わたしのミッドライフクライシス——翻訳という仕事

40歳を過ぎてフリーランス産業翻訳者になった。それは金融業界を離れたわたしの後半生のライフスタイルに合った仕事に思えた。現実問題としてそれは自分のスキルと社会のニーズが合致し、継続的に依頼が来た唯一の「プロ仕事」だったともいえる。

キッチン翻訳者のわたし。夕飯の支度をしたり、SNSをいじったりしながら自分のペースで仕事ができるのが在宅フリーランサーの魅力

キッチン翻訳者のわたし。夕飯の支度をしたり、SNSをいじったりしながら自分のペースで仕事ができるのが在宅フリーランサーの魅力

翻訳は自宅にパソコンとネットさえあればできる。初期投資はほとんどない。基本、どこにいてもできる。

その代わり生産性は低い。収入は前職から正味10分の1になった。

それすら案件を選り好みしていたら上げることができない。

非ネイティブの証券アナリストが書いた構文が破綻し意味不明なフレーズ連発の金融レポート。統計学の学術用語だらけの保健学の学術論文。とてつもなく晦渋で深淵な内容のフランス会計監査院の報告書。数百ページの大作を数ヶ月かかって訳し終えたときにはすっかり目と腰がやられていた。

反面、知的好奇心が満たされる面白い案件もあった。古代エジプトの発掘調査記録や夫婦の赤裸々な性関係が綴られた離婚調停の弁護士意見など。

とにかく、10年間、あらゆる案件をこなしてきた。

毎回、自分を無にし、横文字の背後にいる書き手を想像しながらテキストと格闘する。「わからない」は許されない。どんな分野でも、とりあえず常識推論を効かせ、直感的に意味を追って横文字を縦文字にするのがファーストステップ。

次に訳漏れがないか、一行一行チェックする。すっきりしないところは、たいてい意味が十分に理解できていないということだ。不審な箇所があれば、今一度、原文と照らし合わせる。読み返しても変な文章なのは、果たして原文が悪いせいか、それともわたしの腕のせいか。もちろん、原文が悪いならわたしは悪くない。それでも「原文よりよい日本語にしよう」と意気込むのは、親切心なのか、単なる自己顕示欲か。

必ずしも時間をかければいいというわけでもない。日本語の完成度を上げるため推敲する作業は楽しいが、いつのまにか原文から乖離してしまう。納期直前に慌ててエージェントに電話し、「あと2時間待ってください」と懇願する。

もう一度、「超訳」を「逐語訳」に戻す。転換ミスはないか、要求スペックを間違えていないか。よりにもよって、そんなときに限ってネット回線が原因不明の不調に陥る。

すったもんだの末、納品したものが必ずしもクライアントに満足いただけず、クレームが来るときがある。細かい対応に膨大な時間と手間がかかることもある。

単発案件が多く、守備範囲が広すぎるからいけないのかもしれない。エージェントを通さず、直接クライアントとやりとりすればいい信頼関係が築けるのかもしれない。そのためにはオンサイトのインハウス翻訳者になればいいのかもしれない。だがそれでは在宅ワークの柔軟性は失われる。安定的な受注と柔軟な働き方を両立させるにはやはり今のやり方しかない。

主婦兼フリーランス翻訳者の煩悶

残念ながら、長年にわたり語学や専門知識の習得に投じてきた「自己投資」はこうした在宅翻訳で回収できない。過去の貯金を元手にした株式や不動産投資の収入がわたしの実質的なメイン財布である。

つまり、わたしのような二流の翻訳者にとって、フリーランス翻訳は腕一本で食べていける専門職と言いきれない。

そんなものが果たして「職業」と言えるのか。単に好きでやっているだけの趣味ではないか。

企業に所属しなければ自分のスキルはここまで低い評価と価値になってしまうのか。

そういう悩みはおそらくわたしだけのものではない。後半生、子育てや企業リストラなどの理由で翻訳者になった人や「好き」が高じて翻訳者になった人に多かれ少なかれ共通する悩みだろう。

もちろん、発注者はそんなことは意に介さない。悩むくらいなら廃業すればいいのだから、基本的に無駄な悩みである。なのに依頼が来るとまた引き受ける。そして悩みが始まる。

みんな戦ってるんだから……

悩みは過剰な自意識や無い物ねだりに発しているのかもしれない。ひとまず自分のことを横に置いて全体を俯瞰する。

産業翻訳者であるわたしは、レジ打ちや飲食店の接客同様、バリューチェーンの最下層に組み入れられた一介のサービス提供者だ。

サービス提供者は求められるタスクに対応し、的確にサービスを執行する。金を払う側(クライアント)が求める価値はサービスの的確な執行だ。ルールはシンプル。安価格、高品質の商品なら客はリピートする。そうでなければしない。

