ウロボロスの環

パリに住む34歳の大人の女性に憧れた22歳の自分はもう二度と帰ってこない。今は還暦を迎えた彼女に会うことはもうないだろう。(←昨日の記事

去る者は日々に疎しーー。彼女だけではない。物心ついてから知り合い、親しく交流し、その後、音信不通になった全て人の数を数えたら数え切れないほど膨大な数になる。人の縁はもろく、ひとたび消えた関係が復活することは殆どない。多くの人との出会いと別れを繰り返しながら、人は時間を失い、死に向かって一直線に進んでいく。。。。

とはいえ、この歳まで来ると、「ぐるっと廻って見知った風景に戻ってきた。。。。」との感覚に襲われることがある。踊り場で円の端同士が結ばれて、また振り出しに戻ったような再生の感覚だ。

ウロボロスは尾を噛んで環になったヘビ。円の端同士が結合した姿は再生の象徴。

ウロボロスは尾を噛んで環になったヘビ。円の端同士が結合した姿は再生の象徴。

こうした体験がしやすいのが子育てだろう。若い自分の分身と身近に接することで、自分の過去を追体験できる。

幼児の日向ぼっこを通じて、私は自分が幼児の頃に感じた昼下がりの公園の日差しからもらった幸福感をもう一度、くっきりと思い出すことが出来た。子どもと一緒にドラエもんを見れば昔の感覚がよみがえり、子どもの言葉に小学生の頃の自分の気持ちが重なる。保護者会で小学校に行けば、懐かしい教室の匂いのおかげで途端に12歳の自分にタイムトリップ。それは、思いがけないほど、甘美で感動的で祝祭的な体験だ。

恐らく、これからも子どものおかげでさまざまな円環体験ができるだろう。そして孫が生まれれば、40代の経験をさらに70代になって追体験することで、人生の環がいっそう太くなる感覚が得られるに違いない。孫とは信じられないほど可愛いと人はいう。なぜか。恐らく、孫の成長を見ることは子どもの成長以上に特権的な円環的体験であり、「環がもう一度繰り返される感じ」がその人の人生に強い意味と価値の感覚を与えるからだと思う。

実は、私、子育て以外にも今、プチ円環的体験をしている。

iMacを買ったのだ。

imac

私のアップル歴は古い。初めてアップルのPCに触ったのは今から26年前。当時のアルバイト先だった小さな会社は、アップルのPCを数台装備し、当時はまだ珍しかったDTPソフトを駆使して、さまざまな画像やデザインを製作したり提案する会社だった。その会社でマックの使い方を覚えた私は大学を卒業して渡仏するときには当然のように中古のマックSEを買ってパリに持ち込んだ。この愛らしいPCは私のパリ生活の前半を彩る良き相棒だった。まるで生き物のようなこのPCが私は好きだった。

mac_se

その後、その会社社長との縁が切れ、金融関係の大企業で仕事を始めた私は程なくマッキントッシュとの縁も切れた。最初に研修した会社であてがわれたのは、富士通のワープロのオアシス。次はNECのPC98のノートPC。そして、1998年、ウィンドウズの時代の本格到来後は、デル、IBM、ソニー、エイサーなどの、数え切れない機種のPCを使ってきた。その間、マックはビジネスの世界ではどんどんマイナーになり、デザイナー、アーチストなど特殊なフリークだけのためのものになっていった。エクセルで現在価値の計算などばかりしていた私には、わざわざ高価でウィンドウズと互換性のないマッキントッシュのPCを買う意味はなかった。

その後、ウェブの時代が到来し、ウェブ2.0が到来し、音楽と通信の融合があり、スマホが普及した。変化の激しいIT業界でアップルが奇跡の復活を遂げたのは周知の通り。iMacは今日、マイナーどころか、もっとも人気が高く、リーゾナブルで使い勝手の良いPCである。

四半世紀ぶりのマックPCとの再会は、私にとって、アルバイト時代の自分に戻る悦びをもたらしている。26年前に出会ったそのバイト先の会社の社長は、遊びが仕事であり、仕事が人生を送る人だった。私はそんな生き方に魅力を感じつつも背を向け、その後、長い間、お金のため、義務のために大きな組織の歯車の仕事をし、PCに向かう生活を続けてきた。そんな私に相応しかったのはマイクロソフト・ウィンドウズがインストールされた無個性なPCだ。だが、今、もう一度、思いがけず、再び懐かしいマックのPCの前にいる。

iMacがもたらした不思議な再生の感覚。ウロボロスの環は果たしてつながるのだろうか?それとも単なる錯覚か?

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