たくましい子供

子供の中学受験を控えて、とある学習塾主催の有名中学校の説明会に行って来た。

校長先生が、「我が校には『たくましい』子供に入って来て欲しいです」とおっしゃった。後で他の先生が、「校長がそう言ったのは、そもそもうちに入る子は最近、ボンボン風が多くて、たくましい子供が少ないから。。。」とフォローした。会場がなごんだ。

「ボンボン風の子が多い」のは当然!

なぜなら現在日本の現実では、そもそも、ボンボンでない野人みたいな小学生は、都内有名難関私立中学校の受験にチャレンジできる環境にないから。

都内有名難関私立中学校の受験問題はものすごくひねくれていて難しい。全ての受験問題同様、パターン化された難しさなので、11歳や12歳の子供がそれを解けるようになるには最低2〜3年間の塾での特殊な訓練が必要だ。そういう塾に行くには年間100万円程度の費用がかかる。お金だけあっても駄目。子供が勉学に集中するには夫婦円満で平和な家庭が必要。出来れば親自身、高学歴で高所得なことが望ましい。送り迎えやお弁当のためには出来れば母親は専業主婦が望ましい。

決して誰もそう言わないし、どこかにそう書かれているわけではない。でもそうした環境を持たない小学生が、あの難しい問題にチャレンジして難関私立校に入ろうと思う意思と能力と野心を自発的に持つ可能性は限りなく低い。所詮、中学受験は意思も、リソースも、環境も、基本的に小学生の子供には全て親からお膳立てされるものなのだ。

「与えられること」と「たくましさ」は本質的に両立しない。生まれたばかりの満たされた赤ん坊にはたくましくない。美しい蓮の花が泥沼にしか咲かないように、たくましさは「欠落」からしか生まれないのだ。

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小さい時に国を失い、家族離散し、さんざん苦労した「たくましい」チベット人の知人は言う。「日本人は恵まれてます。。。清潔で豊かで安全で。。。。本当に恵まれすぎて、苦労を知らない日本の子供たちが、逆に可哀想なくらいです」。

たくましさを作る欠落は、お金だったり、愛情だったり、完全な容姿だった、身体の機能だったり。公正な社会環境だったり、平和な社会だったり、清潔で広い家だったり。苦しくて、イヤで、辛くて。。。だから、勉強する。主張する。仕事する。戦う。忍耐する。乗り越えようとする。

絶え間ない欠落の思いが人間を「たくましく」するのであり、全てお膳立てされて与えらる人間には、そもそもたくましさが生まれる契機がない。

それにしても「たくましい子供」は今も昔もあまりにも陳腐な紋切り型!

まあ校長先生はどの学校も旧式の紋切り型を言うのが役割。

でも、「ウチの問題は、どうせ恵まれた家の子供にしか解けませんよ。我が校は最近、恵まれたボンボン型の子供ばかりでモノ足りませんが、まあ最近の若者は皆ボンボン化してますし、我が校だけ世間の風潮に抗っても仕方ありませんし」、なんて正直な校長先生がいれば、その学校、結構好きかも。

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