【書評】田舎暮らしができる人できない人 玉村豊男

田舎暮らし、ロハス、スローライフといえば玉村豊男さん、というくらいの有名人の田舎本。

玉村さん、80年代、お洒落でグルメなエッセイストとして沢山、フランス関係の文章をお洒落な雑誌に沢山、書いていた。42歳で大病をしてからは軽井沢で第二の人生を本格スタートさせた。画家、田舎暮らしの専門家、レストラン・オーナーとしてのその後の活躍と名声は前半生を上回っている。最近はついに玉村さんの絵の美術館までできたそうだ。若い時の技能(文筆業)を活かしつつ、中年の危機を経て大きな方向転換をし、そうした転換が世間に認められ、社会に受け入れられた、見事な二毛作の人生。

玉村さんは多作で、その文章は円熟して手慣れていてエレガントだ。田舎暮らしの基本的FAQ(奥さんをどう説得するか、自動車の運転、近所付き合い、虫、農業、医療etc.)のそれぞれにもれなくサラっと触れた上、ミヒャエルエンデや養老孟司張りの文明批判(拝金主義、職業の分業、人口的な都市環境)を分り易く展開し、哲学的見地に立った「定年後の田舎暮らしの歴史的必然」を定年男性対象に説いて、まったく破綻がない。

どんな内容にも明るくて楽しい雰囲気が漂っている。ゴツゴツ尖った主張、キツい批判、意地悪さ、苦しさ、辛さ、葛藤は一切、表に出さず、それでもなお、率直な文章。つくづく、文章というのは人柄そのものと思う。

いちばん、興味深かったところ。

自分で好きなことを自分から進んでやって時間に追われることは、忙しい、とはいわないのです。会社の仕事、人に頼まれた仕事、社会的に責任のある仕事。家事や育児の場合はちょっと微妙ですが、少なくとも、好きだからという理由だけでやっているのではない、自分以外の人間に対して責任を負っている(から、ある意味ではしかたなくやっている)仕事のときにしか、忙しいという言葉は使わない。

田舎にいると、たき火、庭の世話、食事の準備、掃除、ゴミ処理など、都会生活にはないモロモロの生活の基本をこなすことで忙しいというのは、自分の体験で知った。本格的に農業を始めれば、その忙しさはいかばかりかと思う。

いすみの家を買ったときは、そこで、のんびり、思いっきり読書をしたり、モノを書いたりしたいと思っていた。でも週末居住では、コンピューターを開いたり、小説を読んだり、チベット語を勉強する時間はない。だんだん、「ま、そんなことどうでもいいや。それよりなすの支柱の付け替え、絶対、来週やらないと」、「雨が降る前に洗濯物、取り込まないと」と、自分の優先事項の順位が変わってくる。「今後、燻製やってみようかな」「柿渋作ってみようかな」と、どんどん、挑戦することが増えると、ますます田舎暮らしが「どーでも良いことで」忙しくなってくる。なんだか、いすみの「どーでも良いこと」に真剣で、東京での「忙しい仕事」には心が入っていない自分がいる。

現在の玉村さんはカフェやワイナリーも経営しておられて、田舎暮らしがビジネスで責任のある立場だから、やはり対人関係や、オカネといった、「都会型」忙しさに伴うストレスはあると思う。でも田舎暮らしの啓蒙書であるこの新書では、その辺の内情は一切、スキップされているようにも感じられる。

とまれ、都会から田舎へという40代の大転換を夫婦で成し遂げ、30年近くを経ても田舎暮らしを後悔するどころか、すっかり満足して、隠遁どころか、ますます盛んに活躍されておられるのは励みになる。実子のいない玉村さんご夫妻、農業+田舎ビジネスによって若い人たちと関係を育み、寂しくない老後を作っておられるのもすばらしいと思う。

追記:本書に、「まるで映画みたい!」というフランス語表現がでてくる。「セ・ル・シネマ!」と書いてあるが、「セ・デュ・シネマ!」の間違いのような。

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