アラフィフ雑感

あと9ヶ月で50歳になる。

20代、30代、40代と、これまでも10年毎の刻みにはそれなりの感慨があったけど、50代は格別。「人生50年….」。ぼんやりしている間に、昔なら終着点という年にとうとう到達してしまった。いくら世の中が長寿化しているといっても、さすがに折り返し点をとうに過ぎていることは明らか。さすがに「人生まだまだこれから」という感じはもうない。論語によれば、<50歳=知命>、すなわち、天命を知る年だ。

45歳ごろから意識するようになったのは、「時間を死から逆算して考える」ことだ。もちろん、明日、事故で死ねば終わりで、それは20歳でも30歳でも変わらない。病気やら経済環境激変やらでそもそも安閑な後半生が続く確証もないのだから、そもそも死からの時間の逆算に意味があるのかも分らないのだが、まあ、確率的には80歳か90歳くらいまで生きる可能性が高い。たとえば、80歳まで健康に生きるとして、年に1度海外旅行するとすれば、できる旅行はあと30回。迎えられるお正月もクリスマスも30回。年に1度会う友達と死ぬまでに会える回数はあと30回となる。月に1冊本を読むなら、死ぬまでに読める本は360冊。。。。

意外なほど、少ない。

これまでは「いつかきっと。。。」と、将来に向けて準備することが多かった。10代は「いつかハイヒールとタイトスカートの似合う女性になりたい」と思い、20代は、「いつか一人前にお金が稼ぎたい」と思い、30代は、「いつか温かい家庭が持ちたい」と思った。達成できた目標も、できなかった目標もある。そうした中で、いつしか現在の不自由を我慢する人生態度が習い症になってきたように思う。

でも50歳も近づいてくると、「夢が実現しようがしまいが、どうせ時間だけは過ぎて行く。時間が過ぎれば、実現した夢も、結局は儚く通り過ぎていってしまう」ことが実感として分ってくる。「一つの夢が実現すれば、それによって何かが失われる」というモグラ叩きのような人生の表裏も分ってくる。過去に自分らしいと思っていた「生き方」や「感じ方」も、所詮は生まれ育った家庭や社会に条件付けられていただけということにはたと思い至る。そうはいっても、これからどれだけ生きても、恐らく、自分に与えられた条件付けから完全に自由な境地に達したり、より良い人格の自分に突然生まれ変わる日は恐らく来ないということもまた分かる。

頭の中でチクタク鳴り続けるタイムウォッチの音を聞きながら、「ちっぽけな私に残されたコップの水」をつらつら考えるなかで、出したささやかな結論が「田舎に古い家を買い、そこに通いながら、残った時間とお金をゆっくり使うこと」だった。

「早く早く」から、「ゆっくりゆっくりへ」。「〜したい」「〜ねばならない」という心の動きをなるべく少なくする。遠く、手の届かないものをないものねだりしない。何かを将来、実現したいと思わず、過去でも未来でもなく現在に生きる。

それはどうやったらできるのだろう?

というわけで週に1度ほどのペースでゆっくり更新を続けようと思います。

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アラフィフ雑感」への2件のフィードバック

  1. 水川雅子(ぶり)

    アラフィフ雑感、読ませて頂きました〜。
    ホントにね、私たちが50だなんて…冗談もほどほどにして欲しい感じです。
    私なんて、もうすぐ『おばあちゃん』になるんですよ〜。
    もう時間よ止まれ!です。
    子どもを産んだ年齢が若かったり、子どものひとりが障害児だったりしたから、借り物競走状態で、とりあえず走り続けているうちにこの歳です。
    まだまだ行きたい国もあるし、やりたい事もあるし、夢見る夢子状態…f^_^;
    でもこれで良いんじゃ無いかとも思います。
    同い年同士、手と手を携えて、行きましょうー。

    返信
    1. n165033 投稿作成者

      どうもありがとう。なんとお嬢さんにお子さん?学年で一番ですよね。なんておめでたい。とてもそんな風に見えないわ。
      本当に、走り続けるうちに50歳。。。。
      「でもこれで良いんじゃ無いかと思います」という自然な肯定感がいいですね。
      手に手をとって、生きましょう/行きましょう。

      返信

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