい。あるいは貯蓄がなくても、半年本国で非正規雇用で働き、倹しい生活をすれば、半年、インドを旅行し続けられる。実際、そのようにしている人の何と多いことか。

お金の価値が違うと、時間の流れも違ってくる。

先進国から来た私たちは、毎日の出費を全く気にせず、ゆっくり仏教の勉強をし、お茶を飲み、世界中のいろいろな人々と話をし、チベットやインドの文化や工芸に触れることが出来る。ヨガも仏教もチベット語も、あらゆる習い事が日本とは比べものにならず安い。長期滞在しても、炊事、掃除、洗濯。あらゆるサービス関連人件費が格安だから、些事から解放された、まるで「ギリシャ市民」のような生活が出来る。そうしたサービスすら外注しなければさらに安く暮らせる。どんなに倹しい生活でも、(そもそも贅沢がないのだから)ここではその倹しさによって自分が他人との比較で惨めな気持ちになることはない。どれだけゆったりしたリズムで生活しても、「Time is money」ではないから、もはやシステムから「脱落」することはない。お財布への優しさに加え、ここには全てを包み込む仏教的優しさと寛容、経済的価値を突き抜けた人々の明朗な心がある。居心地が悪いわけがない。

本国のメインストリームから自発的にドロップアウトした外国人が、そうやってここに魅せられてやってくる。

ダラムサラに集まる理由、モチベーション、状況は、さまざまだが、外国人観光客であればどのような人でも「先進国に生まれ、先進国で教育を受けた」というだけで、現地の人には超えがたい優位性を手にしているのは事実である。そういう外人と日常的に接することで、現地の若者は外国に憧れるようになる。外国人の高潔な人格や優しさや文化的優位性によってではない。彼らを通じて、金があれば自由が手に入ること、外国では働いて得られる貨幣価値が違うということを学ぶ。そして自由に憧れ、経済力を得たいと考える。

ましてや国を失った亡命チベット人であれば、なおさらである。

貨幣価値とはなんと残酷なものか。

お隣の秘境の国ブータンは、一日200ドルを払える金持ち観光客だけに入国を制限していると聞いたことがある。「(伝統的価値を浸食する)バックパッカーなんて要らない」というきっぱりとした方針には当局の強い方針と賢明さを感じる。

ダラムサラは田舎だからのんびりしているが、もちろん、全ての人が余裕のあるゆったりした時間を生きているわけではなかった。

日々の衣食住を満たすにカツカツの賃金でゲストハウスで働く少年たちや、子供をおぶりながら土木建築に汗を流す女性たち。毎日、黙々 と露天でパンを焼き続ける老人。底辺の人たち。物乞い。英語を流暢に話し、ネットを通じて外国の情報に十分に接し、グローバル資本主義の仕組みを理解し、虎視眈々と国外脱出の機会を求め、先進国女性をナンパする現地男性。

貨幣価値の高い 国に生まれ、閑暇に恵まれ、たまたまチベット亡命社会に関心を持って旅をした偶然によって、こうした人と出会う。モノや人々の賃金の安さに最初は驚く。でも次第に慣れて強い通貨の国から来た人間である自分に馴染んでいく。

滞在の最後の方に、なぜか「がんばらなきゃ」とつぶやいている自分がいた。

何を頑張るの?

亡命チベットを「支援」し、仏教を「勉強」する「余裕」がある「先進国の人間」であり続けるために頑張る。またここを訪れられるよう頑張る。

日本円の貨幣価値が下がらないように?格差が永続的であるように?

ああ、何て私は傲慢なんだろう。

ダラムサラではいろいろなことを考えたが、一番良く考えたのが貨幣価値のことだった。

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美しい山合いの街、ダラムサラ。

美しい山合いの街、ダラムサラ。ちょっとスイスみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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