【書評】それでいいのだ!エマーソンの『自己信頼』

自分の考えに自信が持てないのはいつからだろうか? 中学受験や大学受験の勉強で、ひたすら正しい答えや他人の意向を伺うことが習い性になってからだろうか? 会社で働くようになってから、自分の心中を率直に述べる場が殆どなかったからだろうか?

新聞や雑誌の活字の言葉、ニュースキャスターの言葉、専門家の言葉は真実らしく聞こえる。それに比べると乏しい情報しかもたず、深く考える暇もない自分の考えは取るに足らないように感じる。周囲とうまくやっていくために、愛想笑いして、他人の顔色をうかがい、周囲の言葉を鸚鵡返しにする。

「まだ若いから」「まだ××を知らないから」「そんな考えは論理的でないから」「他人に嫌われるから」。。。「~しなければならない」と、自分で自分を縛り付けてきた。

でも実際には世間がそれほど立派でも確実なものでもなかった。それに、そもそも私の言動など誰も気にしていないのだ。どうせ誰にも迷惑かけないのなら開き直って自分自身でいようと思うようになったのは、40歳過ぎてからだろうか?

エマソンは、「それでいいのだ!」と言う。それどころか、「自分しか信じちゃいけない。なぜなら神は自分の中にいるのだから。神の声を自分の魂の中に聞け。お前の真実は万人の真実だ。ねたみは無知で、人まねは自殺行為だ!」と言う。そして、自意識を捨て、結果や利害を思い煩うことなく、ただ自分の感覚に従って率直に裁きを下すべきだという。

『自己信頼』には、教会の教義や政党の政治的主張、社会で主流の潮流に付和雷同することの愚かしさが描かれている。現代日本なら、さしずめ中学や高校でリーダー格のボスにへつらったり、会社でゴマすり社畜となったり、世間の風潮に乗って「グローバル人材」を目指すことか。

自己信頼[新訳]

エマソンは、「一貫性の罠」に縛られてはいけない、とも言う。多くの人は過去の自分の考え方にとらわれていて、今を生きて思考を刷新しようとしない。昨日と今日の自分が矛盾するのが恥ずかしいという自意識が過去に自分を縛り付けるのだ。首尾一貫した態度を取ってプリンシプルを守ろうとする行為は一見、立派なようだ。だがエマソンに言わせれば愚の骨頂であり、心の思うままに「君子豹変す」が正しい態度である。

エマソンは過激だ。私たちが自分で自分を信頼して、自分の足で歩くのを妨げる親兄弟や友だちがいれば迷わず縁を切りなさい、と言う。募金活動への協力を頼まれても、自分が納得しないなら金を出すなと言い、孤独を恐れるなと言う。

こうした主張は必ずしも新しいものではない。福沢諭吉の「独立自尊」や、シンディ・ローパーの歌「true color」にあるように、、「自分を信じて自分自身であれ」というのは、現代社会のメインストリームの神話であり、スローガンだ。だが現実の世界では、自分自身であることはあまりに難しいいことであり、スローガンは空虚な建前としてしか機能していない。

でもエマソンのこの本は建前ではない。ずしんと魂に響く自己肯定の言葉の力強さは一体、何なんだろう!

エマソンの言葉は、老子の言葉と似ているし、クリシュナムルティの言葉とも似ている。エマソン、老子、クリシュナムルティの3人は、国や時代を超えて、同じことを語っているような気がする。

老子の思想 (講談社学術文庫)

Freedom from the Known

もっと早くエマソンを読んでいれば良かったが、逆に今こそがエマソンと出会うべきタイミングだったのかもしれない。

全ての人がエマソンの言葉通りに生きられれば、いじめやうつ病や、集団の狂気はなくなり、社会はより平和になるだろう。

私が読んだのは、伊東奈美子さんによる2009年の新訳版。多くの翻訳本は、原文で読んだ方が味わい深いものだが、この本だけは翻訳版の方が素直に頭に入ってきた。内村鑑三や樋口一葉の日本語が文語化しているように、エマソンの英語も古い英語だからだろう。素晴らしい翻訳で、私もいつか、こんな翻訳をしてみたい。

 

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