世は悩めるフリーランサーに「得意分野」に特化し、「ブランディング」し、「ブルーオーシャン」を狙え、と説く。

だが、それが現実世界でいかに難しいかは街を歩けばわかる。

歯医者、美容院、ネイルサロン、マッサージ店、レストラン、クリーニング店。平和な街を観察すれば、どの客商売も似たようなサービスを提供し、日々拡大しないパイを奪い合い、低収益に甘んじている。消費者の立場に転ずれば、わたしは彼らに差別化された高価格のサービスなど期待していない。

買い手は安く、品質が良く、スムーズな取引を求める。それがリアルな現実であり、世界中のサービス提供者がその土俵で戦っているとしたら、どうして自分だけ戦わないで済むことがあるだろうか。

そう思って、わたしは細々とフリーランス翻訳業を続けてきた。

タバコ屋と自販機

「いまに集中、集中。翻訳しているときは自分を機械だと思えばいい。感情を抑え、冷静に淡々とやればいいんだ。何も考えないぞ!」

そう自分に言い聞かせていたら、最近は本当に感情のない機械が翻訳をやるようになった。

今、翻訳業界は激烈なスピードで機械翻訳に向かいつつある。

機械翻訳はクライアントやエージェントにとって魅力的な選択肢だ。

人間の翻訳者が頑固で不機嫌で気まぐれなタバコ屋の親父だとしたら、機械翻訳はタバコ自販機だ。

タバコ購入者が求めるのは、ストレスなくスピーディかつ確実にマルボロを購入することだ。

「えっ!1万円!困ったなあ。次はちゃんと細かいの用意してきてくださいよ」──そんな不機嫌なタバコ屋の親父とのやりとりはスムーズな購入を妨げるノイズに過ぎず、黙って釣り銭を吐き出す自動販売機に劣る。あるいはタバコ屋の主人が愛想の良いオバちゃんや美しいお姉さんなら、タバコ屋通いは続くかもしれない。だかそこにも限界がある。オバちゃんやお姉さんはどんなに感じが良くても所詮、笑顔をタバコ価格に上乗せできない。24時間、笑顔で店を開き続けることもできない。

これまで翻訳はタバコ売りとは比較にならない知的な仕事で、機械と人間には圧倒的な差があると信じられてきた。だが今、機械翻訳の進化は、人間翻訳者をタバコ屋と同じ運命に導こうとしている。

機械は疲れを知らない。不安も希望もない。笑わず、泣かず、怒らない。自嘲することもなく、意気消沈することもなく、考え込むこともない。訳漏れをせず、原文をより良いものにしようとする顕示欲もなく、月末の預金通帳を見て落ち込むこともない。クライアントやエージェントのクレームを想像して怯えることもない。もちろん、視力低下、腰痛といった肉体の劣化もなく二十四時間稼働する。

そんな機械と人間のどちらが「安く、品質が良く、スムーズなサービス」を提供できるかはあまりに自明である。

考えるな!手を動かせ!

マクロ的に見てそれは「悲劇」ではない。

歴史を振り返れば機械はヒトは多くの忍苦から解放し、社会を進化させてきた。

洗濯機、掃除機、冷蔵庫は女の余暇創出と社会的地位向上に寄与した。コンテナ船とガントリークレーンの登場は港湾人夫を肉体労働の労苦から解放した。自動田植え機は農民が腰を曲げて一本一本苗を植える田植えの労苦から解放した。自動織機は糸紡ぎの労苦から職人を解放し、DTP技術は活字工を解放した。

そんな歴史が繰り返されているだけと考えれば翻訳者の悲哀も相対化できる。機械翻訳は、人間を訳漏れや受注途絶の恐怖、そして腰痛といった労苦から救おうとしているのだ。

当然、新しい世代は翻訳者など目指さず、翻訳機械を操作する側にまわろうとするだろう。そして彼らに求められるスキルは今日の翻訳者のスキルとまるで違ったものになるだろう。

それはなにも翻訳分野には限らない。

知的で高収入な文系事務職の時代はゆっくりと終わろうとしている。わたしが前半生のスキルはすっかり陳腐化した。金融を例に取れば、アナリストも、営業マンも、トレーダーも職種自体はなくならないかもしれない。だが、同じ職種に求められるスキルは20世紀から激変している。

前半生の知識やスキルが陳腐化して使い物にならなくなるなか、まだ人生は半ばに過ぎない。そんな40代や50代にとって、一体、どんなライフシフトが可能なのだろうか。

わたしは仕事の合間にamazonでディープラーニングや機械学習の専門書のリストを眺める。ポチっと押したい購入衝動に駆られる。押して、それらの技術を今から習得し、自分自身を根本から書き換えたい衝動に。

だが、その直後、考え直す──「ダメ。遅すぎる。習得できない。習得しても仕事には結びつかない。手を広げ過ぎちゃいけない。なにせわたしは52歳。ゼロからスキルを身につけることなんかできない」。

わたしのそんな逡巡と不安にはお構いなしに、引き受けた翻訳の納期が刻々と近づく。

「考えるな!手を動かせ!」わたしは自分にカツを入れる。

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